松本教会 プロテスタント 日本キリスト教団松本東教会

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2014年8月10日(日)
説教題「続・聖書物語」

説教者 本城仰太 牧師

新約聖書: 使徒言行録 第28章17〜31節

三日の後、パウロはおもだったユダヤ人たちを招いた。彼らが集まって来たとき、こう言った。「兄弟たち、わたしは、民に対しても先祖の慣習に対しても、背くようなことは何一つしていないのに、エルサレムで囚人としてローマ人の手に引き渡されてしまいました。ローマ人はわたしを取り調べたのですが、死刑に相当する理由が何も無かったので、釈放しようと思ったのです。しかし、ユダヤ人たちが反対したので、わたしは皇帝に上訴せざるをえませんでした。これは、決して同胞を告発するためではありません。だからこそ、お会いして話し合いたいと、あなたがたにお願いしたのです。イスラエルが希望していることのために、わたしはこのように鎖でつながれているのです。」すると、ユダヤ人たちが言った。「私どもは、あなたのことについてユダヤから何の書面も受け取ってはおりませんし、また、ここに来た兄弟のだれ一人として、あなたについて何か悪いことを報告したことも、話したこともありませんでした。あなたの考えておられることを、直接お聞きしたい。この分派については、至るところで反対があることを耳にしているのです。」そこで、ユダヤ人たちは日を決めて、大勢でパウロの宿舎にやって来た。パウロは、朝から晩まで説明を続けた。神の国について力強く証しし、モーセの律法や預言者の書を引用して、イエスについて説得しようとしたのである。ある者はパウロの言うことを受け入れたが、他の者は信じようとはしなかった。彼らが互いに意見が一致しないまま、立ち去ろうとしたとき、パウロはひと言次のように言った。「聖霊は、預言者イザヤを通して、実に正しくあなたがたの先祖に、語られました。『この民のところへ行って言え。あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、耳で聞くことなく、心で理解せず、立ち帰らない。わたしは彼らをいやさない。』だから、このことを知っていただきたい。この神の救いは異邦人に向けられました。彼らこそ、これに聞き従うのです。」パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。

旧約聖書: ヨナ書 第4章1章11節

私たちの国では、八月は平和を特に覚える時期です。平和をつくるためには、とりわけ近隣諸国との平和をつくるためにはどうしたらよいのか。その知恵を神から求めなければなりません。特に最近、近隣諸国との関係がうまくいかない中で、「歴史を共有する」とか、「歴史認識を共有する」などという言葉を聞くことがあります。

お互いの国の歴史を共有することが大事だ、というわけですが、そもそも歴史とは何でしょうか。ここでは歴史とは何か、その定義を細かくすることはいたしません。私が神学校時代に歴史神学を本格的に学び始めたときのことです。それまで私は、中学や高校のときに歴史を習ったことがありますが、本格的に研究をするようになったのは初めてでした。そこでまず学んだことは、純粋で中立な歴史はあり得ないということでした。何らかの歴史を書こうとするときに、そこに必ず歴史家の意図が入る。そのことを学んだのです。

歴史に意図が入るというのは、具体的に言うとどういうことでしょうか。確かに出来事としての事実は一つなのかもしれません。いつ、どこで、誰が、どういうことをしたという事実は一つです。しかしその出来事を取りあげて歴史記述をするとなると、歴史を書く人が編集し、書いていくのですから、必ず歴史家の意図が入ることになります。

それでは歴史の年表はどうなのか、ということを考える方もあるかもしれません。確かに文章を記述していくならば、歴史家の意図が入るかもしれないけれども、どんな出来事が起こったのかということを羅列していく年表ならば純粋な歴史ではないか、そう考える方もあるかもしれません。しかし残念ながら、年表もまた純粋な歴史にはなり得ない。年表作成者の意図が必ず入ることになります。なぜか。その年表を作成する場合に、いつから始めるのかが問題になります。そして、いつ終えるのかも問題になります。さらに、何をその年表の中に加え、何を省くのか、そのこともまた一つの大きな問題になります。年表として完成したとき、もうすでに歴史家の意図が入った年表になっているというわけです。

