松本教会 プロテスタント 日本キリスト教団松本東教会

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2013年11月17日(日)
説教題「キリスト者の誕生」

説教者 本城仰太 牧師

新約聖書: 使徒言行録 第11章19〜30節

 ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。このうわさがエルサレムにある教会にも聞こえてきたので、教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した。バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。こうして、多くの人が主へと導かれた。
それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。そのころ、預言する人々がエルサレムからアンティオキアに下って来た。その中の一人のアガボという者が立って、大飢饉が世界中に起こると“霊”によって予告したが、果たしてそれはクラウディウス帝の時に起こった。そこで、弟子たちはそれぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送ることに決めた。そして、それを実行し、バルナバとサウロに託して長老たちに届けた。

旧約聖書: 詩編 第133編

本日、私たちに与えられた聖書の箇所には、「アンティオキアの教会」という小見出しが付けられています。いつも私が申し上げていることですが、この小見出しは聖書に初めからあったものではありません。聖書を読む際に、この箇所にはだいたいどういうことが書いてあるのか、そのことが一目で分かるように、このような小見出しが付けられているのです。従いまして、あまり小見出しに囚われすぎるのもよくないかと思いますが、しかし今日の聖書箇所の一つの大きな出来事は、やはり小見出しにあるように、アンティオキアの教会に関することです。私がこの箇所に小見出しを付けるとしたら、「アンティオキア教会の誕生」と付けることになるでしょう。

今日の聖書箇所の内容に入る前に、まずこの箇所に至るまでのこれまでの流れを確認しておきたいと思います。今日の箇所の最初のところに、「ステファノの事件」(一九節)と記されています。これは一体どんな事件だったのか。少し前に戻りますが、ステファノの話は、使徒言行録の第六章から七章にかけて記されています。教会の執事の一人としてステファノが選ばれた。そしてユダヤ人たちに対して説教を語ったのですが、ユダヤ人たちから反感を買ってしまい、石を投げつけられて殺されてしまいました。教会の最初の殉教者です。

少しパラパラと聖書のページをめくっていただきたいと思いますが、まずは第八章一節をご覧ください。「その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。」(八・一)。大迫害が起こった。そのためエルサレムに留まることができなくなった。みんなが同じところへ逃げて行ったわけではありません。四方八方へと散って行きました。

その中の一人、フィリポという人に関する記述が、第八章四節から始まります。「さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。」(八・四)。フィリポはユダヤ人と仲が悪かったサマリア人に福音を宣べ伝えます。また、エチオピアの宦官にも洗礼を授けました。それらが第八章に書かれています。

そして、第九章からがパウロの話です。ここではまだサウロという名前で登場しています。パウロは教会の迫害者でした。ステファノの事件をきっかけにして、ますます迫害の手を厳しくしようと考えていましたが、主イエス・キリストに出会い、回心して、教会の伝道者になりました。それが第九章三一節までに書かれている話です。

第九章三二節は「ペトロは方々を巡り歩き、リダに住んでいる聖なる者たちのところへも下って行った。」(九・三二)と書き始められているように、ここからペトロの話になります。先週までの三週間にわたって、まだ記憶の新しい方もおられると思いますが、ペトロがコルネリウスという異邦人と出会い、洗礼を授けるという話から私たちは御言葉を聴きました。そして今日の箇所へと至るわけです。

ステファノの事件があり、フィリポ、パウロ、ペトロと、登場人物が次々と入れ替わっていきました。ステファノの事件をきっかけにして、みんなが散っていったのです。教会にとって、迫害が起こったわけですから厳しい時期を迎えました。しかし、そのことが教会の広がりに繋がっていったのです。私たちにとっても、試練があり、厳しい時期を迎えることもあるかもしれませんが、その試練を乗り越えて、祝福が与えられる。そんな経験をされた方も多いでしょう。このときもそうでありました。みんなが四方八方へと散らされて、跡形もなくなったのではない。みんなが散らされた先でイエス・キリストを宣べ伝えた。そして信じる者が起こされた。散らされてバラバラだったのが、また一つに繋がっていく。今日の話はそのような話しであります。

