松本教会 プロテスタント 日本キリスト教団松本東教会

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2014年4月13日(日)
説教題「富ではなく神に仕えよう」

説教者 本城仰太 牧師

新約聖書: 使徒言行録 第19章21〜40節

このようなことがあった後、パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心し、「わたしはそこへ行った後、ローマも見なくてはならない」と言った。そして、自分に仕えている者の中から、テモテとエラストの二人をマケドニア州に送り出し、彼自身はしばらくアジア州にとどまっていた。そのころ、この道のことでただならぬ騒動が起こった。そのいきさつは次のとおりである。デメトリオという銀細工師が、アルテミスの神殿の模型を銀で造り、職人たちにかなり利益を得させていた。彼は、この職人たちや同じような仕事をしている者たちを集めて言った。「諸君、御承知のように、この仕事のお陰で、我々はもうけているのだが、諸君が見聞きしているとおり、あのパウロは『手で造ったものなどは神ではない』と言って、エフェソばかりでなくアジア州のほとんど全地域で、多くの人を説き伏せ、たぶらかしている。これでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるばかりでなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう。」これを聞いた人々はひどく腹を立て、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫びだした。そして、町中が混乱してしまった。彼らは、パウロの同行者であるマケドニア人ガイオとアリスタルコを捕らえ、一団となって野外劇場になだれ込んだ。パウロは群衆の中へ入っていこうとしたが、弟子たちはそうさせなかった。他方、パウロの友人でアジア州の祭儀をつかさどる高官たちも、パウロに使いをやって、劇場に入らないようにと頼んだ。さて、群衆はあれやこれやとわめき立てた。集会は混乱するだけで、大多数の者は何のために集まったのかさえ分からなかった。そのとき、ユダヤ人が前へ押し出したアレクサンドロという男に、群衆の中のある者たちが話すように促したので、彼は手で制し、群衆に向かって弁明しようとした。しかし、彼がユダヤ人であると知った群衆は一斉に、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と二時間ほども叫び続けた。そこで、町の書記官が群衆をなだめて言った。「エフェソの諸君、エフェソの町が、偉大なアルテミスの神殿と天から降って来た御神体との守り役であることを、知らない者はないのだ。これを否定することはできないのだから、静かにしなさい。決して無謀なことをしてはならない。諸君がここへ連れて来た者たちは、神殿を荒らしたのでも、我々の女神を冒涜したのでもない。デメトリオと仲間の職人が、だれかを訴え出たいのなら、決められた日に法廷は開かれるし、地方総督もいることだから、相手を訴え出なさい。それ以外のことで更に要求があるなら、正式な会議で解決してもらうべきである。本日のこの事態に関して、我々は暴動の罪に問われるおそれがある。この無秩序な集会のことで、何一つ弁解する理由はないからだ。」こう言って、書記官は集会を解散させた。

旧約聖書: コヘレトの言葉 第5章17~6章2節

聖書に書かれていることは、たとえ昔話であっても昔話ではありません。聖書には様々なことが書かれています。神がどのようなお方なのか。イエス・キリストが何をしてくださったのか。聖霊がどのように私たちを導いてくださるのか。それだけではありません。人間がいかに罪深いか。同じ過ちを繰り返してきたか。人間がどのような苦悩を抱えてきたか。そんなことも聖書には書かれています。

私たちが考え、悩み、苦しむ問題は、すべて聖書に取りあげられているといっても過言ではありません。私も以前、信仰者としてまだ歩み始めて間もない頃、ある牧師からこのように言われたことをよく覚えています。「おおよそ私たちが抱える問題はすべて聖書に書かれている。だから悩んだとき、私たちは自分で答えを探す必要はない。もうすでに悩んで、その上で解決できた人が大勢いるのだから、聖書からその答えを探せばよい」。そう力強く語られた牧師の言葉をよく覚えています。

本日、私たちに与えられた使徒言行録の聖書の箇所も、同じことが言えます。エフェソの町で、かつて起こった昔の出来事と言えるかもしれません。しかしこれも決して昔話として片づけるわけにはいかない話です。聖書は今も昔も、そして将来にわたって変わることのない問題を取り上げているのです。