本日、私たちに与えられた聖書箇所は、使徒言行録の最後の箇所になります。使徒言行録という文書の最後のところ、一つの歴史記述の終わりの部分ということになります。私たちの松本東教会では一年数か月にわたって、この使徒言行録から御言葉を聴き続けてまいりました。

この使徒言行録を書いたのはルカという人です。ルカによる福音書を書いたルカと同一人物です。ルカは歴史家です。世界の歴史の中に起こった出来事として、第一部のルカによる福音書を、第二部の使徒言行録を書きました。そしてもちろん、ルカは単なる出来事を記述したのではありません。明確な意図をもって、これら二つの書を書きました。

ここでそれぞれの書の冒頭部分を改めてお読みしたいと思います。ルカによる福音書の書き出しはこうなっています。「わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。そこで、敬愛するテオフィロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かっていただきたいのであります。」(ルカ一・一~四)。

ルカがテオフィロという人物に宛てて伝えたいことがあった。イエスというお方が、十字架にお架かりになり、復活をされ、私たちの救い主となってくださった。そのことを伝えるという明確な意図をもって歴史を記述したのです。ルカによる福音書では、イエスという人が一体誰なのか、それが一大テーマでありました。

使徒言行録の冒頭はどうか。こうあります。「テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。」(一・一~二)。ここにもやはりテオフィロが出てきます。第一巻としてイエス・キリストのことを書いた。そして今、第二巻として教会の始まりを書こうとしている。ルカは最初からその意図を明確にして、使徒言行録を書いていったのです。

そして今日、私たちはこの使徒言行録から御言葉を聴くことを終えようとしています。特に最近、私たちが聴いてきました話の流れからすると、パウロはこのとき裁判にかけられていました。地方の裁判では決着がつかず、パウロはローマ皇帝に上訴をしましたので、今はローマにやって来ていたのです。その裁判の行方はどうなったのでしょうか。

あるいは、パウロは最後には殉教したと言われています。その殉教の様子がどうだったのか。ルカが使徒言行録を書いた年代を考えると、ルカはそのことを知っていたはずです。しかしそれは不明のままにして、ルカはここで筆を置いた。一つの物語として、歴史記述として、もしかしたら簡潔された形にはなっていないかもしれません。こういう終わり方を、オープン・エンドと呼ぶ人もいます。一応終わりなのだけれども、閉じられていない、オープンな形だから、そう呼ぶのです。

本日、私たちに合わせて与えられた旧約聖書のヨナ書もまた同じような形になっていて、閉じられた形で終わってはいません。ヨナは神からニネベの町に行きなさいと言われます。しかしヨナは拒否して、ニネベとは反対方向に逃げるために、船に乗ります。嵐に遭い、海に投げ込まれて、三日三晩、大魚の腹の中で過ごします。そして陸に吐き出され、今度はニネベに向かいます。そして悔い改めるように人々に伝えます。そうするとニネベの町の人たちは見事に悔い改めてしまい、神が下そうとしていた災いが起こらなくなってしまいます。

そのことがヨナにとって不満でした。神の言葉を取り次ぐ者として、災いがこれから起こるぞ、と言っていたのに、神がニネベの町の人たちが悔い改める様子を見て、考えを変えてしまい、災いが起こらなかった。ヨナにとっては嘘つき呼ばわりされてしまうことになりかねません。ヨナは不満を抱く。それに対して、神からの問いかけがありました。四節にこうあります。「お前は怒るが、それは正しいことか」(ヨナ四・四)。九節にもほぼ同じ言葉があります。

それに対し、ヨナはこう答えます。「もちろんです。怒りのあまり死にたいくらいです。」(ヨナ四・九)。そうすると神は言われます。「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」(ヨナ四・一〇~一一)。

ヨナ書はここで終わりです。私たちの気になることとしては、ヨナは神に対して一体どのような言葉で答えたのかということです。あるいは沈黙してしまったのかもしれませんが、そのことも含めて、ヨナの答えは記されていません。こう書き終えることによって、私たちに答えを委ねている。あなたはどう答えるのか。そのことが問いかけられています。これもまた、オープン・エンドな終わり方です。

