松本教会 プロテスタント 日本キリスト教団松本東教会

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2014年7月20日(日)
説教題「キリスト者は結果を知っている」

説教者 本城仰太 牧師

新約聖書: 使徒言行録 第27章1〜44節

わたしたちがイタリアへ向かって船出することに決まったとき、パウロと他の数名の囚人は、皇帝直属部隊の百人隊長ユリウスという者に引き渡された。わたしたちは、アジア州沿岸の各地に寄港することになっている、アドラミティオン港の船に乗って出港した。テサロニケ出身のマケドニア人アリスタルコも一緒であった。翌日シドンに着いたが、ユリウスはパウロを親切に扱い、友人たちのところへ行ってもてなしを受けることを許してくれた。そこから船出したが、向かい風のためキプロス島の陰を航行し、キリキア州とパンフィリア州の沖を過ぎて、リキア州のミラに着いた。ここで百人隊長は、イタリアに行くアレクサンドリアの船を見つけて、わたしたちをそれに乗り込ませた。幾日もの間、船足ははかどらず、ようやくクニドス港に近づいた。ところが、風に行く手を阻まれたので、サルモネ岬を回ってクレタ島の陰を航行し、ようやく島の岸に沿って進み、ラサヤの町に近い「良い港」と呼ばれる所に着いた。かなりの時がたって、既に断食日も過ぎていたので、航海はもう危険であった。それで、パウロは人々に忠告した。「皆さん、わたしの見るところでは、この航海は積み荷や船体ばかりでなく、わたしたち自身にも危険と多大の損失をもたらすことになります。」 しかし、百人隊長は、パウロの言ったことよりも、船長や船主の方を信用した。この港は冬を越すのに適していなかった。それで、大多数の者の意見により、ここから船出し、できるならばクレタ島で南西と北西に面しているフェニクス港に行き、そこで冬を過ごすことになった。
ときに、南風が静かに吹いて来たので、人々は望みどおりに事が運ぶと考えて錨を上げ、クレタ島の岸に沿って進んだ。しかし、間もなく「エウラキロン」と呼ばれる暴風が、島の方から吹き降ろして来た。船はそれに巻き込まれ、風に逆らって進むことができなかったので、わたしたちは流されるにまかせた。やがて、カウダという小島の陰に来たので、やっとのことで小舟をしっかりと引き寄せることができた。小舟を船に引き上げてから、船体には綱を巻きつけ、シルティスの浅瀬に乗り上げるのを恐れて海錨を降ろし、流されるにまかせた。しかし、ひどい暴風に悩まされたので、翌日には人々は積み荷を海に捨て始め、三日目には自分たちの手で船具を投げ捨ててしまった。幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消えうせようとしていた。 人々は長い間、食事をとっていなかった。そのとき、パウロは彼らの中に立って言った。「皆さん、わたしの言ったとおりに、クレタ島から船出していなければ、こんな危険や損失を避けられたにちがいありません。しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。わたしたちは、必ずどこかの島に打ち上げられるはずです。」十四日目の夜になったとき、わたしたちはアドリア海を漂流していた。真夜中ごろ船員たちは、どこかの陸地に近づいているように感じた。そこで、水の深さを測ってみると、二十オルギィアあることが分かった。もう少し進んでまた測ってみると、十五オルギィアであった。船が暗礁に乗り上げることを恐れて、船員たちは船尾から錨を四つ投げ込み、夜の明けるのを待ちわびた。ところが、船員たちは船から逃げ出そうとし、船首から錨を降ろす振りをして小舟を海に降ろしたので、パウロは百人隊長と兵士たちに、「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたは助からない」と言った。そこで、兵士たちは綱を断ち切って、小舟を流れるにまかせた。夜が明けかけたころ、パウロは一同に食事をするように勧めた。「今日で十四日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。」こう言ってパウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。そこで、一同も元気づいて食事をした。船にいたわたしたちは、全部で二百七十六人であった。十分に食べてから、穀物を海に投げ捨てて船を軽くした。
朝になって、どこの陸地であるか分からなかったが、砂浜のある入り江を見つけたので、できることなら、そこへ船を乗り入れようということになった。そこで、錨を切り離して海に捨て、同時に舵の綱を解き、風に船首の帆を上げて、砂浜に向かって進んだ。ところが、深みに挟まれた浅瀬にぶつかって船を乗り上げてしまい、船首がめり込んで動かなくなり、船尾は激しい波で壊れだした。兵士たちは、囚人たちが泳いで逃げないように、殺そうと計ったが、百人隊長はパウロを助けたいと思ったので、この計画を思いとどまらせた。そして、泳げる者がまず飛び込んで陸に上がり、残りの者は板切れや船の乗組員につかまって泳いで行くように命令した。このようにして、全員が無事に上陸した。

