松本教会 プロテスタント 日本キリスト教団松本東教会


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2014年3月9日(日)
説教題「神がしてくださることを、しっかり見よう」

説教者 本城仰太 牧師

新約聖書: 使徒言行録 第18章1〜11節

その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払って言った。「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。」パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。会堂長のクリスポは、一家をあげて主を信じるようになった。また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた。ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。

旧約聖書: 詩編 第46編

本日、私たちに与えられた使徒言行録の聖書箇所は、パウロの第二回目の伝道旅行の最中の出来事です。伝道仲間であるシラスとテモテとは別れて、別行動をしていました。先週の聖書箇所ではギリシアのアテネにいましたが、今日の箇所でコリントに移動しています。アテネでの伝道が思うようにいかなかったのかもしれません。アテネを去り、パウロはコリントにやって来ました。

このコリントの町でありますが、当時は非常に大きな町でありました。人口もそうですが、アテネをしのぐ経済力を誇った町です。それと同時に、倫理的にも乱れていたところがある町だったようです。パウロがその後、コリント教会に宛てて何度か手紙を書いています。その手紙の中にも見られる言葉ですが、「すべてのことが許されている」、そんなスローガンさえあったようです。それに対してパウロは「すべてのことが許されている」、けれども「すべてのことが益になるわけではない」とやり返しました。当時のローマ帝国の中で、「コリント的」「コリントする」という言葉があったようです。「コリント」という固有名詞、町の名前に「的」「する」という言葉をくっつけたのですが、それは倫理的な乱れを指す言葉として使われたようです。

コリントの町がそのような町だったのですが、コリント教会の内側にもそのような問題が入り込んできました。だから、パウロは教会の創設者として、何度もコリント教会に宛てて手紙を書かなければなりませんでした。倫理的な問題について書き送るのも、その一つの理由でした。いずれにしてもパウロにとって、このコリントの町は相当思い入れの深い町になったようです。

本日の聖書箇所の二節のところにこうあります。「クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。」(二節)。この命令が出されたのは、紀元四九年頃であると言われています。聖書の歴史家たちにとって、非常に貴重な証言がここにあるわけです。パウロの伝道旅行の道順は使徒言行録の記事をたどっていけばだいたい分かるのですが、それがいつだったのかが問題です。しかしこの二節の記述からそのことが分かってくる。歴史的にはとても貴重な箇所です。

さらに貴重な箇所ですが、三節にこうあります。「職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。」(三節)。パウロはもちろん伝道者だったわけですが、仕事をしていなかったわけではない。どんな仕事をしていたかと言うと、三節に「テント造り」職人であったと書かれているわけです。テントは革で作られていましたので、革なめし職人だったのではと考える人もいます。いずれにしても、パウロはこのときまでは自分で働いて生計を立てていました。四節のところに「安息日ごとに」とありますが、安息日は土曜日です。それ以外は何をしていたのか。仕事をしていました。平日は働いて、土曜日に御言葉を語る奉仕をしていたことになります。それがパウロのこれまでの生活でした。

ところが、五節からその生活様式が一変します。シラスとテモテが合流します。マケドニア州からやって来たと書かれていますが、マケドニア州とは、トルコから海を渡り、ギリシアに入った辺りの地域のことです。このマケドニアにフィリピという町がありました。

フィリピの信徒への手紙の第四章一五~一六節にかけて、こうあります。「フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。また、テサロニケにいたときにも、あなたがたはわたしの窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました。」(フィリピ四・一五~一六)。フィリピ教会がパウロの伝道を支えるために、献金や献品をしてくれたことが書かれています。パウロのところにシラスとテモテが合流したわけですが、どうやらフィリピ教会からの献金を持ってきてくれたようです。

これによって、パウロの生活が変わりました。経済的に伝道を支えてくれるようになりました。もちろん、コリント教会がパウロの生活を支えればよかったのですが、まだコリント教会は始まったばかりです。その基盤がありませんでした。そこでフィリピ教会が支えてくれた。伝道者としてのやり方が変わりました。五節にある通り、「パウロは御言葉を語ることに専念」するようになったのです。

私もパウロと同じように伝道者です。職業を答えなければならないとすれば、牧師と答えます。今では牧師はすっかり専業の牧師になりました。もちろん、教会によっては経済的に困難なところもありますので、生計を立てるために牧師が副業をしているところもあります。しかし基本的に牧師は教会から謝儀をいただき、生活をしています。