聖書という書物は、そもそもオープン・エンドな形で終わっていると言えるかもしれません。聖書それ自体ですべてが完結することはあり得ません。私はもう信仰を得たのだから、イエス・キリストのことが分かったのだから、聖書から卒業しますなどということはあり得ないのです。新約聖書の最後の箇所であるヨハネの黙示録の最後のところも、「主イエスよ、来てください」(黙示録二二・二〇)と記され、最後の最後が祝福の言葉になっています。来てください、と言うからには、まだ来ていない、つまり主イエスが再び来られるのを待っているのであって、閉じられていないということになります。

このようなオープン・エンドである聖書に触れていますと、私たちも問いの前に立たされることになります。「さあ、あなたはどうする」と問われているのです。その問いの前に立たされ、答えが二分されます。信じる者と信じない者の二つに分かれるのです。

本日、私たちに与えられた聖書箇所にも、まさにそのことが書かれています。まず書かれていることは、ユダヤ人たちとのやり取りがあったということです。ローマでは、今までのユダヤ人とは違い、話の分かる人たちがたくさんいたようです。平和のうちにパウロはそのユダヤ人たちと会い、言葉を交わしています。その人たちがパウロからイエス・キリストの話を聴く。その結果、どうなったかと言うと、二四節に記されています。「ある者はパウロの言うことを受け入れたが、他の者は信じようとはしなかった。」(二四節)。

ある求道者の方と話をしていたときに、やはりこのような二つに分かれる結果になるということを、私も実感しました。この求道者の方は、かなりはっきりした考えを持っておられる方です。その方と聖書のこと、信仰のことを話していると、一致しないことがもちろん多く出てきます。私はこう考えるけれども、その方はそうは考えない。私は信じるけれども、その方は信じない。まさにこの二四節のように二つに分かれる。

その上で、一つだけお互いに合意したことがあります。それは、「イエス・キリストが神の子かどうか、それはこの先もずっと問われ続ける」ということです。私とその方が二つに分かれていますが、それは何もそこだけの話ではなく、二千年前のパウロもそうだったし、千年前もそうだったし、今も、そしてこれからもずっとそうなるということです。

イエス・キリストを信じるかどうかについて、二六~二七節のところで、パウロはイザヤ書を引用してこう言っています。「この民のところへ行って言え。あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、耳で聞くことなく、心で理解せず、立ち帰らない。わたしは彼らをいやさない。」(二六~二七節)。

このイザヤ書の箇所は、主イエスも引用をなさった箇所として知られています。種を蒔く人の譬え話をされたときに、弟子たちはなぜ譬え話で語られるのかと質問をしました。その質問に答える形で、このイザヤ書を引用し、譬え話で語るのは聴いて理解して信じる者と、聴いても信じない者に分かれるためだとお答えになられています。信じる者と信じない者に分かれる、主イエスのときもそうでした。そして主イエスが天に上げられ、使徒言行録の始まりのところもまたそうでした。教会はずっとその歩みを続けてきたのです。

先週の木曜日から金曜日にかけて、一泊二日でこどもの教会の夏期キャンプが行われました。疲れも覚えましたが、多くの参加者が与えられ、恵まれたときになり感謝しています。先週の説教でも触れましたが、夏期キャンプのテーマは「バベルの塔と救い主イエス・キリスト」でした。ごく簡単に言うと、バベルの塔の話は人間の罪によって言葉が通じなくなってしまったということです。その通じなくなった言葉が、再び通じるときがやってきた。それが使徒言行録第二章に書かれている出来事です。ペンテコステ、聖霊降臨日の出来事と言いますが、十二人の使徒たちに聖霊が注がれて、十二人が十二の言語で神の言葉を語りだしたという話です。

このテーマのもとに、三つのグループに分かれて劇の練習をし、発表をしました。三つのグループともにそれぞれ独自のカラーを出していて、観ていてとても面白かったのですが、二番目のグループの劇にこんな演出がありました。ペンテコステの場面で、使徒たちが神の言葉を語り、信じた者たちが集まって一つの輪を作ります。それが教会です。そして輪になっている横に、神の言葉を聴いても信じることができない人たちが通り過ぎて行きます。「あの人たちはなぜ信じているのか、理解できない」というようなセリフを言って、通り過ぎていくのです。

