松本教会 プロテスタント 日本キリスト教団松本東教会


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2011年6月26日(日)
説教題「神に用いられる者へ」

説教者 本城仰太 伝道師 

新約聖書: ルカによる福音書 第9章1節〜6節

 イエスは十二人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった。そして、神の国を宣べ伝え、病人をいやすために遣わすにあたり、次のように言われた。「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持ってはならない。下着も二枚は持ってはならない。どこかの家に入ったら、そこにとどまって、その家から旅立ちなさい。だれもあなたがたを迎え入れないなら、その町を出ていくとき、彼らへの証しとして足についた埃を払い落としなさい。」十二人は出かけて行き、村から村へと巡り歩きながら、至るところで福音を告げ知らせ、病気をいやした。

旧約聖書: エレミア書 第1章4〜10節



レニングラード エルミタージュ美術館蔵(ロシア)
出血の止まらない女を癒すキリスト (Jesus healing the woman with a flow of blood ) / パオロ・ヴェロネーゼ (Paolo Veronese)

Appearence on the Mountain in Galilee ( The Sending of the Twelve ) / ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ (Duccio di Buoninsegna)
ドゥオーモ付属美術館 蔵 (Museo dell'Opera del Duomo)
(フィレンツェ/イタリア)
(Firenze , Repubblica Italiana )

クリックすると作品のある「wikimedia」のページにリンクします。

本日、私たちに与えられました聖書の箇所はルカによる福音書第九章の冒頭の部分になります。主イエスが十二人の弟子たちを伝道のために派遣なさる物語です。説教の最初から私事で恐縮ですが、この箇所は私にとって、思い入れの深い箇所であります。私が伝道者としての志が与えられ、仕事を辞めて、神学校に入ることになりました。そして神学校に入学して半年後に、いわゆる大人の礼拝で初めて説教を担当することになりました。それまでに、こどもたちには何度も説教をした経験はありましたが、大人の礼拝では初めての経験でした。そのときに聖書箇所として与えられた箇所が、本日私たちに与えられた箇所になります。

その説教が終わって、様々な方から感想をいただきました。神学生になってから最初の説教だったため、多くの方が声を掛けてくださったのだと思います。ここがよかったですとか、あそこをもう少し改善したらよいのではないかとか、様々なご意見、ご感想をいただきました。その中に、私がショックを受けることになった感想が一つありました。その感想を言ってくださった方は、まったくの好意から私にそう言って下さったのだと思いますが、それはこんな感想でありました。「あなたの伝道者となる決意を聞かせていただきました」。

私が神学生になってから半年後の説教でしたから、私の決意表明のように聴かれてしまったのかもしれません。もちろんこれは説教者としての私の責任です。説教は説教者の決意を表明するための場所ではありません。神の言葉が語られ、聴く者を養う言葉でなければなりません。その説教を語った私の思いとしては、私ももちろんですけれども、私だけではなくて、説教を聴いておられるすべての方が、主イエスによって遣わされるのですよ、と語ったつもりでした。しかし残念なことに、そのようには聴かれなかった。「あなたが伝道者として遣わされるのですね」と聴かれてしまった。

もしかしたらその言葉の裏には、「私はあまり関係がないけどね」という思いがあるかもしれません。その方が、そこまで考えておられたのかは分かりません。しかしこの聖書の箇所を、自分もまた遣わされる者として聴くのと、自分はあまり関係ないけどねという思いで聴くのでは、だいぶ違ったことになってくるのではないかと思います。もちろん私たちは主イエスの弟子として、この物語を聴くべきでしょう。洗礼を受けてキリスト者になるということは、主イエスの弟子になることでありますから、私たちもまた主イエスによって派遣される者としてこの物語を聴くというのが、相応しい聴き方になるでしょう。

この箇所から御言葉を聴くにあたって、私たちは一体どの位置に立てばよいでしょうか。その立ち位置をまずは定めなければなりません。十二人が伝道の旅に派遣をされるのは、初めてのことでありました。この十二人は主イエスによって選ばれた者たちです。特に優秀だったというわけではありません。こんな能力があるから選ばれたとか、こんな家柄に生まれたからという理由は見当たりません。主イエスがただ選んでくださった十二人でありました。

十二人は最初、主イエスに着いて行くだけでありました。主イエスの口から語られる話を聴き、主イエスのなすことを見ているだけでありました。目立った活躍の様子はまったくここまでに記されておりません。むしろ、主イエスや弟子たちと一緒に歩んでいた女性たちの活躍の方が最初に記されていたくらいです。まったく活躍をしていなかった弟子たちが、初めて伝道の旅に派遣をされるのが、本日の物語です。そういうわけで、これが最初の派遣であり、その後も伝道の旅への派遣が続いて行きました。私たちの派遣は、その後ずっと続けられてきた流れの中にあると言えます。これが私たちの立ち位置です。