教会では謝儀と言うのです。給与とか給料とは言いません。なぜでしょうか。それは、次のような明確な考え方があるからです。牧師は無償で伝道をします。いくら忙しくても、どんなに大変な務めでも、すべてが無償です。無償で御言葉を語り、伝道をします。その牧師を教会が生活に困らないように支える。だから謝儀と言うのです。そのようにするから、副業をすることがなく、伝道に専念することができる。そんな制度が一番初めに始まった箇所として、今日の聖書箇所を読むことができます。

そういうようになり、やはり伝道が進展していくことになりました。最初はいつものように、パウロはユダヤ人たちに対して伝道をしました。しかしその伝道が最初はうまくいきませんでした。六節のところにこうあります。「しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払って言った。「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。」」(六節)。

激しい表現も使われています。「服の塵を振り払う」と書かれています。聖書の他の箇所で見られる表現で言えば、「足の埃を落とす」となるのですが、同じ意味と考えることができます。自分はもうやるべき責任を果たした。後はあなたたちの問題であり、私には責任がない、だから私はもうここを去るというしるしです。パウロはそのようにユダヤ人たちのもとを去りました。

いや、パウロとしては去ったつもりでした。ところが、七節のところにこうあります。「パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。」(七節)。神は本当に面白いことをされる、なかなか粋なことをされると思います。パウロはユダヤ人たちの拠点である会堂を去ったはずでした。ところが、パウロが次に与えられた生活の場であり伝道の拠点となったのが、事もあろうか「会堂の隣」でありました。パウロはどのようにこれを受け止めたでしょうか。

想像力を膨らませて考える人は、パウロの声が隣の会堂にまで聞こえたのではないかと考えます。その真偽のほどは分かりませんが、パウロとしては去って会わないつもりだったはずのユダヤ人たちと、顔を合わせないわけにはいかない状況に置かれました。そしてその結果、会堂長までもが主イエスを信じるようになりました。イエスがキリスト、メシアであると力強く証しをして伝道をし続けたパウロでしたが、それがついに実り、信じる者たちが続々と起こされるようになったのです。

それまでパウロは平日に仕事をして生計を立てながら、安息日である土曜日ごとに会堂で伝道をしていたのですが、生活が変わりました。毎日、会堂の隣を拠点に伝道をするようになった。その結果、多くのユダヤ人たちが信じました。そして「コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた」(八節)のであります。

八節の記述を読む限りでは、パウロのコリントの伝道は非常にうまくいっていたように見えます。パウロも伝道の手ごたえを感じていたかもしれません。ところが、九節から一〇節にかけての言葉が続きます。「ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」」(九~一〇節)。唐突のような感もありますが、ここで突然、恐れ、不安の話になっています。

少し個人的なことになりますが、本日の聖書箇所は私にとって思い入れの深い箇所でもあります。私が伝道者になる前、四年間、神学校で学びをしました。神学生のときは、もちろん伝道者になるための学びをするのですが、礼拝や祈祷会を多くします。日曜日の礼拝はもちろん、水曜日の夜に行われる祈祷会に毎週通っていました。それだけでなく、学校でも礼拝や祈祷会があります。学校のチャペルでは毎日、礼拝が行われます。最初の二年間は学生寮に住んでいましたので、毎朝、学生寮の礼拝もありました。週に一度、クラス別の祈祷会もありました。礼拝や祈祷会をかなり頻繁に行っていました。そしてその礼拝や祈祷会でよく読まれる聖書箇所が、本日、私たちに与えられた聖書箇所だったのです。

私も含めて、皆がこの聖書箇所を好んで読みました。なぜ神学生がこの聖書箇所を好むのか。それはやはり、九節から一〇節にかけての言葉があるからです。神学生というのは、想像していただけるとお分かりになると思いますが、なんとも中途半端な立場に置かれます。伝道者を志した。けれどもまだ一人前の伝道者にはなっていない。そんな状態です。

神学校での学びを終えると、卒業し、全国各地へと赴任していきます。本当に全国各地です。私の学年は、北は北海道、南は沖縄・九州はいませんでしたが、四国に赴任した人も何人かいます。学年によっては沖縄に赴任する人ももちろんいます。本当にどこへ行くのかわからない。教会も神学校もやがては去らなければならない。中途半端な存在です。そして誰もが、不安や恐れを抱いています。伝道者を志したものの、一体、自分はこの先、どうなるのだろうかという不安や恐れです。その不安や恐れを慰めてくれる聖書の言葉が、九節から一〇節にかけての言葉なのです。

