松本教会 プロテスタント 日本キリスト教団松本東教会

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2013年9月1日(日)
説教題「神から賜物をいただこう」

説教者 本城仰太 牧師

新約聖書: 使徒言行録 第8章4〜25節

 さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。群衆は、フィリポの行うしるしを見聞きしていたので、こぞってその話に聞き入った。実際、汚れた霊に取りつかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫びながら出て行き、多くの中風患者や足の不自由な人もいやしてもらった。町の人々は大変喜んだ。ところで、この町に以前からシモンという人がいて、魔術を使ってサマリアの人々を驚かせ、偉大な人物と自称していた。それで、小さな者から大きな者に至るまで皆、「この人こそ偉大なものといわれる神の力だ」と言って注目していた。人々が彼に注目したのは、長い間その魔術に心を奪われていたからである。しかし、フィリポが神の国とイエス・キリストの名について福音を告げ知らせるのを人々は信じ、男も女も洗礼を受けた。シモン自身も信じて洗礼を受け、いつもフィリポにつき従い、すばらしいしるしと奇跡が行われるのを見て驚いていた。エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、ペトロとヨハネをそこへ行かせた。二人はサマリアに下って行き、聖霊を受けるようにとその人々のために祈った。人々は主イエスの名によって洗礼を受けていただけで、聖霊はまだだれの上にも降っていなかったからである。ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。シモンは、使徒たちが手を置くことで、“霊”が与えられるのを見、金を持って来て、言った。「わたしが手を置けば、だれでも聖霊が受けられるように、わたしにもその力を授けてください。」すると、ペトロは言った。「この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を金で手に入れられると思っているからだ。 お前はこのことに何のかかわりもなければ、権利もない。お前の心が神の前に正しくないからだ。この悪事を悔い改め、主に祈れ。そのような心の思いでも、赦していただけるかもしれないからだ。お前は腹黒い者であり、悪の縄目に縛られていることが、わたしには分かっている。」シモンは答えた。「おっしゃったことが何一つわたしの身に起こらないように、主に祈ってください。」このように、ペトロとヨハネは、主の言葉を力強く証しして語った後、サマリアの多くの村で福音を告げ知らせて、エルサレムに帰って行った。

旧約聖書: 列王記上 第3章1〜15節

本日、私たちに与えられた聖書の箇所には、実に驚くべき出来事が記されています。ユダヤ人以外の外国人である異邦人への伝道が始まりました。異邦人の伝道はどのようにして始まったのでしょうか。先週の聖書箇所になりますが、このようにあります。「その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。」(一節)。また、今日の聖書箇所にもこうあります。「さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。」(四~五節)。

フィリポという人が出てきました。この人はどんな人だったのか。第六章の最初のところで、教会の中に問題が生じて、執事と呼ばれる役職の人が七人、選ばれました。先週までに出てきたステファノをはじめとする七人。フィリポもそのうちの一人でした。そのフィリポが迫害のためにサマリアへ逃れた。そのときの話です。

異邦人への伝道が始まったと先ほど申し上げましたが、サマリアは微妙な土地でもあります。サマリアというところには、サマリア人と呼ばれる人たちが住んでいました。しかしこのサマリア人はもともとユダヤ人でした。ところがあるときに外国の勢力に屈してしまい、外国人との同化政策によって外国の血が混ざってしまった。ユダヤ人たちは純血であることを大事にします。サマリア人たちはそうではなくなった。ユダヤ人はサマリア人のことを嫌いました。そしてサマリア人も自分たちこそが先祖の真の継承者であるとして、ユダヤ人のことを嫌った。お互いに嫌い合っていた。敵対関係にあった。仲が悪かった。犬猿の仲だったのです。

犬と猿は本当に仲が悪いのか。この言葉の由来には諸説あるようですが、これと同じような言葉に、「呉越」という言葉があります。中国からの言葉で、「呉越同舟」と言います。呉と越の国の間には、長い間、争いが絶えなかった。敵対し合っていた。そんな嫌い合っている呉と越の人が同じ船に乗り合わせる。その船が嵐に遭ったとすれば、いくら仲が悪い者同士でも協力し合う。それが「呉越同舟」という言葉の意味です。