多くの人が言っていることですが、弟子たちが最初に派遣されたこの物語は、準備のためであったとされています。本格的に派遣をされたのは、主イエスが十字架にお架かりになり、復活をされた後のことであります。主イエスは天に挙げられましたので、この地上にはおられなくなりました。弟子たちはその後、主イエスなしで伝道をしなければなりませんでした。そのときのために、主イエスがおられるときから伝道の旅を経験させてくださった。準備をさせてくださったと言うのであります。確かにその指摘は当たっていると思います。私たちもまた、本日与えられた箇所を通して、弟子たちの最初の経験を知ることは、とても意味のあることだと思います。

この旅の目的は何でありましょうか。なぜ主イエスは弟子たちをまず初めに、そしてその後も私たちをなおも続けて派遣されるのでしょうか。その目的が二節のところに記されております。「そして、神の国を宣べ伝え、病人をいやすために遣わすにあたり」(二節)。二つのことが目的として挙げられているようですけれども、それぞれが独立したものではありません。一つのことであります。神の国を宣べ伝えるという一つにまとめてもよいでしょう。

神の国とは神の支配がなされているところであります。決して病や悪霊によって支配されているところではありません。弟子たちは、ルカによる福音書のある箇所が告げますように、「神の国はあなたがたに近づいた」(一〇・九)という言葉でもって、神の国を宣べ伝えたのだと思います。主イエスが私たちのところに来て下さったことによって神の国が近づいたのだ。神の支配が実現するのだ。病や悪霊や死の力が私たちを支配するのではない。神が支配なさる。その神の国を宣べ伝えるのがこの旅の目的であります。そして最初の弟子たちが第一歩を踏み出し、今に至るまで、そしてこれからも、この派遣が続けられていくのです。

このようにして、最初の弟子たちのときから、そして今に至るまで、神の国が宣べ伝えられてきたわけですが、素朴な疑問を抱かれる方もあるかもしれません。神の国を宣べ伝える手段ならば、他にもあるはずではないか。弟子たちや私たちの力に頼らずとも、もっとよい方法があるのではないか。私はそれをするに相応しくないし、という思いが、皆様の中にあるかもしれません。

本日、ルカによる福音書と合わせてお読みいたしました旧約聖書の箇所は、エレミヤ書の冒頭の箇所になります。「エレミヤの召命」という小見出しが付けられております。「召命」という字は、「召す」という字に「命」と書きます。使命に召されるということです。神によってです。このときのエレミヤは預言者、つまり神の言葉を預かって伝えるという使命に召されようとしておりました。

神からのこの召命に対して、エレミヤはまずは断ります。その理由がこうでありました。「ああ、わが主なる神よ、わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。」(エレミヤ一・六)。エレミヤはここで「若者」という言葉を断る理由に挙げていますが、「若者」以外にもたくさんの理由をここに挿入することができます。私は…だから相応しくないと、お断りの理由をたくさん挙げることができるかもしれません。

しかし神はそんなことはお構いなしに、私たちに神の国を宣べ伝えることをさせるのです。なぜ私たちなのか。なぜこの私なのか。わざわざ私を通してではなく、神が直接、圧倒的な力を働かせて、信じる者を起こせばよいではないか。私を用いてなどというずいぶん回りくどい手段を取られているようだけれども、どうしてこのような手段を神は取られるのか。

弟子たちと並ぶ伝道者の第一世代の人物として、使徒パウロがいます。パウロがある手紙の中で、このような方法のことを「宣教という愚かな手段」と言いました。その箇所をそのままお読みしますと、こう書かれています。「そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。」(Ⅰコリント一・二一)。パウロがそう言っているように、この私を用いて伝道をするだなんて、神もずいぶん愚かな手段を用いるではないか、どなたにでもそのような疑問が湧いてくると思います。

この問いに直面をした一人の人物をここで取り上げたいと思います。昨年、『宣教学入門』という本が出版されました。この本を書いたのは、レスリー・ニュービギンというイギリスの方です。この人は宣教師としてインドに出掛け、そこで伝道をした経験のある方です。その経験をもとに、レスリー・ニュービギンはある大学で宣教学の講義をすることになりました。その講義がもとになって書かれたのがこの本であります。実際にこの本が書かれたのは数十年前でありますが、昨年、日本語訳が出版をされて、私も手にとって読むことになりました。

