松本教会 プロテスタント 日本キリスト教団松本東教会


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2013年3月3日(日)
説教題「全人類の罪を負わされる主イエス」

説教者 本城仰太 牧師 

新約聖書: ルカによる福音書 第23章13節〜25節

 ピラトは、祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて、言った。「あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」†祭りの度ごとに、ピラトは、囚人を一人彼らに釈放してやらなければならなかった。しかし、人々は一斉に、「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」と叫んだ。このバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである。ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけた。しかし人々は、「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫び続けた。ピラトは三度目に言った。「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた。

†<底本に節が欠けている個所の異本による訳文>
祭りの度ごとに、ピラトは、囚人を一人彼らに釈放してやらなければならなかった。

旧約聖書: イザヤ書 第59章1〜15節






レニングラード エルミタージュ美術館蔵(ロシア)
「この人を見よ(Ecce Homo)」エルサレムの人々にイエスを示すポンティウス・ピラトゥス。 ( Pontius Pilate presenting a scourged Christ to the people Ecce homo! (Behold the man!). ) / アントニオ・シセリ ( Antonio Ciseri )

「この人を見よ(Ecce Homo)」エルサレムの人々にイエスを示すポンティウス・ピラトゥス。 ( Pontius Pilate presenting a scourged Christ to the people Ecce homo! (Behold the man!). ) / アントニオ・シセリ ( Antonio Ciseri )
近代美術館 ( Galleria D'Arte Moderna )
フィレンツェ( Florence )/イタリア

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松本東教会にはホームページがあります。教会のいろいろな情報が載せられています。初めて来られる方に向けて、メッセージが書かれていたり、礼拝の時間や集会の案内、地図も載せられています。実際にホームページを見られて来られる方も最近は多いと思います。

このホームページには、毎週、私が語った説教も載せられています。聖書の言葉と聖書の本文が載せられていますが、それと共に、説教と関連が深い絵画を載せることがあります。例えば、主イエスの十字架の場面でしたら、主イエスが十字架にお架かりになる場面を描いた絵を、合わせて載せるのです。

ルカによる福音書から連続して御言葉を聴き続けていますが、最初のところはクリスマスの話でした。クリスマスの場面の絵画はたくさん描かれています。ですから、ルカによる福音書の最初の方の説教では、説教の本文と共に、必ずと言ってよいほど絵画が合わせて載せられています。ルカによる福音書の途中、実は絵画があまり描かれることのない場面もたくさんありましたので、それらの場面では絵画を載せるということはしていませんでした。聖書の言葉と説教のみが載せられている。ところが、最近は再び毎週のように、絵画が載せられるようになりました。おそらくこれからも毎週続けられると思います。なぜかとそうなったかと言うと、言うまでもありません。キリストのご受難、十字架の場面の絵画がたくさん描かれているからです。

主イエスを描いた絵画は、おそらく十字架の場面とクリスマスの場面が最も多いのではないかと思います。十字架とクリスマスを除き、その次に多いのは、最後の晩餐のシーンかもしれません。それに次いで意外に多いのは、このピラトによる裁判を受けるシーンです。このシーンをめぐって、実に多くの絵画が描かれてきました。

なぜこんなにもピラトの裁判の場面が多いのか。一つの理由としては、それは主イエスのご生涯にとって重要だったからだというのがその理由です。別の言い方をすれば、それだけ私たちの救いに、この出来事が直結しているからと言ってもよい。主イエスが私たちの代わりに裁かれてくださるのです。それ以外の理由としては、聖書の記述がとても豊かだからという理由が挙げられると思います。

聖書には、様々なことが書かれています。教会に宛てて書かれた手紙が聖書の中に収められることもありました。ルカによる福音書をはじめとして、四つの福音書がありますが、これらは主イエスに関する証言をもとにして書かれたものです。主イエスがあんなことをされた、こんなことを話されたという証言をもとにして書かれたのです。たくさんの出来事が記されています。ある出来事は、詳細に記述がなされます。よくぞこんなに細かく書いてくれたと思うこともあります。