その「呉越同舟」のような驚くべき出来事が、本日の聖書箇所において起こったのです。宿敵だったサマリア人のところに、ユダヤ人であるフィリポがまず行って、イエス・キリストを宣べ伝えた。そしてその後、やはりユダヤ人である使徒のペトロとヨハネが派遣された。そこにイエス・キリストを信じる者が現れ、教会が建てられた。イエス・キリストを信じる信仰によって、犬猿の仲であったユダヤ人とサマリア人が手を取り合うのです。そのようにしてサマリア伝道の成果が報告されています。「このように、ペトロとヨハネは、主の言葉を力強く証しして語った後、サマリアの多くの村で福音を告げ知らせて、エルサレムに帰って行った。」(二五節)。

このサマリア伝道が具体的にどのように行われたのか、それが本日、私たちに与えられた聖書の箇所に記されていることです。フィリポの他に、七人の執事が選ばれたことは先に申し上げましたが、これらの七人はフィリポを含めてすべてギリシア語の名前で記されています。フィリポもユダヤ人には違いないが、ギリシア語の名前を持っている。なぜかと言うと、外国暮らしのユダヤ人だったのだと思います。イスラエルの地で生まれ育った生粋のユダヤ人ではない。

生粋のユダヤ人でないところも、サマリア伝道に適していたのかもしれません。しかしフィリポが適任だったからサマリアへと派遣されたわけではありません。聖書に記されているように、迫害があったからです。迫害にあって逃れたところがサマリアであった。サマリア伝道は、人間の思いを超える神のご計画だったのです。

フィリポが伝道で成果を収めていた様子が、今日の聖書箇所の前半部分に記されています。多くの人がフィリポのところに来ました。そしてフィリポの話を聴いて、イエス・キリストを信じて洗礼を受けました。その中に、今日の話のキーパーソンとなるシモンという人がいました。「ところで、この町に以前からシモンという人がいて、魔術を使ってサマリアの人々を驚かせ、偉大な人物と自称していた。それで、小さな者から大きな者に至るまで皆、「この人こそ偉大なものといわれる神の力だ」と言って注目していた。人々が彼に注目したのは、長い間その魔術に心を奪われていたからである。」(九~一一節)。

シモンという人はこういう人物だったわけですが、別の聖書のこの他のところに出てくるわけではありません。しかしシモンの名前は、その後の教会の歴史の中で、よく知られる名前になりました。シモン・マグスという名前で知られるようになった人です。マグスというのは、英語のマジックの由来の言葉です。魔術師シモンというような呼び名です。

二世紀の人にユスティノスという人がいます。この人はローマ帝国の人たちに対してキリスト教を弁護した人として知られています。ユスティノスもシモンと同じサマリア出身でした。シモンがその後も悪影響を与え続けたと、ユスティノスは書いています。

また二世紀の終わりにエイレナイオスという人がいましたが、この人は教会を大変苦しめていたグノーシス主義という異端と戦った人です。そのグノーシス主義の異端の創始者が、シモン・マグスであったと書いています。

そして、先週の説教でも触れましたけれども、三世紀のローマの司教であったヒッポリュトスという人が書いていることもあります。シモンはどのようにペトロとの論争で打ち負かされたのか。ヒッポリュトスはこう書いています。「最後にシモンはこう述べたとされる。「もし俺を生きたまま埋葬すれば、三日目によみがえるだろう」。墓を掘り返すように命令しておいてから、シモンは弟子たちに自分のからだの上に土をかぶせるように命じた。彼らは命じられたとおりにしたが、シモンは今日までその中に埋まったままである。彼はキリストではなかった」。

この話の信憑性は不明ですが、いずれにしてもシモンはかなり評判の悪い人です。その後のシモンはよく分かりませんが、シモンがどのような人だったのかは、今日の聖書箇所から探りたいと思います。

九節に「偉大な人物と自称していた」とあります。そして人々からは「この人こそ偉大なものといわれる神の力だ」(一〇節)と評価を受けていました。ある聖書学者が、この一〇節の言葉を「偉大な力を有する者、すなわち神」と訳しています。つまり、シモンは自分が偉大な人ばかりでなく、神であると自称していたのかもしれません。