ごく簡単に言いますと、本日の聖書箇所に書かれていることは、福音と文化の対立です。パウロがイエス・キリストによる福音を宣べ伝えます。福音とはよき知らせです。イエス・キリストが救い主になってくださった、神が救ってくださった、パウロはそう語ります。しかしそのことによって、今までになかった考えが入り込んでくる。誰も思いもよらなかった考えです。それゆえに自分たちの今までの考えややり方が変えられてしまった気分になる。いわば自分たちの文化が壊されたと感じるのです。

もちろん実際に福音は文化を積極的に壊すのではありません。破壊ではなく変革と言った方がよいでしょう。本当にその考え方でよいのか、本当にその価値観でよいのか、人間として本当にその生き方でよいのか。福音はそのことをうやむやにはしません。その問いに取り組むように迫ります。そのときに必然的に生じるのが、福音と文化の対立です。教会の二千年の歴史は、いつもその問題が生じていたと言っても過言ではありません。日本に福音が入ってきたときもそうです。そして今もなお、その問題は続いています。福音と文化の対立をどう考えればよいのでしょうか。どう乗り越えればよいのでしょうか。

本日、私たちに与えられた聖書箇所から、このことを考えてみましょう。具体的にはどのようなことが起こったのでしょうか。アルテミスの神殿をめぐって、騒動が起こってしまいました。騒動の発起人になったのは、デメトリオという銀細工職人でした。

アルテミスについて、少し説明を加えておいた方がよいかもしれません。アルテミスとは、ギリシアの女神の名前で、豊穣多産の神として知られていた神々の中の一つです。アルテミス神殿というものが存在し、かなり大きな神殿であったようです。この建造物がどのようにして建てられたのか、古代世界の七不思議の一つに数えられているようです。この神殿は戦争や放火によって何度か壊されてしまいましたが、何度も再建されました。大きさは、幅が七〇メートル、奥行き一二〇メートル、高さ一九メートルの一二八本の柱があったようです。

このアルテミス神殿を、ビザンチウムのフィロンという人はこのように記しました。「私は、バビロンの城壁と空中庭園、オリンピアのゼウス像、ロードス島の巨像、大ピラミッドの偉業、そしてマウソロスの霊廟までも見た。しかし、雲にそびえるエフェソのアルテミス神殿を見たとき、ほかの不思議はすべて陰ってしまった。エフェソのアルテミス神殿は、神々のただひとつの家である。一目見れば、ここがただの場所ではないことがわかるだろう。ここでは、不死なる神の天上世界が地上に置かれているのである」。

フィロンという人がこのように表現するくらい、この神殿は相当に有名だったようです。二七節のところで、デメトリオが「これでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるばかりでなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう」と言っていますが、これは決して誇張ではありません。有名な神殿として、ローマ世界の各地から観光客が絶えなかったわけです。

銀細工師とは、このアルテミス神殿の模型を作っている人たちです。観光客のお土産です。デメトリオはパウロたちのせいで、自分たちの仕事に悪影響が出始めてしまった、あるいはこれから悪影響が出そうだと言って、非難をしてきたのです。女神アルテミスを大切に、一見そのようにギリシアの神々を大切にする信仰的なことを言っているように聞こえるかもしれませんが、実際のところは観光産業への打撃から、そのように非難したというのが本当のところでしょう。自分たちの既得権益が壊される。アルテミスを大切にするようで、結局は自分が大事だったのです。

自分を大事にしたのは、デメトリオだけではありません。今日の聖書箇所の後半のところに、書記官が出てきます。政治家です。名前は記されていませんが、この人もまた、暴動が起きたことにより、政治家としての打撃を被りそうになり、これはまずいと思った人です。

デメトリオを発起人とする抗議集会は、かなりの人数に膨れ上がったようです。二九節に「野外劇場」という言葉があります。文字通りそのような場所ですが、この野外劇場には二万五千人も収容することができたようです。単なる劇場ではなく、政治の場でもありました。エフェソはかなり民主的な都市でもあったようです。しかしこのときはどうだったでしょう。とても政治とは言える状況ではありませんでした。「さて、群衆はあれやこれやとわめき立てた。集会は混乱するだけで、大多数の者は何のために集まったのかさえ分からなかった。」(三二節)。