この『宣教学入門』でレスリー・ニュービギンが言っていることについては改めて評価しなければならないと思いますが、とても印象深かった話を一つ取り上げます。レスリー・ニュービギンがインドで宣教師として働くにあたって、一つの直面した問題がありました。インドは長い歴史を持っています。インド人の多くはヒンドゥー教徒でありますが、その人たちにレスリー・ニュービギンは伝道しなければならない。

ヒンドゥー教徒にとって、外国からの宣教師に伝道されてしまいますと、ある種の躓きを覚えます。なぜ外国の神を輸入しなければならないのかという躓きに直面することになるのです。レスリー・ニュービギンのこの本から、そのままヒンドゥー教徒の言葉を引用しますと、「私と私の祖先が四千年にわたって愛し、崇敬してきたものが、私の魂の求めに応えることができず、したがって私は、もし救いを受けたいと思うなら、ヨーロッパや北アメリカの別の宗教的伝統に属する救い…を待たなければならない、というようなことは、本当に信頼に価することなのか?」(一一一頁)ということになってしまいます。

実はこの問いは何もインドに限ったことではありません。十二人の弟子たちも経験したことだと思います。イエスという男によって神の国が来るということだが、それは本当に信頼に値することなのか、ということになったでしょう。それだけではありません。その後、ギリシア人やローマ人に対して伝道することになりました。ゲルマン人やそのほかの民族も同じです。そしてインドのみならず、日本でもそうでしょう。日本の状況もインドと同じであると思います。神道や仏教の神々を信じてきた日本人の私が、なぜイエス・キリストを信じなければならないのか。

この問いにどう答えればよいでしょうか。私たちが何の権威をもって伝道をしているのでしょうか。レスリー・ニュービギンはこの続きを書いてくれています。ヒンドゥー教をはじめとして、インドでの宗教は「私だけの事柄なのだ」とレスリー・ニュービギンは言います。私の魂が解放されてあるべき自分になるというのが宗教の目的になります。仏教の悟りを開くなどというのは、まさにその典型だと思います。自分が悟りを開いてあるべき姿になるわけです。そうなってくると、極めて大切なのは自分のことであり、他人のこととか、世界のこととかは興味が薄くなっていく傾向があるでしょう。

しかし、聖書の信仰はそれとは正反対であります。聖書はその初めから、人間が神によって造られた世界の中に据えられています。しかも一人で置かれたのではない。人と人との交わりの中に置かれました。「男と女に創造された」(創世記一・二七)、「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」(創世記二・一八)などという言葉はまさにそのことを表しています。

よく言われることですが、「人」という漢字は、人と人が支え合っていると言われます。「人間」という漢字は、人と人との間で生きると言われます。まさに聖書が最初からそのことを言っているのであり、人間が造られた最初のときからそうだったのであります。これは人間の本性です。しばらく時間が経ったあるときから突然そうなったというわけではなく、最初からそうだった。共に生きる者として造られたこと、それは人としての本質であります。

人としての本質がそうなのでありますから、最も大切なことである神の国を宣べ伝えることも、その本質が最大限、生かされる形でなされます。神の救いが人を通して伝えられるのです。私たちが用いられる形で、人から人へと救いが伝わっていくのです。これは愚かな手段でしょうか。神にとっては他の方法もあったはずです。神の圧倒的な力を考えれば愚かな手段であるかもしれません。

しかし私たちにとっては最大限、神に用いられる手段であります。救い運ぶのに私たちを用いてくださる。神のために働くことができる。これほど私たちにとって光栄なことはないと思います。パウロは「宣教という愚かな手段」と言いましたが、その後、続けてこう言っています。「神の愚かさは人よりも賢い」(Ⅰコリント一・二五)。神は人と人との間で生きる私たちを最大限用いてくださり、私たちを伝道へと派遣して下さるのであります。

この派遣は十二人の弟子たち以降、続けられてきました。弟子たちはユダヤ人です。ユダヤ人たちの間から始まりましたが、救いは全世界へと広がっていった。まずはギリシア世界やローマ帝国内に広がっていきました。やがては全世界へ、日本にまでキリストの弟子たちの派遣がなされてきたのであります。十二人の弟子たちが最初に派遣されてから、二千年のときが経ちました。全世界の隅々にまで広がっていくまで、あとどれくらいかかるか、何百年、何千年もかかるかもしれませんが、それは神のみがご存知です。それほどに大きな救いのご計画なのです。この救いの計画が成し遂げられるために、私たちが最大限用いられるのであります。