そのシモンに心を奪われていたサマリアの人たちのところに、フィリポがやってきました。フィリポが伝えた主イエスのお姿は、シモンとは対照的だったのでしょう。シモンは偉そうにしていました。主イエスはどうでしょう。おそらくフィリポは、主イエスが低きに降ってくださったこと、人の下に立ってくださったことを伝えたのだと思います。

最近、幸いなことに、私はよくまだ洗礼を受けておられない求道者の方と接する機会があります。この教会でもオリーブの会や、最近では家庭集会も行っていますが、そのようなところで求道者の方と接します。ここ数カ月の間に、複数の求道者の方から言われたことがあります。それは「主イエスが偉そうだ」ということです。主イエスは「わたしは…である」と言われています。例えば、「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」(ヨハネ一四・六)と主イエスは言われています。私も「主イエスが偉そうだ」という発言を聞いて、なるほどそうかもしれないと思わされました。

しかし、新共同訳聖書では今のように訳されていますが、新改訳と呼ばれる聖書では「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」となっています。新共同訳では主イエスの言葉の重みを考えて、「…である」と訳しましたが、新改訳では「…です」というように、主イエスの言葉が丁寧になっています。こうだとだいぶ受ける印象も違うかもしれません。

しかし主イエスの言葉以上に、主イエスは低い所に立ってくださったお方です。聖書が最もよく伝えていることはそのことです。例えば、主イエスは弟子たちの師匠でありながら、弟子たちの足を洗ってくださいました。上に立つものならば絶対にしないようなことです。そして洗い終わった後に、「師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない」(ヨハネ一三・一四)と言われました。この言葉を私たちがどう受け止めるかです。主イエスは偉そうか。それともそうではないか。

使徒パウロはフィリピの信徒への手紙の中で、低い所に立ってくださった主イエスのことをこのように言っています。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(フィリピ2:6-8)。

主イエスはシモンのように、決してご自分を偉大な者だとは言われませんでした。むしろ、主イエスはご自分が誰であるのか、結局、最後までご自分では言われなかったと言った方がよいかもしれません。主イエスが偉大なお方であるということは、私たちが言うべきことです。イエスという人が一体誰なのか。ただの人間か。偉そうな人か。優れた道徳の教師か。預言者の一人か。いやそうではなく、イエスこそキリストだ。主イエスはご自分では、はっきりとは言われませんでした。シモンとはまるで正反対のお姿です。

そのようなことはまったく理解していなかったシモンだったのかもしれません。そんなシモンをめぐって、もう一つの出来事が起こります。それが一四節以下の聖書箇所です。サマリアでの伝道の成功の知らせを受けたエルサレムの教会が、使徒のペトロとヨハネを派遣します。

一六節にこうあります。「人々は主イエスの名によって洗礼を受けていただけで、聖霊はまだだれの上にも降っていなかったからである。」(一六節)。使徒ペトロとヨハネが派遣された理由が、聖霊を授けるためであったと理解することができるかもしれませんが、この一六節は非常に難しい聖書箇所です。使徒言行録の中でも、難問中の難問であるかもしれません。なぜか。今日の聖書箇所では、サマリアの人たちが洗礼を受けて、その後、聖霊を受けています。しかし他の使徒言行録の箇所は違います。洗礼と聖霊が同時に授けられる箇所もありますし、聖霊を先に受けてから、その後、洗礼を受けるという箇所もあります。第一〇章の終わりに出てくる異邦人コルネリオスたちも、まず聖霊を受けてから洗礼を受けています。

この違いをどう理解すればよいでしょうか。そもそも聖霊とは何でしょうか。聖霊が何かが分かれば、この違いも分かってくると思います。聖霊に関する学びは、教会でもよく行われています。洗礼を受けたいという志のある方があると、私とその方で一緒に学びをします。その方に合わせて、いろいろな学びをしますが、どなたでも学ぶことは使徒信条です。先ほど、私たちも告白いたしました。週報に使徒信条が印刷されていますが、三つの段落に分かれています。なぜ三つなのか。それは父なる神、子なる神であるイエス・キリスト、聖霊なる神の三つに分かれているからです。聖霊は三番目の段落になります。