今日の話の中に、バルナバという人が出てきますが、その前に出てくるのは無名の人たちです。「ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は」(一九節)と記されています。フィリポ、パウロ、ペトロに比べると、名前すら与えられていない人たちです。その人たちが御言葉を語っていきます。

「フェニキア、キプロス、アンティオキア」(一九節)という地名が出てきます。ピンとくる方もあるかもしれませんが、おそらくほとんどの方はそうではないと思いますので、聖書の後ろにある地図の八番を開いてみましょう。右下のところにエルサレムがあります。そしてそのすぐ北にカイサリアがあります。カイサリアはペトロが洗礼を授けたコルネリウスがいたところです。この辺りはイスラエルの地域になります。

そしてさらに北になりますが、太い文字でフェニキアと書かれています。フェニキア地方がこの辺りになります。そして海のところにキプロスという島があります。今日の話に出てくるバルナバは、このキプロス島の出身でありました。そしてアンティオキア。フェニキアよりもかなり北に位置します。無名の人々が御言葉を宣べ伝えたのは、この地域にまで及んだのです。

この無名の人たちが御言葉を宣べ伝えた相手は、基本的にはユダヤ人たちだったようです。しかし例外もありました。二〇節に、「アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた」とあります。ここに出てくる「ギリシア語を話す人々」という言葉が、しばしば聖書学者たちの間で問題になっています。実は聖書にはたくさんの写本があります。使徒言行録を書いたのはルカという人物ですが、ルカが書いたオリジナルのものは存在していません。何百、何千という写本があります。そうなると、写本の中で食い違いが生じることがあります。こちらの写本とあちらの写本に書いてある言葉が微妙に違うのです。

この箇所に関して、ある写本には「ギリシア語を話す人々」と書かれているのですが、別の写本には「ギリシア人」と書かれています。一九節に「ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった」とありますが、二〇節はその続きと考えて、ユダヤ人の中の「ギリシア語を話す人々」にも語りかけたのか。それとも二〇節は一九節の例外と考えて、ユダヤ人ではない「ギリシア人」にも語りかけたのか。そのことをめぐって聖書学者たちや説教者たちがいろいろと議論をしています。

しかし私は、それはどちらでもよいと思います。なるほど、ルカが筆を執ったわけですから、ルカがどちらかの言葉を書いたのでしょうけれども、実際はどちらの人たちに対しても御言葉が宣べ伝えられたのだと思います。零か百か、白か黒か、どちらか一方だけということではなくて、実際に無名の人たちはいろいろな人に語りかけた。ユダヤ人にもギリシア人にもその他の国の人たちにもです。そして福音が広がっていった。私はそう思います。

そしてこの無名の人たちの語りかけが、うまくいったようです。なぜ伝道が成功したのでしょうか。その理由が二一節に記されています。「主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。」(二一節)。「主がこの人々を助けられた」というのは異訳でありまして、この箇所を直訳しますと、「主の御手が彼らと共にあった」となります。主イエスの手が一緒にあった、ということです。

このようにして、アンティオキアという街で教会が誕生しました。アンティオキアは広いローマ帝国の中で第三の都市であると言われています。この当時の人口も数十万人いたと言われています。そしてここにできた教会は、その後、とても大きな意味を持ちました。使徒言行録の中で、パウロが何でも伝道に出掛けていますが、このアンティオキア教会を拠点にして、伝道旅行がなされました。先ほど、聖書の後ろの地図を開いていただきましたが、もう一度、地図の七番と八番をご覧ください。パウロの伝道旅行の開始地点が、アンティオキアになっていることが分かります。