旧約聖書: 詩編 第107編23~31節

本日のこの礼拝は献堂記念礼拝として献げられています。毎年、この時期にこのような礼拝を行っています。私たちが今、礼拝をしているこの会堂は、一九八〇年七月に与えられた会堂です。今から三四年前、新しい会堂での礼拝が開始され、また会堂が与えられたことを記念する特別な集会「会堂落成祝謝会」が七月末に行われました。だから毎年、七月のこの時期に献堂記念礼拝を行っているのです。

私たちの教会は今年、教会設立九〇周年を迎えます。しかし会堂を初めて持ったのは今から三四年前です。この会堂が初めてです。それまで会堂はありませんでした。戦後、私たちの教会は少なくとも七か所で礼拝を行ってきました。幼稚園であったり、教会員宅であったり、公民館であったり、定住できたことはありませんでした。移動があると、リアカーで荷物を引いていった時代もあったと聞いています。教会の九十年の歴史、それに正式な教会となる前の八年間も加えると、九十八年の歴史のうち、およそ三分の二は会堂を持たずに歩んできました。それでも教会として歩んで来たのです。

だんだんと会堂を建てようという意見が大きくなってきたのが、今から三十数年前になります。しかし他方で慎重な意見も多くあったようです。当時の牧師であった和田先生がその筆頭者でした。この教会が発行している教会報『おとずれ』に、和田先生の文章が載っています。会堂をさあ、これから建てようというときの文章です。「会堂のあることによって信仰の堕落を恐れることを考えると今なお消極的にならざるを得ない」。「会堂が出来たからと言って教会の問題が解決するとは思っていません。会堂を生かすも殺すも、信仰次第だと思います」。

牧師ならではの意見と言えるかもしれません。今まではずっと会堂がなくやってきた。それでも教会であることができた。教会員を結び合わせていたのはただ一つ、信仰、それだけでした。会堂がない分、その意識も強かったかもしれません。しかし会堂ができる。目に見えるものができる。それに依存するなということです。まるで会堂が私たちを一つに結び合わせているように考えるなということです。

実際に会堂が与えられて、三四年間、この場所で礼拝が守り続けられてきました。当時は、礼拝堂に十数人ほどの人数であったようです。しかし一九八〇年以降、礼拝出席者数が右肩上がりで増加してきました。『七十年史』の最後のところにそのグラフがありますが、会堂を与えられた年から右肩上がりになっていることが分かります。

今ではこの会堂いっぱいの人数が与えられるようになってきました。だんだんと会堂が狭くなっている。今年、九十周年を迎えるわけですが、九十年から百年の十年間をどう歩むか。会堂のことを避けて通るわけにはいきません。和田先生が言われた「会堂を生かす」ためにどうするか。「信仰次第」という言葉をどう受け止めるか。今の私たちに問われているのはそのことだと思います。

キリスト教会の長い歴史の中で、教会の歩みはしばしば舟に譬えられてきました。教会が舟である。私たち教会の者がその舟に乗り込む。そして航海をするのです。あるいは教会だけでなく、私たちの人生そのものも、舟に乗っていることに譬えられることもあるでしょう。私たちが舟を操る必要があります。自由に操ることができるときもあれば、そうでないときもあります。高波に襲われ、風が吹き、嵐に遭うこともあります。目的地を定め、その港に辿り着くことできるかということになります。

聖書の中にも、舟の話は案外多いものです。本日、私たちに与えられた聖書箇所もそうです。使徒言行録も残すところあとわずかになりました。今日は第二七章全体を一気にお読みしましたが、ここに書かれているのは詳細な航海の出来事です。かなり事細かく書かれています。使徒言行録を書いたルカは、なぜここまで細かく書いたのでしょうか。