多くの方が言われることですが、父なる神、子なる神よりも、聖霊なる神の方が分かりにくいと言われます。父なる神とイエス・キリストならよく分かる。イメージをつかみやすい。しかし聖霊はどこか捉えにくい。確かにそんなところがあるかもしれません。

聖霊なる神は、聖なる霊、神の霊です。私たちを導いてくださる神です。その霊が私たちに与えられます。私たちはどのようにして聖霊を受けることができるのか。私たちにできることは、ただ神が聖霊を送ってくださるのを待つ以外にありません。

ヨハネによる福音書にニコデモという人が出てきます。ニコデモはある夜、主イエスのところにこっそり来て、話をします。ニコデモに対して主イエスがこう言われます。「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこに行くかを知らない。」(ヨハネ三・八)。

主イエスは「風」という言葉を用いておられますが、これは「霊」とまったく同じ言葉です。聖霊は風のようです。風を感じることができます。しかしどこから来て、どこに行くのか、私たちには分からない。言い換えると、私たちが聖霊を操作することはできないのです。ほら、あなたに聖霊をあげる、そんなことは私たちにはできません。使徒たちにもできません。もちろん、シモンにもその特権は与えられないのです。

そのことから考えてみると、今日の聖書箇所が分かってくるのではないかと思います。聖霊が先か。洗礼が先か。私たちはそのことを考えています。私たちはいろいろな状況に当てはまる法則を知りたいと思います。しかし神は法則に支配されません。聖霊は神が自由に与えてくださる賜物です。私たちがその時、そのタイミングを知らないだけなのです。

そうだからこそ、ペトロとヨハネは祈りました。「二人はサマリアに下って行き、聖霊を受けるようにとその人々のために祈った。」(一五節)。そうしたら神がその祈りに応えてくださり、聖霊が与えられました。決してペトロが操作をして、聖霊を出したわけではありません。

それに対して、シモンはお金で聖霊を与えることができる力を得ようとしました。神からまったく自由に与えられる賜物であることを理解していなかったのです。ペトロがその間違いを指摘しています。「この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を金で手に入れられると思っているからだ。お前はこのことに何のかかわりもなければ、権利もない。お前の心が神の前に正しくないからだ。この悪事を悔い改め、主に祈れ。そのような心の思いでも、赦していただけるかもしれないからだ。お前は腹黒い者であり、悪の縄目に縛られていることが、わたしには分かっている。」(二〇~二三節)。

その後、シモンがどうなったのかは分かりません。悔い改めて聖霊を信じるようになったのか。それとも伝えられているように異端の創始者になってしまったのか。それはよく分かりません。

しかし私たちに大切なことは、シモンがその後、どうなったのかではなく、聖霊を信じる信仰です。神がすべてを導いてくださると信じる信仰です。聖霊を信じるとはそういうことです。神を信じる心もまた、聖霊の導きによって与えられます。使徒パウロがこのように書いています。「聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。」(Ⅰコリント一二・三)。私たちが信じる気持ちを持つのも、聖霊の導きによるとパウロははっきり言っています。

そして続けてこう言います。「賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。」(Ⅰコリント一二・四)。私たちには神からたくさんの賜物をいただいています。私たちが欲しいものを欲しいときにではなく、神が最もよいときに、最もよきものを与えてくださる。神がそのようなお方であると信じるのです。

このようにしてサマリア伝道がなされていきました。これをどう考えるか。私たちの信仰が問われることです。たまたま迫害にあったから、たまたまフィリポがサマリに行って、たまたま伝道がうまくいって、たまたまサマリア人とユダヤ人が和解して、たまたまその地に教会が立ったと考えるのか。それとも、人間のこの働きの原動力となったのが聖霊であると信じるのか。そのどちらかです。もちろん、聖書はこれが聖霊の導きであったことをはっきり伝えます。何一つ、人間が計画をし、その通りに実行したのではありません。

聖霊を信じるということは神の導きを信じることです。そして聖霊を信じるとは、私たちに無関係なところで聖霊が働くということを信じるのではなく、私たちにも聖霊が与えられるということを信じるのです。私の人生が神の導きのもとにあると信じること、それが聖霊を信じることなのです。