混乱に収拾がつかない状況です。書記官にとって、これはかなり困った状況でした。なんとか群衆をなだめなくてはなりません。この書記官の発言が三五節から四〇節にかけて、長々と記されています。一見すると、この書記官は教会寄りで、パウロの肩を持つかのような発言をしています。実際にこの発言のおかげで、騒動が止んだようです。

しかしこの書記官もまた、自分のことばかりを考えていました。なぜなら、四〇節のところにこう書かれています。「本日のこの事態に関して、我々は暴動の罪に問われるおそれがある。」(四〇節)。「我々」です。自分も含めています。発起人のデメトリオだけでなく、自分もまた責任を問われてしまう。自分が治める領内でもめ事が起こってうまく治めることができなければ、自分が更迭されてしまうかもしれないのです。政治家として悪評を被ってしまう、それは困るのだと、この書記官は考えていました。

このように福音が入ってくると、困ってしまう人たちが必ず現れることになります。デメトリオたち銀細工職人もそうでした。自分たちの仕事に支障が出てくる。政治家たちもそうでした。静かにしているうちはいいけれども、お願いだからもめ事が起こる事態は避けてくれ、そんなところでしょう。自分たちのそれまでのやり方が壊されるかのように感じるのです。それが、福音と文化の対立です。

この対立はいつの時代でも、どんな場所においても起こることです。日本においてもそうです。明治の初めに、西洋文明とともに福音も日本に入ってきました。西洋文明は欲しいけれども、キリスト教会の信仰までは要らないと考えた人も多いでしょう。戦時中は特に教会が迫害されました。戦時中の日本の考え方に信仰がそぐわないと考えられたからでしょう。

このことは何も国家とか社会とか、そんな大きなところばかりではありません。誰一人キリスト者のいない家庭の中に、新たにキリスト者が生まれる。家族にとってはあまりいい顔色をされないこともあります。自分たちの家庭の中にイエス・キリストが入ってくる、それは困るというように考えられてしまう。これも福音と文化の対立です。

福音と文化の対立について、ご紹介をしたい一つの文章があります。本日、教会員の皆さまにお配りした長老会報告にも書きましたが、今年の六月、東京神学大学の芳賀力学長をお招きする予定です。日曜日の礼拝の説教もしていただく予定ですが、それだけでなく、「日本伝道協議会」という集会が開かれます。毎年、行われているものですが、今年は東京ではなく地方で、松本で行われる予定になっています。

この「日本伝道協議会」の昨年の芳賀先生の講演の文章を読む機会がありました。講演の題目は「現代社会に伝道する牧師」というタイトルです。その中に、福音と文化のことについて書かれている内容がありました。福音と文化は対決をすることがある。しかし大切なのは対決だけでなく、福音によって文化を変革していくことだ、という内容です。

私たちが福音の伝道をするとき、うまくいく場合もあれば、なかなかうまくいかない場合もあります。神や救いを求めている人に対しては、福音をそのまま語ればよいわけです。しかし問題なのは、それをすら求めようとしない人です。今の自分で満足している。今、浸っている自分の文化を特に変える必要はないと思っている人たちです。芳賀先生はそのようなとき、こうするべきだと言っています。

「その方たちにただオウム返しに福音を語っても何のことか分からず、大上段に構えてその必要性をいくら力説しても空回りするだけで、かえって拒否反応の憂き目に遇ってしまう。この場合には、むしろ寄り添って対話するように、その絶対と思っている自明の世界観が十分であるのかを問い直し、そこに綻びはないのか、破綻の予兆はないのか、このまま行って大丈夫なのかを一緒に考えることが有効である。自分で綻びに気づかない場合も、原ストーリー〔つまり福音〕との出会いによってほころびが示唆されることがある。…破綻を経験した人、破綻の可能性に気づき始めた人に対して私たちがなすべきことは、人生の選択肢として、代替案を提示してあげることである。そしてさらにはそれが、否、それこそが、あなたの求めていたことの本当の成就なのだと教え、それを心から納得してもらうことである。」(『伝道と神学』第四巻、三八~三九頁)。