ルカが書いてきた使徒言行録の後半では、パウロの旅が何度もなされます。いろいろなところに行き、説教を語り、教会を建ててきたことが記されています。あるときは船旅もしました。ある説教者が、使徒言行録の中で、これまでパウロが何回旅をしたのかを丁寧に数え上げてくれています。これまでに全部で二二回の旅をしてきたようです。もちろん回心して教会の伝道者になる前にも船旅をしたことはあるでしょう。パウロは船旅のベテランの域に達していたと思います。

しかし今までのその二二回の船旅は、そんな詳細には書かれていません。こっちからあっちへ移動したことが書かれているだけです。その点で、今日の聖書箇所だけが特別に詳しく書かれていることになります。ルカは一体何を特別に伝えたかったのでしょうか。

今日の聖書箇所以外にも、聖書の中にはたくさん舟の話、航海に関する話が出てきます。本日、私たちに合わせて与えられた旧約聖書の詩編第一〇七編もそうです。嵐に遭ったけれども、神に導かれて望みの港に着いたということが書かれています。他にも旧約聖書では、創世記のノアの洪水の話もそうです。ノアの家族と一部の動物たちが箱舟に乗って救われた話です。ヨナの話もそうです。神のご命令に背いて、神から逃れるように舟に乗ったら、大嵐に遭い、ヨナは海に投げ込まれて、大きな魚の腹の中で三日三晩を過ごす話です。

新約聖書にも舟の話がたくさん出てきます。そもそも主イエスの弟子たちの何人かも、もともとは漁師でした。主イエスに命じられて網を投げたら、今まで経験したことのないくらいの魚が獲れた、そんな大漁の話も記されています。主イエスと一緒に弟子たちが舟に乗り込み、向こう岸に渡ろうとしたら嵐に遭い、命も危なくなりましたが、主イエスが嵐を静めてくださった話もあります。

このように聖書の中に、いろいろな舟の話、航海の話を挙げることができます。教会が舟である。私たちの人生が船旅である。いろいろな意味が込められて、聖書の中でそのようなことが語られてきました。

それでは、本日、私たちに与えられた舟の話、航海の話から聴いていきたいと思います。かなり詳細にいろいろなことが書かれています。まずは話の流れをつかみたいと思います。

聖書の後ろにあります地図の九番をご覧ください。ここにはエルサレムからローマに向かっての旅のルートが記されています。クレタ島に来る辺りのところまでは旅は順調でした。しかし九節のところにこうあります。「かなりの時がたって、既に断食日も過ぎていたので、航海はもう危険であった。」(九節)。断食日を過ぎていたというのは、十月頃のことであるようです。当時の地中海は、九月頃になるともう危険と言われ、一一月から三月までは閉鎖されていたようです。荒れる海を航海することは非常に危険です。今とは違い、太陽や月や星だけが頼りになるのです。

そんなこともあって、当時の船乗りたちは絶対に無茶をしないわけです。冬場はどこかの港町で過ごす。そして春になってから船旅を再開するのです。しかしこのときは、危険になりつつある時期ではありましたが、舟に乗っている人数も多かったこともあり、冬を越すのに最適な場所に少しの距離だけ移動しようということになったのです。再び地図の九番をご覧ください。クレタ島の「良い港」から、島沿いに時計回りに少しだけ回って、フェニクス港へ行く。島の縁に沿って進めば大丈夫。多くの人はそう思っていたのです。

航海の経験が多かったパウロは反対します。しかしこの舟のリーダーであった百人隊長は、パウロの意見よりも他の者たちの意見を採用します。フェニクス港に向けて出発したのです。案の定、嵐に遭います。流されて、広大な地中海を漂うことになってしまうのです。

ところで、この舟に乗っていた人は、全部で「二百七十六人」(三七節)であったと記されています。このうちでキリスト者は一体何人いたでしょうか。ある説教者は三人であると考えています。パウロと、二節のところにあるアリスタルコと、ところどころ「わたしたち」と書かれているので著者のルカも乗船していたと考え、その三人ではないかと言うのです。

実際にどうであったのかはよく分かりません。しかしこの舟のキリスト者たちが、少数派だったことは間違いないでしょう。この舟に乗っていた全員の者たちが、少数派であったキリスト者によって、特にパウロによって、救われたということなります。少数のキリスト者による全員の救いの物語。ルカがこの箇所で詳細に航海の様子を書くことによって、読者にそのことを伝えたかったのではないかと思います。

パウロは航海のベテランではありましたが、舟の専門知識や操作技術で全員を救ったわけではありません。そうではなく、ただ神から伝えられたことを皆に話をすることによって、元気を与えたのです。二五節のところにこうあります。「ですから、皆さん、元気を出しなさい。」(二五節)。