しかし、あまりにもあっさり書かれている出来事もあります。もう少し丁寧な記述が欲しいと思うこともあるくらいです。たとえば、最後の晩餐の場面。主イエスがたくさんの言葉をお語りになられます。それらの言葉は詳細に聖書に書きとめられました。しかし最後の晩餐のテーブルの上に何が置かれていたのか、などということはほとんど触れられていません。主イエスと弟子たちが、パンを食べ、ぶどう酒を飲んだということは分かっていますから、パンやぶどう酒はテーブル上に置かれていたのでしょうけれども、それだけしかなかったというわけではないと思います。肉もあったと思います。

画家のレオナルド・ダ・ヴィンチは「最後の晩餐」の絵を描きました。ダ・ヴィンチも想像力を膨らませて描いたのでしょう。魚料理、果物、ワイングラスまで書きました。主イエスの時代をそっくりそのまま再現したのではなく、ダ・ヴィンチの自分の時代に合わせて描いたのでしょう。聖書に書かれている情報量が少ないから、想像力を膨らませたのだと思います。

これに対し、本日私たちに与えられている聖書の箇所、ピラトが最終的な判決を下す裁判の場面ですが、聖書の記述はかなり詳細に書かれていることが分かります。一つ一つの裁判のやり取りが詳細に書かれています。先週、私たちに与えられた聖書の箇所は、今日の箇所の前のところですが、ここにもピラトが出てきます。ピラトの裁判の絵画を探し出し、ホームページに載せました。実にたくさんありました。たくさんの絵が、ホームページに載せる候補にあがりました。

例えばそのうちの一つは、ピラトと主イエスの二人だけが描かれている絵です。「真理とは何か」というタイトルが付けられた絵です。ヨハネによる福音書の記述によれば、主イエスとピラトが対話をしています。「お前がユダヤ人の王なのか」「それはあなたが言っていることです。わたしは真理を証しするために世に来た。」「それでは真理とは何か」というような対話をしています。絵画の中で、ピラトに光が射し込み、まるで求道者のように右手を差し出し、主イエスに「真理とは何か」と尋ねています。

もう一つ候補となった絵は、「この男を見よ」というタイトルが付けられた絵です。主イエスは茨の冠をかぶせられて、ピラトの横に立たされています。これもヨハネによる福音書の記述からですが、ピラトがバルコニーのところから、絵の奥にいる大勢の群衆に叫ぶように「この男を見よ」と、左手で主イエスを指しながら叫んでいます。「この男が一体何をしたのか」とでも叫んでいるピラトですが、群衆が「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫んでいる叫び声まで聞こえてきそうな絵です。

このようにピラトの裁判の場面で、実に多くの絵画、それも表現の豊かな絵画が描かれてきていますが、それは聖書の記述がとても豊かだからです。画家たちは聖書の記述をもとにして、様々な絵を生み出してきた。そして絵画の中でも特によく表されているのは、ピラトの心境です。ピラトの心の動きがどうだったのか、聖書がピラトの心を、実に詳細に描き出しているのです。

ピラトはこの裁判のおかげで、とても有名になってしまいました。しかも、あまり有難くないことで有名になってしまった。主イエスに死刑の判決を下したからです。主イエスを裏切ったユダと並んで、このようなことで有名になってしまったのです。

私たちも毎週、このピラトの名を口にしています。礼拝で使徒信条を告白していますが、使徒信条の中で「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け…」と口に出しているのです。なぜピラトの名を口にする必要があるのでしょうか。ピラトは、たまたま主イエスの時代にパレスチナ地方を治めていた政治家にすぎません。それなのに、二千年の時を経てもなお、悪名高い名を残してしまっている。ピラトに同情をする、少しかわいそうなのではないか、そんな声もあるかもしれません。