このようにして私たちが用いられるわけですが、果たしてこの私に神の国を宣べ伝えるだなんて、うまくできるだろうか、そう心配されるかもしれません。しかし心配する必要はありません。本日、私たちに与えられた箇所の三節以降のところから、何の心配をする必要のないことが分かってきます。

ここにはたくさんの禁止命令があります。「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持ってはならない。下着も二枚は持ってはならない。どこかの家に入ったら、そこにとどまって、その家から旅立ちなさい。だれもあなたがたを迎え入れないなら、その町を出ていくとき、彼らへの証しとして足についた埃を払い落としなさい。」(三~五節)。

伝道の旅には何も持って行くなということから始まります。杖、袋、パン、金、二枚の下着というのは、当時の旅の必需品でありました。杖は盗賊や獣から身を守る最低限の武器です。袋は旅の道具を入れるもの、パンは食糧、金は旅に必要なものを買うための金です。二枚目の下着というのは、寒さ対策です。夜間はかなり冷えたようですから、野宿をしなければならないときは、下着を重ね着することによって寒さをしのぎます。それらのものをすべて持って行くなというのです。

家のことも言われています。町に入って拠点となる最初の家を見つけたら、他の家には移動するなということです。より良い条件の家を探そうとするな、最初に与えられた家で満足せよ、ということです。しかし町によってはまったく迎え入れてくれる家もないかもしれない。そのときには町を出る際に、足の埃を払い落しなさいと言われています。

足の埃を払い落すという行為は、当時もよくなされていたようで、私とあなたとはかかわりがない、責任を持たないということを表す行為だったようです。誰も受け入れてくれる人がいないならば、それはあなたの責任ではない、次の町へ行きなさいということです。私にはうまく宣べ伝えることができなかったが、その責任は神が担ってくださるということです。

つまりこのように考えますと、旅の道具を揃えるにしても、拠点となる家が与えられる、与えられないにしても、私たちは思い悩む必要がないのであります。主イエスからの禁止命令ばかり並べられて、ずいぶん厳しいことを言われておられるかのように思いますが、そうではなくて、伝道の旅をするにあたっては思い悩むな、神がすべてを備え、責任を取って下さるということが言われているわけです。伝道をするにあたって、ある条件が整ってから初めて伝道ができるというわけではない。伝道にあたって、必要条件はまったくないのです。

このように主イエスに言われて派遣された十二人でありますが、最後の六節には、十二人の伝道の結果が記されています。「十二人は出かけて行き、村から村へと巡り歩きながら、至るところで福音を告げ知らせ、病気をいやした。」(六節)。どうやら伝道の旅は主イエスのお言葉通り、成功したようです。十二人は村から村へと巡り歩いたのです。

ルカは「村から村へ」という言葉を「至るところで」という言葉に置き換えています。「至るところで」という言葉はかなり広い範囲を表す言葉で、「どこでも」とか「四方八方」とも訳すこともできます。十二人が行くことができた範囲は限られていたでしょうから、「至るところで」というのは、この福音書を記したルカの勇み足ではないかと思わないわけでもない。しかしその後、実際にはその通りになったわけで、神の国が近づいたというメッセージは福音として、四方八方に広がっていったのであります。

十二人が最初に伝道の旅へと派遣されたこと、そして福音が至るところに広がっていったことを覚えたいと思います。私たちの教会もその流れの中にあります。私たちの教会の歴史は八〇年、九〇年の歴史を経て来ました。今、私は正確に申し上げませんでしたが、正式な教会として設立されてから、今年で八七年になります。しかし正式な教会になる前までにも、教会としての集会や礼拝を行っていたわけです。一九一六年六月、つまり今から九五年前の同じ月、松本聖書研究会が発足いたしました。私たちの教会の前進にあたる集会で、学校と幼稚園の先生方が集まって聖書研究会が始まりました。

教会の歴史を数えるときに、正式な教会としての歩みで数える数え方もあれば、それ以前の集会の段階から数える数え方もあります。私たちの正式な教会としての記念日は一九二四年九月一三日でありまして、毎年この日付に最も近い九月の日曜日に「教会設立記念礼拝」を行っています。しかし聖書研究会が始まった日のことも忘れるわけにはいきません。松本の地で聖書を読み始めてから、伝道を始めてから九五年のときが経過しました。

九五年の歴史を持つ私たちにとって、松本の地でなすべきことがまだまだあるはずです。ますますこの地に神の国の福音を宣べ伝えなくてはならない。伝道をしなくてはならない。しかし心配する必要はありません。神がすべてを備えてくださる、導いてくださる。そのことを信じ、主イエスの弟子として、私たちも何も持たずに、伝道の旅へと遣わされて行くのであります。