松本教会 プロテスタント 日本キリスト教団松本東教会


HOME > 礼拝説教集 > 20100912

2010年9月12日(日)教会設立記念礼拝
説教題「神の力の及ばないところはない」

説教者 本城仰太 伝道師 

新約聖書: マタイによる福音書 第28章16節〜20節

 さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

旧約聖書: エレミア書 第32章17〜20節

 私は今回の説教の準備にあたって、いつものように、いろいろな翻訳の聖書や注解書などを開いて準備をしてきました。しかし一つだけ、いつもと違う本を開いて準備を進めてきました。それは、教会の『七〇年史』と呼ばれる本です。その本を手もとに置いて、準備を進めてきました。『七〇年史』は文字通り、教会が設立されて七〇年を記念して発行されたものです。

 私は神学校時代、授業の中で、様々な教会で発行されている教会史の本を比較、分析し、批評をする授業を受けました。そのときには何冊かの教会史を扱うことになりました。過去の記録の網羅ではなく、当時の様子が分かり、今日の伝道、将来の伝道に活かすことができるのが、良い教会史ということになります。その点で、私たちの教会の『七十年史』はとても優れたものです。今の私が読んでも、当時の様子がよく分かる。当時の人たちがどんなことを考え、どんな信仰に生かされてきたのか。そして過去のことを踏まえ、今、私たちが何をすべきなのか、そのことがよく分かるのであります。

 本日の礼拝は、教会設立記念礼拝であります。松本東教会が教会として設立されたことを覚える、記念の礼拝です。『七十年史』も、教会設立七十年を一つの区切りとして、編纂され、発行されました。私は今回の説教を準備するにあたって、この教会の出発点のときの様子を知りたいと思いました。言うまでもないことですが、それを知るために、『七十年史』を熟読いたしました。

 実を言いますと、松本東教会には、二つの出発点があります。一つは、一九一六年六月四日です。松本市内にある幼稚園を借りて、「松本聖書研究会」が発足いたしました。このときの出席者は一二名。そのすべては、小学校の教師、および幼稚園の保母であったようです。聖書の学びや各々の信仰についての発表や懇談などが、主に行われていたようです。この聖書研究会が、やがて「日本基督松本伝道教会」へと発展していきます。まだ正式な教会というわけではありませんでした。そして、一九二四年九月一三日、これがもう一つの出発点になるわけですが、教会として正式に独立をすることになりました。この日に建立式が行われ、正式な教会としての歩みを始めることになったのであります。

 今年は二〇一〇年であります。一つ目の出発点である聖書研究会が始まってから、九四年が経ったということになります。そしてもう一つの出発点である教会が設立されてから、八六年が経ったということになります。本日の記念礼拝は、教会として設立されてから、八六年目の記念礼拝であります。八六年前の建立式のときの教会員の思いを、『七十年史』はこのように記しています。「建立式を通して日本基督松本教会として独立し、宣教の使命を付託された」(『七十年史』、一五頁)。教会として独立した。さあ、これから何をするのか。その出発点のところで、教会としての目的をはっきりと記すのであります。「宣教の使命を付託された」、と。

 それでは、この宣教の使命は一体誰から付託されたのでしょうか。教会として独立したのは、日本基督教会というグループに属する一教会として独立したことになります。この日本基督教会というグループは、改革派、長老制度の伝統に立つ教会であります。当時の中心的な指導者は、植村正久牧師でありました。建立式のときにも、植村正久牧師が東京から来てくださり、洗礼式も行ってくださったようです。説教にも何度も来てくださいました。それでは、宣教の使命も植村正久牧師を始めとする、日本基督教会の偉い先生方から付託されたのかと言いますと、決してそうではないのです。

 私たちはこの宣教の使命を主イエス・キリストから受けたのであります。それが、本日私たちに与えられている聖書の箇所になります。本日はこの箇所から、私たちの教会に今も与えられている使命について、御言葉に耳を傾けたいと思います。この箇所は、「大宣教命令」とか、「大伝道命令」とか、あるいは人によっては「大洗礼命令」と言う人もいます。

 いずれにせよ、復活された主イエスが、天に挙げられる前に、弟子たちに言われた言葉であり、今を生きる私たちにも言われた言葉であります。その内容から、これがすべての教会の出発点になります。松本東教会には二つの出発点があるという話を先ほどいたしましたが、松本東教会に限らず、すべての教会が出発点にすることができるのが、この主イエスのご命令であります。

 主イエスのこの言葉はとても分かりやすいものです。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(一八~二〇節)。特別な解説をしなくても、よく分かる言葉だと思います。すべての民を主イエスに従う弟子にせよ。私たちが受けたのと同じ、三位一体の名による洗礼を授けよ。主イエスが命じられたすべての言葉を守るように教えよ。この三つのことをせよと命じておられるわけです。