この使徒信条ですが、この教会で洗礼を受けられる方がありますと、受洗志願者の方と私でしばらくの間、一緒に学びをいたします。洗礼を受けたいという志があり、そういう希望を受けますと、一緒に学びをするのです。いろいろなことを学びますが、一番学ぶべきことは、この使徒信条です。小さな冊子ですが、竹森満佐一先生という方が書かれた『正しい信仰』という書物を用いています。使徒信条の言葉を短く区切って、竹森先生が解説をしてくださっている本です。その本の中で、なぜ「ポンテオ・ピラト」という名が出てくるのかということが、このように解説されています。「ポンテオ・ピラトのもとに、と書いてありますが、これは、ピラトという実際に生きていた人の時に起こったこと、ということを示すものであります」。

この「ポンテオ・ピラトのもとに」というのは、ピラトの時代に、ピラトという裁判官のもとで主イエスが裁かれたという意味が込められているのです。決して主イエスの十字架の全責任をピラトに押し付けるというものではありません。確かにピラトにも責任はあります。二四節に「そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。」(二四節)とあります。ピラトは主イエスが無罪であると分かっていたのです。三度にわたって無罪だと言いました。それにもかかわらず、ピラトは自分の意とは反する判決を下してしまったのです。その責任はあるでしょう。

なぜピラトはそんなことをしてしまったのか。二三節にこうあります。「ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。」(二三節)。「その声はますます強くなった」とあります。実は、私たちが用いています新共同訳聖書と、他の日本語の翻訳の聖書とでは、だいぶニュアンスが違います。新共同訳だけが他の翻訳と違うと言ってもよいと思います。

他の聖書では、たとえばかつての口語訳聖書では「その声が勝った」となっています。他の訳も勝ったという言葉を用いていて、口語訳とほとんど同じです。声が強くなった。確かにそれはそうなのですが、ピラト一人が群衆に向かって叫んだ声よりも、群衆の叫び声の方が勝った。ピラトはその声に負けた。屈服してしまったのです。

ピラトという人をめぐっては、様々な伝説があります。ピラトはその後、どうなったのかという伝説です。主イエスを十字架につけてしまったことを後悔し、回心して洗礼を受けてキリスト者になったというものから、最終的には自殺をしてしまったというものまで、様々です。ピラトの名前は聖書だけでなく、もちろん他の歴史書などの文献にも出てきます。

ピラトはこのときはパレスチナの総督をしていましたが、どうやらその後、失脚をしてしまったようです。うまくこの地方を治めることができなかった。そこでローマの中央から罷免をされてしまったと言われています。つまり、ピラトはいつもローマの顔色をうかがいながら、政治を行っていたのです。このイエスという男が無罪であるということが分かっていながら、それを捻じ曲げてしまった。正義よりも、自分の領地内で問題が生じないようにということを考えていたのです。つまり、主イエスはピラトのそんな心の弱さをも十字架で背負い込んだのです。

しかし主イエスが背負ったのは、ピラトの罪だけではありません。ピラトだけではなく、他の様々な人間の罪をも負ったのです。ここにバラバという人が出てきます。バラバは「暴動と殺人のかどで投獄されていた」(一九節)という人物です。なぜここで、このような男が登場するのか。それは、このときは過越祭という祭りの期間中でしたが、当時の慣例として、一人の人物に恩赦がかけられるからです。

今日の聖書箇所は、お気づきになられた方もあると思いますが、一六節の次が一八節になっています。一七節が抜けています。その一七節はどこにあるのかと言うと、ルカによる福音書の最後に記されています。「祭りの度ごとに、ピラトは、囚人を一人彼らに釈放してやらなければならなかった。」(一七節)。なぜ欄外に書かれているのかというと、聖書にはたくさんの写本があり、オリジナルのものを特定できないわけですが、有力な写本には一七節がないからです。一七節がないと、なぜ囚人の釈放がなされるのか分かりませんが、おそらく説明のために付け加えられたと思われます。