本日、私たちに与えられた箇所のところで、アンティオキア教会が誕生するのです。聖書の中で、今日の箇所はあまり注意を払われることはないかもしれませんが、実は大事なことが記されているのです。教会がまたもう一つ誕生する。使徒言行録第二章のところで、エルサレムの教会が誕生していく、いわゆるペンテコステの出来事は有名かもしれませんが、エルサレム教会に次ぐ第二の教会が誕生していく。それがアンティオキア教会なのです。

教会が一つから二つに増えました。一つだったときには起こらなかった問題が、二つになったことによって起こりはしないか。私だったらそんなことを考えてしまいます。二つの教会は同じ教会と言えるのか。違うことが信じられたりはしないのか。そんな疑問が沸いてくるかもしれません。

私たちの松本東教会は、日本基督教団に属しています。日本基督教団には全部で千七百ほどの教会があると言われています。同じ教団だから同じ教会と言えるでしょうか。もちろん、それぞれの教会の歴史的な背景や雰囲気は違うでしょう。しかし同じ点を挙げるならば、日本基督教団としての信仰が同じということです。週報に、日本基督教団信仰告白が印刷されていますが、どこの教会に行っても、この信仰告白は共通です。同じ信仰の言葉で信じているのです。

松本には松本キリスト教協議会というのがあります。通称MCCと言っていますが、日本基督教団だけでなく、松本地域のいくつかの教会の集いです。日本基督教団の教会もあれば、ルーテル教会、バプテスト教会、カトリック教会もあります。もちろんグループが違うのですから、それぞれの教会の特徴は違います。枝葉末節、枝葉の部分は違ってきます。しかしそれでも土台に同じものがあります。それが私たちの礼拝でも告白している使徒信条です。MCCのどの教会でも、使徒信条を大事にしています。

先日、私は使徒信条に関する質問を受けました。「聖なる公同の教会」と使徒信条の中で言っていますが、「公同」とはどういう意味かというご質問です。説明するのは簡単なことです。公同という漢字は、公に同じと書きます。つまり、教会がたくさんあったとしても、公に同じであるということです。どこの教会でも土台のところでは同じことが信じられていることです。MCCの教会で言えば、使徒信条になります。だから教会は一つ。公同の教会と言えるのです。

説明するとそのような説明になりますが、本日、私たちに与えられた聖書の箇所に記されているエルサレム教会とアンティオキア教会がまさにその具体例になります。公同の教会を知りたければ、今日の聖書箇所を読めばよいということになります。エルサレム教会とアンティオキア教会の間でどのようなことがなされていたか。二つのことがなされていました。

一つ目は、人の交流があったことです。二二節にこうあります。「このうわさがエルサレムにある教会にも聞こえてきたので、教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した。」(二二節)。エルサレム教会からバルナバがアンティオキア教会に遣わされた。バルナバの働きによって、エルサレム教会とアンティオキア教会の信仰の一致が固められたと言ってもよいでしょう。さらに二七節にこうあります。「そのころ、預言する人々がエルサレムからアンティオキアに下って来た。」(二七節)。ここでも、エルサレム教会からアンティオキア教会に、預言する人々が派遣されたようです。人の交流がなされました。

二つ目は、物の交流が起こったことです。先ほどの預言する人々が預言したのは、大飢饉が世界中に起こるということです。世界中と書かれていますが、史実と突き合わせて考えるならば、ローマ帝国全体の飢饉というよりも、ユダヤ地方に起こった飢饉のことであるようです。つまり、エルサレム教会が特に困った状況に置かれたことになります。そこで、物の交流がなされた。アンティオキア教会からエルサレム教会に支援の手が差し伸べられたのです。

このようにして、二つの教会は信仰的にも、また一方が他方を支えるという支援面でも、一致が見られました。公同の教会の具体例を知りたければ、まさにこの二つの教会がそうだったと言うことができます。