 すべての教会の出発点がここにあり、私たちの教会の出発点もここにある。このことはよく分かります。主イエスの言葉に促されて、この言葉の通り、さあ、これから伝道をしようと意気込むこともできるでしょう。ところが、これから伝道しようとする私たちの歩みを立ち止まらせるような言葉があるのです。「しかし、疑う者もいた。」(一七節)。

 ショッキングなことかもしれませんが、教会の出発点のところで、疑う者がいたのです。このとき、主イエスの周りに集まってきたのは、十一人で弟子でありました。主イエスを裏切り、すでに自殺をしていたユダを除く十一人の弟子たちです。その弟子たちの中に、疑う者がいたというのでしょうか。それとも、ここに記述はありませんが、十一人以外の弟子たちもいて、十一人は信じたけれども、十一人以外の中に疑う者がいたのでしょうか。このことに関して、聖書学者もいろいろな見解を示しており、一致はしていません。

 聖書学者の中には、十一人の弟子すべてが疑っていたと考える者もいます。「しかし、疑う者もいた。」(一七節)と書かれていますけれども、これを「しかし、彼らは疑った。」とも読むこともできるのです。こう考えますと、十一人すべての弟子たちが疑ったことになるのです。いろいろな理解があって、本当のところはどうだったのかは分かりません。しかし少なくとも、教会の出発点で、疑う者を抱えていたということは、間違いないのです。

 「疑う」という言葉、二つに割れるという意味があるのだそうです。考えてみますと、一筋の心ではなくて、心が二つに割れるということが、疑いの原因になるのではないかと思います。完全に信じることができない。信じようと思っても、もしひょっとするという心が生じてしまう。これが疑うということであります。

 同じ「疑う」という言葉が、同じマタイによる福音書に出てきます。主イエスが湖の上を歩かれたとき、弟子のペトロが言います。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」(一四・二八)。主イエスがそれに応えて「来なさい。」(一四・二九)と言われます。ペトロは主を信頼して、湖の上を歩き始めます。ところが、強い風に気がついて怖くなってしまう。ペトロの心には、主への信頼があった一方で、強い風にも心を奪われてしまうのです。主イエスは言われます。「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか。」(一四・三一)。

 これと同じように、いつも御言葉を聴いておりますルカによる福音書の復活の場面に、弟子たちの心が二つに割れている様子がよく分かる言葉があります。復活された主イエスが、弟子たちの前に現れたときの弟子たちの様子です。「彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、」(ルカ二四・四一)。弟子たちの心の中に、主が復活された喜びがある一方で、まだ信じられず、不思議がる心もあるのです。

 本日、与えられたマタイによる福音書の箇所も、弟子たちの疑いの様子が記されています。心が二つに割れているのです。教会の出発点のところから、教会は主を信じる一方で、疑いをも抱えていたのです。迷いや不信仰を抱えていたのであります。しかし私たちは弟子たちを笑うことはできないでしょう。今日の教会も、私たちの教会の中にさえも、疑いを抱えているということは否定できないでしょう。

 私たちの周りを見渡して、誰が信じていて、誰が疑っているのかと探る必要はありません。自分自身を吟味してみるだけでも、よく分かるのではないかと思います。今、礼拝に出席している、自分を顧みてみる。弟子たちが山に登り、復活された主イエスの前にひれ伏している。それと同じように、私たちも主の前にひれ伏して、神を拝む礼拝をしております。その私の中に、神を疑う心がないだろうか。二つの心に割れていないだろうかと、改めて問わなければならないのです。

 それでも、神は疑いの心を持つ弟子たちを用いてくださいました。主イエスは弟子たちを山から派遣されます。伝道へと遣わされる。教会を建てるために遣わされるのです。それは私たちも同じであります。「宣教の使命を付託された」。松本東教会の八六年前がそうだったように、今の私たちも伝道へと遣わされる。教会を建てるために遣わされる。疑いの心を持っていた弟子たちを用いてくださったように、今なお、主を完全に信じきることができずに、疑いの心をも持っている私たちを用いてくださるのであります。

 先週、喬木教会より伊奈聡牧師が来て下さいました。説教で説いて下さったのは、同じマタイによる福音書の第七章二四~二九節の箇所です。マタイによる福音書の第五~七章までは、主イエスがお語りになった「山上の説教」と呼ばれている箇所です。「山上」というのは山の上と書きます。文字通り、山の上でなされた説教です。主イエスは山に登られて、その周りに弟子たちや群衆が集まって来ました。そして説教を語られたわけです。

 「心の貧しい人々は、幸いである。」(五・三)で始まる説教です。いろいろなことが語られます。「あなたがたは地の塩である。」(五・一三)。「あなたがたは世の光である。」(五・一四)。「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬を向けなさい。」(五・三九)。「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」(五・四四)。「だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。」(六・三一)。「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」(七・七)。

 このような有名な主イエスの言葉が山上の説教の中では語られています。そして説教の結びが、先週の聖書箇所になります。「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」(七・二四~二七)。