いろいろなことが言われていますが、最初から福音を受け付けない人には、寄り添って対話をする必要があると言います。最初のうちは福音を直接語ることができなくとも、ねばり強くその相手と一緒に歩んでいくのです。そのうちチャンスが生まれます。

その点でとても興味深いのは、本日の聖書箇所の三一節のところです。「パウロの友人でアジア州の祭儀をつかさどる高官たちも、パウロに使いをやって、劇場に入らないようにと頼んだ。」(三一節)。パウロに友人たちがいました。この人たちは明らかにキリスト者ではありません。異教徒たちです。しかし友だちです。パウロもエフェソに長く滞在する間、福音を直接語ることはなかったとしても、このような交わりを持っていたのです。

福音と文化が対立してしまったとき、私たちのすべきことは、火に油を注ぐようなことでもなく、そこから撤退することでもありません。そうではなく、一緒にねばり強く旅をする必要があります。そのことを踏まえた上で、芳賀先生はさらに言われます。

「神がナザレのイエスにおいて始められた神の良き支配の中に、人生のあらゆる問いに対する答えがある。いやもっと端的に言えば、ただ神こそが人間の最も深い絶望に対する究極の答えであり、その神とは、十字架につけられたナザレのイエスにおいて私たち人間のための神として現れてくださった方だということである。必要なことはそのことを、まだ人生の問いに答えを見出していない人々に知らせること、まだ問いすら持ちえない人々に正しく問うことを教え、その答えを聖書の中に探し求める旅を一緒に始めるということである。」(同掲書、三五頁)。

あらゆる問いに対する神からの答えが、イエス・キリストにあります。私たちがどのような問題に悩み、苦悩したとしても、神が独り子をお与えになるほどに世を愛しておられること、それが答えになります。他ならぬあなたを愛しておられる、その答えを伝えるために、私たちはその相手と一緒に旅路を歩むのです。その旅路を一緒に歩み始める。それが私たちのすべきことなのです。

使徒言行録に記されているパウロたちは、このときどう対応しようとしたのでしょうか。実際のところ、何もできませんでした。パウロは群衆の中に飛び込んで行こうとしましたが、止められてしまいました。今日の聖書箇所の中で、最初の二一節と二二節を除いては、パウロたちが主体的に行動している箇所はほとんど見当たりません。デメトリオたちの行動とか、書記官の行動が記されているのみです。来週の箇所の第二〇章一節には「この騒動が収まった後」とありますが、いつの間にか騒動が収まっていました。本当に何もできなかったのです。

ただパウロが主体的に動いているように思えるのは、二一節と二二節です。パウロはエルサレムにまず行き、その後ローマに目標を設定しています。おそらくこのときのパウロは諸教会を励ましたうえで、諸教会からの献金を携えてエルサレム教会へ行くつもりでした。そしてそれをなした上で、ローマに行こうとしたのです。

この箇所で、パウロのそのような決心がさらりと書かれているところがありますが、他の翻訳の聖書は少しニュアンスが違います。かつての口語訳聖書では「パウロは御霊に感じて」となっています。新改訳聖書では「パウロは御霊の示しにより」とあります。元のギリシア語では、霊において決心をしたというニュアンスです。パウロは聖霊の導きによって、このように行動をしようと考えたのです。

福音と文化が対立するとき、パウロがここで何もすることができなかったように、私たちも何もできないかもしれません。しかし必ず聖霊の導きが与えられます。実際にパウロはそうでした。エフェソでは何もできなかったけれども、聖霊に導かれてその後、歩み始めた。私たちもそうです。対立が生じるような場合であっても、その相手に寄り添って一緒に旅路を歩んでいれば、生き方について話し合ったり、相手が悩んでいることを聞いたりすることができるかもしれません。すべて聖霊の導きによってそのようなチャンスが与えられます。十字架にお架かりになった主イエスを伝えるチャンスも、やがて必ずおとずれるでしょう。何もできない、ではなくて、必ず私たちが働くときが与えられる。聖書に書かれている昔話から、今の時にも通用するそのような答えを見出すことができるのです。