パウロも伝道者として、一見うまくいっているように見えます。パウロ自身も、もしかしたらそのように考えていたかもしれません。けれども主は、ここでの主とはもちろん主イエスのことですが、主はパウロの本当の心を見抜いておられました。パウロの心にも、不安、恐れがあったのです。

パウロを始めとして、聖書に出てくる人物はどこか聖人君子のようなイメージがあります。特にパウロなどは、限りなく主イエスに近いのではないかと思われる方もあるかもしれません。けれども、そんなことはないのです。主イエスを除くすべての人間は、所詮、人間です。パウロも人間です。不安や恐れを抱くのです。

一体パウロにとって何が不安だったのでしょうか。聖書学者が様々なことを考えています。まず一つ考えられるのは、迫害に対する不安です。コリントでも、ユダヤ人たちとの対立が生じていました。今までの町であったように、石を投げられたり、鞭で打たれたり、投獄されたり、場合によって命を取られる、そんな迫害を受けるのではないか。そんな不安が第一にあったと思います。

また、もう一つ考えられるのは、自分が語ったことを受け入れてもらえない、聴いてもらえないという不安です。先週の聖書箇所で、パウロはアテネで説教を語りましたが、思うような成果が上がりませんでした。そのためアテネを去ったわけですが、今回のコリントでも同じことが起こらないだろうか、そんな不安もあったと思います。

さらに考えられるのは、パウロ自身がこの先どうしたらよいのか、そのことがよく分からない不安があったと思います。パウロが第二回目の伝道旅行を計画した目的は「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか。」(一五・三六)というものでした。しかしコリントに到着したときは、もうとっくにその目的を果たしてしまっていたのです。自分たちが最初に立てた計画が変更せざるを得なくなり、トルコから海を渡りギリシアへ入った。ついに大都市コリントにまで至った。さあ、これからどうするか。どこへ行き、何をすべきか。それがよく分からない。これから何をすればよいのか、そんな不安もあったと思います。

つまりパウロは一つの不安だけでない。いろいろな不安に襲われていたのです。その不安の根本的な原因は、これから何が起こるか分からないところにありました。もしも迫害の渦中にいたとすれば、もはや不安どころではない。いかにこの迫害を切り抜けるかを考えるでしょう。明確な行き先があるとすれば、不安よりもそこへ進む方法を考えるでしょう。これから何が起こるか分からない。周りの人がどういう反応を示すか分からない。自分がどうなるのか分からない。だから不安を抱き、恐れを抱くのです。パウロもまた例外なく、私たちと同じように、不安、恐れを抱いていたのです。

しかしながら主イエスはその不安を見出してくださり、その恐れを取り除いてくださいます。改めて、九節から一〇節をお読みします。「ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」」(九~一〇節)。

パウロに対して「恐れるな」と主イエスが言ってくださいますが、なぜ恐れる必要がないのか。根拠が二つ挙げられています。一つは「わたしがあなたと共にいる」ということです。元のギリシア語では、「なぜなら」という言葉が文頭に入っています。「なぜなら、わたしがあなたと共にいる」ということです。そしてもう一箇所、「なぜなら」が入っているところがあります。「なぜなら、この町には、わたしの民が大勢いるからだ」。つまり、第一に、主イエスが共にいてくださること、第二に、主イエスを信じる者たちが大勢いるということなのです。

パウロはこの言葉に励まされて、コリントの町に一年半も滞在したようです。パウロの伝道旅行で立ち寄った町では、すぐに立ち去って次の町に行ってしまった町もありますが、コリント滞在はかなり長いと言えます。なぜこんなに長くいられたのかと言うと、一つはっきりしているのは、この言葉に励まされたからです。

私たちにとっても、このことは非常に心強いことです。主イエスが共にいてくださる、主イエスを信じる者たちも共にいてくれる。二つの存在が約束されているのです。私を含め、神学生たちもこの言葉に慰められました。自分はどこに行くか分からない。人間的に考えれば、こんな願い、あんな希望もある。しかしたとえどこへ行ったとしても、主イエスが共にいてくださる。主イエスを信じる者たちと共に歩むことができる。これだけは変わらないのであります。

神学生だけの話ではありません。皆様お一人お一人にとってもそうです。漠然とした不安を抱えておられる方もあると思います。自分がこの先どうなるのか、そのことへの恐れを抱いておられる方もあると思います。そんな私たちにとって、私たちを赦し、愛し、救ってくださる主イエスが共にいてくださる。そして主イエスを信じる者たちを私たちの周りに与えてくださる。その最も必要な二つのことを満たしてくださるのが、私たちの神なのであります。