 山上の説教を語り終えるにあたって、主イエスは自分が語った言葉を行うようにと言われます。そのことが、岩の上に家を建てることになると、譬えを用いて言われるのです。逆に、主イエスの言葉を聴くだけで行わないならば、砂の上に家を建てることになると言われる。雨が降り、川があふれ、風が吹く。平穏なときは大丈夫かもしれないけれども、そのような危機が襲ってきたときに、違いが明らかになると言われるのです。

 先週、伊奈聡先生は山上の説教の最後の箇所であるこの箇所から、説教を語って下さいました。そしてこれは神さまの導きとしか思えないことですが、今日与えられた箇所も、山での出来事、山の上での出来事であります。しかも同じガリラヤ湖の近くの山です。まったく同じ山だったかもしれません。さらに、どちらも主イエスの周りに弟子たちが集まってくる様子が描かれています。

 偶然の一致でしょうか。多くの人はそうは考えません。マタイがそのような意図を持って書いたのでしょうか。そうだったのかもしれませんし、そうでなかったとしても、少なくとも、本日与えられた箇所を読みますと、山上の説教を思い起こすことができます。

 十一人の弟子たちの中にも、山上の説教のときに語られた主イエスの言葉を思い出した弟子もいたと思います。十一人全員が直接、山上の説教を聞いたわけではありません。山上の説教の後で、弟子にされた者もいるからです。しかし、山上の説教を直接聞いた弟子たちさえも、失敗をしてしまった。これははっきりとした事実であります。山上の説教の言葉で言うならば、残念ながら、弟子たちは砂の上に家を建ててしまった。主イエスの十字架のときに、雨が降り、川があふれ、風が吹きつけた。そうすると、その家はすぐに倒れてしまったのです。主イエスを裏切って逃げてしまった。躓いてしまったのです。

 このような弟子たちの失敗話は、何も十字架のときばかりではありません。福音書の中には、弟子たちの失敗話ばかりが記されていると言っても過言ではありません。主イエスに叱られたり、まだ分からないのかと言われたり、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか。」(一四・三一)と言われたり、そんな話ばかりであります。

 しかしそれにもかかわらず、主イエスが弟子を見捨てられることはありませんでした。再び、弟子たちをガリラヤ湖の近くの山の上に集めてくださいました。失敗ばかりした弟子たちに、再び、山上の説教を語り直されるためではありません。もう一度、出直して来なさい。弟子として相応しくなったら、伝道に遣わしてあげようというわけではない。そうではなくて、至らない弟子たちかもしれないけれども、その弟子たちを伝道に派遣されるのです。すべての民を弟子にせよ、洗礼を授けよ、私の命じたことを守るように教えよ。今なお、疑いの心を持つ弟子たちを、神の御業のために用いてくださるのです。

 この弟子たちと同じように、私たちもこの松本東教会において、神の御業のために用いてくださるのであります。使徒パウロが、いろいろな教会に宛てて手紙を書いています。ローマの信徒への手紙にしても、コリントの信徒への手紙にしても、フィリピの信徒への手紙にしても、パウロは手紙の冒頭部分で、「聖なる者たちへ」という言葉を記しています。

 手紙の宛先の人たちのことを「聖なる者たち」とパウロは言うわけですが、この意味するところは、あなたたちは清い人であるとか、完全な人であるとか、そういう意味ではありません。神によって、その教会の信徒として選ばれているということです。ですから、もしパウロが私たちの松本東教会宛に手紙を書くとすれば、「神に召された松本東教会の聖なる者たちへ」ということになるでしょう。

 私たち一人一人も神に召されているのです。私たちに主イエスの弟子としての資質があるからではありません。能力があるからでもありません。資質や能力があるどころか、私たちの心は割れているのであります。神を信頼しながらも、他方では疑いも抱いてしまう。そんな私たちであります。

 しかし、このことだけはわきまえておかなければなりません。私たちを召してくださったのは、「天と地の一切の権能を授かっている」(一八節)お方です。しかもこのお方は「世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(二〇節)とまで言ってくださる。空間的にも時間的にも、主はいつも私たちの主でいてくださる。主であるこのお方が、私たちを召してくださったのです。私たちに召されるだけの根拠があったからではなく、すべてのものの主であるお方に召されたことが、私たちの根拠になるのです。

 召された私たちに、神は教会を与えてくださいました。ここにいる私たちにとっては、松本東教会という教会です。本日は、松本東教会が設立されてから八六年の記念礼拝になります。八六年にわたって、神は多くの者をこの教会に召してくださいました。私たちもそうです。私たちは神に召されて、この教会に連なる者となったのです。すべての支配者である主が召して下さったのですから、皆さまお一人お一人に、教会に召された意味が必ずあるはずです。

 その意味を問いつつ、これから九〇年、一〇〇年に向かって、ますます豊かな歩みをしていきたい。私たちではなく、主が召してくださったことを根拠として。