ピラトは、その恩赦によって主イエスを解放したいと思ったのでしょう。ところが先ほども申し上げた通り、ピラトは群衆たちの声に負けてしまった。群衆はバラバを釈放するように要求します。マタイによる福音書には、このバラバという男の名前が、「バラバ・イエス」(マタイ二七・一六)であったと記されています。ピラトは「バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか」(マタイ二七・一七)と群衆に叫んでいます。二者択一です。群衆が選んだのはバラバ・イエスの方でした。暴動と殺人のかどが立っていたバラバが赦された。主イエスはバラバの罪をも背負ったのです。

ピラトとバラバ以外にも、挙げることができます。一三節に、「祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて」(一三節)とあります。群衆たちを扇動する影の黒幕とも言える祭司長たちと議員たちがいました。扇動されて十字架につけろ、と叫ぶ群衆がいました。そしてもちろん、主イエスを見捨てて逃げてしまった主イエスの弟子たちも数え上げることができるでしょう。

あらゆる人々の罪が、この一人のお方に集中していることが分かります。聖書のこの箇所は、実に詳細にこの場面を描き出しています。みんなの罪が、この方にのしかかるようにしている。ピラト、バラバ、祭司長たちや議員、群衆、弟子たち。すべての人間の罪を背負って、主イエスは十字架にお架かりになるのであります。

教会は何と言ってもこの十字架です。徹底的に十字架です。十字架はローマ帝国の死刑の道具でした。ユダヤ人たちの間では、死刑の場合は石打ちが一般的なやり方でした。主イエスはユダヤ人として死ぬことも許されない。ローマの反逆者に仕立て上げられ、十字架にお架かりになったのです。死に至るまで、数時間は要する残酷な死刑の道具です。しかしこれが教会のシンボルとなりました。主イエスが私たち人間の罪を背負ってくださったからです。

教会の人たちがまず伝道をしたのは、ユダヤ人たちに対してでした。主イエスの弟子たちは、ユダヤ人たちに面と向かって言いました。「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」(使徒言行録二・三六)。主イエスの十字架以外に赦しもなければ、救いもないからです。

先週の木曜日、オリーブの会が行われました。信仰の初歩的なことを学ぶことができる楽しい会です。毎回テーマを決めて行っています。先週のテーマは「説教とは何ですか?」というテーマです。私が毎週、紙一枚の文章を作っていますので、興味のある方は受付にある紙を読んでいただければと思いますが、説教は神の言葉です。厳密に説教と言えるかどうかは別問題にして、主イエスが来られる前の旧約聖書の時代にも説教、神の言葉が語られました。旧約聖書の預言者たちによって、悔い改めよというメッセージが何度も語られました。しかし新約の時代になってから、説教の何よりのメッセージは、イエス・キリストを伝えることになりました。主イエスが十字架にお架かりになって、救い主になられたということです。

このような文章を私が書きましたが、オリーブの会の最後のところで、私の発言の順番が回ってきました。最後に申し上げたのはこういうことです。私は日曜日にここに立って説教を語っている。筋道を立てて、論理を丁寧に練って、説教を語ったとしても、すべての人を納得させることができない。それができたらどんなによいかと思うこともある。しかし私ができることは、宣言することである。説教とは単なる教えや聖書の解説ではなく、宣言である。祝福の宣言、赦しの宣言、愛の宣言。その宣言を説教としてすることができる。そう申し上げました。

私は説教者として、「あなたの罪は赦された」と宣言することができます。もちろん、私が自分の権威で皆さんの罪を赦すのではありません。皆さんが自分の力によって、赦しを獲得するのでもありません。そうではなく、主イエスが全人類の罪を背負って十字架にお架かりになってくださったから、私たちの赦しが成り立つのです。私も罪の赦しの宣言そのものを説教者として語ることができる。こうすれば赦されるとか、そのような赦しの条件を語るのではなく、赦しそのものの宣言を語るのです。ピラトの罪を、バラバの罪を、祭司長や議員たちの罪を、群衆の罪を、弟子たちの罪を、主イエスが背負ってくださった。ここに赦しがある。救いがある。だからこそ教会のシンボルは十字架なのです。