パウロはなぜ、元気を出せと言うことができたのでしょうか。根拠なくこう言っているわけではありません。その直前の二三~二四節にこうあります。「わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』」(二三~二四節)。神からこう言われたならば必ずそうなるとパウロは信じていました。

根拠はこの箇所だけではありません。使徒言行録第二三章一一節にこうあります。「その夜、主はパウロのそばに立って言われた。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」」(二三・一一)。ここでは主イエスからパウロはこう言われているわけですが、パウロはこのような約束が必ず実現すると信じていましたので、この航海の途中で命を失うようなことは決してないと分かっていたのです。これからしばらくはどうなるのか、その途中経過は分からなくても、結果がどうなるのかは分かっていたのです。

先ほどもお読みしました二四節のところに、「神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。」(二四節)とあります。「任せてくださった」というのは、直訳ですと「賜物として与えられている」という意味ですが、新共同訳聖書の「任せてくださった」という翻訳も、なかなかよい翻訳であると思います。キリスト者のパウロに、舟に乗っている全員の者が任せられている。神からよろしくと言われているわけです。

私たちもキリスト者です。少数派です。しかし私たちには任せられている人たちがたくさんいるのです。舟に乗っていた少数のキリスト者に、「二百七十六人」(三七節)という人たちが任せられた。任せられた者として、元気を出せと言うことができる。途中経過は分からないけれども、結果は必ずこうなることが分かっていると、言うことができるのです。

ただ、この時点では「元気を出せ」と言っても、すぐに皆を元気にできたわけではありません。希望を抱いていたのはパウロ一人と、少数のキリスト者だけだったと思います。パウロの言ったことを皆が直ちに信じたというわけではありません。二七節のところに「十四日目」とありますが、少なくともこのくらいの日数は経たなければならなかったのです。

しかしパウロの言葉に、もう一つの出来事が付け加わります。水深を測ってみると、だんだんと浅くなっていっていることが分かったのです。つまり自分たちが陸地に近づいていることが分かったのです。

そこで改めて、パウロが皆を励まします。「夜が明けかけたころ、パウロは一同に食事をするように勧めた。「今日で十四日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。」こう言ってパウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。そこで、一同も元気づいて食事をした。」(三三~三六節)。状況も整って、一同もようやく元気づいて食事をすることができたのです。

ただ今お読みした三五節のところに「パンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて」とあります。主イエスが十字架にお架かりになる前夜の最後の晩餐のときに定めて下さった聖餐に非常によく似た言葉遣いが用いられています。これは聖餐のことが表わされているのだと考える人もいます。しかしこれは単にユダヤ人の食事前のしきたりだと考える人もいます。もちろん、この舟に乗っているキリスト者はごく少数ですから、その後の教会で行われてきた聖餐式そのものがここで行われたと言うことはできないでしょう。しかしこの食事は、神の恵みを分かち合う食事です。キリスト者が知っている恵みがあります。「さあ、あなたも食べて、元気になりなさい」と言うことができる。このようにして、みんなにも希望が少しずつ広がっていったのです。

このようにして、マルタ島に全員が無事に上陸することができました。しかし結局、舟は失われてしまいました。浅瀬に乗り上げ、舟は使い物にならなくなってしまったのです。舟が教会であると申し上げました。私たちの人生が舟の旅であると申し上げました。その舟が大破してしまう。なんと不吉なことかと思われる方もあるかもしれません。

しかし私たちの教会に三四年前に与えられた舟であるこの会堂だって、いつかはなくなるものです。新しい会堂を建てたところで、その会堂も遅かれ早かれなくなるものです。いつだって壊れてしまう可能性があるのです。どんな舟が与えられるのか、いつその舟がなくなってしまうのか、そのことは誰にも分かりません。

しかし舟がどうなろうとも、私たちは結果を知っています。本日、私たちに与えられた旧約聖書の箇所のように、結果が分かるのです。「苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、主は彼らを苦しみから導き出された。主は嵐に働きかけて沈黙させられたので、波はおさまった。彼らは波が静まったので喜び祝い、望みの港に導かれて行った。」(詩編一〇七・二八~三〇)。「望みの港」に導かれる、途中経過は知らなくとも、その結果だけは知っている。そのことを希望にして歩むことができるのです。