二つの教会を結び合わせる働きをしていたキーパーソンとも言える人物がバルナバです。バルナバは使徒言行録の中ですでに出て来た人です。第四章になりますが、このように記されています。「たとえば、レビ族の人で、使徒たちからバルナバ――「慰めの子」という意味――と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた。」(四・三六~三七)。ここにちょっとだけバルナバが出てくるわけですが、すでにエルサレム教会で中心的な働きをしていたようです。

そのバルナバがアンティオキア教会に派遣されて、どんなことをしたのか。二三節にこうあります。「バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。」(二三節)。バルナバは喜びに溢れ、そしてアンティオキア教会の人たちに勧めをした。教会の人たちの信仰を励ましたのです。最初期の教会にこのような人がいたわけですが、今の私たちにとっても、バルナバのような人物が必要です。

教会は二千年前から同じことをしてきました。変わるべきところはもちろん変わってきましたが、変わるべきでないところは、ずっとそのまま二千年も続けられてきました。その一つのことが、教会の人たちを励ます人がいたということです。「主から離れることのないように」(二三節)と、バルナバは言っています。この言葉は、少し異訳した翻訳になっていまして、直訳すると「主と共に留まるように」となります。つまり、主イエスと一緒に歩みなさいとの励ましがなされているのです。

私たちもすぐに神から離れてしまうようなところがありますが、それはアンティオキア教会の人たちも同じだったのです。今も二千年前も変わるところがありません。ですから、その私たちを励ますために、主と一緒に留まりなさいとの励ましの言葉をかける者がいつでもいた。教会とはそういうところです。

このような教会の営みがなされるところに、自然とキリスト者が生まれました。今日の説教の説教題を「キリスト者の誕生」といたしました。今でも教会にキリスト者が誕生します。信仰を言い表し、洗礼を受ける者は、キリスト者として新たに生まれた者です。洗礼を受けた者は、自分はキリスト者、クリスチャンだと名乗ることができます。

しかしこのキリスト者、クリスチャンという呼び方は、どちらかと言うと、自分で獲得したものよりは、受け身として与えられたものです。今日の箇所の二六節にこうあります。「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。」(二六節)。二六節はとても大事な記述です。初めて「キリスト者」という呼び方が用いられたわけですが、教会の人たちが自分たちのことをそのように自称したのではありません。周りの人たちから、そう呼ばれたのです。

かつての口語訳聖書では「キリスト者」というところは「クリスチャン」となっていました。聖書の元の言葉、ギリシア語では「クリアンティノス」という言葉です。新約聖書の別の箇所に「ヘロディアノス」という言葉がありますが、これは「ヘロデ派」と訳されています。「クリアンティノス」も同じように考えるならば、「キリスト派」と訳すことができるかもしれません。キリストに属する者、キリストの者、そういう意味です。

おそらく教会の人たちは、いつも「キリスト、キリスト」と言っていたのだと思います。「イエス・キリストが十字架にお架かりになってくださった」、「イエス・キリストが復活された」、「イエス・キリストが救い主になってくださった」。そのように口にしていたのだと思います。それを聞いた周りの人たちが、あの人たちは「キリスト」とばかり言っている。だから「キリスト者」と呼んだのだと思います。そう呼ばれた方も、喜んでそのように呼ばれることを受け入れた。教会の人たちは却って、自分たちのことを「キリスト者」と呼ぶようにさえなったのです。

教会はキリスト者が生まれるところです。そしてキリスト者が留まるところです。主イエス・キリストと共に歩むことができるところです。たえず励ましがあり、慰めが与えられるところです。最初の教会としてエルサレム教会が誕生しました。二つ目の教会がアンティオキア教会です。私たちの松本東教会は何番目になるのでしょうか。たとえ何番目であろうとも、松本東教会も聖なる公同の教会です。エルサレム教会とアンティオキア教会に通じる信仰がある。そして同じ慰め、励ましがあるところなのです。