私はその劇を見て、そのグループの演出の仕方は、聖書をよく理解していると思いました。使徒言行録の第二章のペンテコステの出来事のときもまた、信じる者と信じない者に分かれた。つまり教会の内と外に分かれた。使徒言行録を書いたルカは、最初から最後までその様子を書いたということになります。

こういう形で使徒言行録が閉じられていることに関して、もしかしたら物足りなさを感じておられる方もあるかしれません。信じる者と信じない者が分かれたという形ではなく、もう全員の者たちが信じて、大きな教会が建ったのだ、めでたし、めでたしで終わった方がよいと思う方もあるかもしれません。ある人は使徒言行録が未完成のまま終わったのではないかと考えます。しかしそんなことはないのです。ルカは明確な意図をもってここで筆を置いた。教会に生きている信仰者は、ルカが書いたこの終わり方で物足りないなどとは感じないのです。

キリスト者たちは、この使徒言行録の終わり方をどのように受け止めてきたのでしょうか。あるキリスト者が、この方は牧師ではなく信徒ですが、『わたしの使徒行伝』という本を書きました。新共同訳の「使徒言行録」ではなく「使徒行伝」となっていますが、自分の信仰生活を振り返って書いた自伝ですが、それに「わたしの使徒行伝」というタイトルを付けました。使徒言行録の続編として、自分のことを書いたわけです。

ある牧師は今日の聖書箇所を説教するにあたり、「使徒言行録二九章へ」という説教題を付けました。使徒言行録の第二八章がこのように閉じられている形を受けて、私たちの話が続いていく。それが第二九章になるのだという説教をしています。私が今日付けた説教題は「続・聖書物語」です。私たちの聖書物語が続いている。聖書は一応このように閉じられたけれども、オープンであって、まだその先が、しかも私たちの話が続いていく。キリスト者たちはそのようにこの使徒言行録を受け止めて来たのです。

先週の説教でも触れましたが、使徒言行録にはエルサレムからローマへの流れがあります。使徒言行録の冒頭の話の舞台はエルサレム、そして終わりの舞台はローマです。使徒言行録の最初の説教は昨年の五月五日でしたが、その説教の終わりのところで、このように申し上げました。第一章八節の言葉「そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」をお読みした上で、こう申し上げました。

「今後、使徒言行録から御言葉を聴き続けいく私たちにとって、この言葉はとても大切な言葉です。この言葉は、使徒言行録全体の目次であると言われることがあります。つまり、使徒言行録の最初の部分がエルサレムの話、中盤がユダヤとサマリアの全土での話、そして終盤が世界に向かっての話であるからです。使徒言行録がこのような道筋をたどっていき、教会が次々と建てられていく。教会の時が始まるのです。教会の時は、使徒言行録では完結していません。「地の果てに至るまで」、続けられていきます。私たちの教会もまた、使徒言行録の続きになります。神がお始めになった教会の時は、今もなお続いているのです。主イエスを信じて、救われる者たちが続々と起こされる。その者たちが集い、教会となる。その教会が次々とまた新しい記録を作っていく。私たちの教会の記録も、その中に含めることができます。新たな使徒言行録が、続々と起こされる。使徒言行録は今なお続いている物語なのです」。

使徒言行録はエルサレムからローマに至り、一応は閉じられました。しかしその後、ローマから私たちの町へと続いていく物語でもあるのです。

使徒言行録を読み終えた今、私たちはどのようなことを感じているでしょうか。使徒言行録には教会の始まりの様子が記されています。教会の広がりが書かれています。エルサレムから至るところへ、そしてローマへ。福音が広がったのですが、人を通して世界へと福音が広がっていった。それが使徒言行録の結論です。今の私たちのところへも、福音が人から人へと伝えられている。私たちはこの福音を手にしているのです。

今なお、信じる者と信じない者が分かたれてしまう、そんな同じ話が続いているかもしれません。しかし私たちは信じた者として、あるいはこれから信じる者として、神の言葉を聴いています。イエス・キリストが罪を背負って十字架にお架かりになり、私たちの罪が赦された。主イエスが私たちの救い主となってくださった。そのことを信じる者とされています。さあ、次は私たちが筆を執る番です。信じた者として、神が私たちの間に実現してくださったことを書けばよい。どんな小さなことでも構いません。それが私たちの聖書物語の続編になるのです。