松本教会 プロテスタント 日本キリスト教団松本東教会

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2012年9月23日(日)
説教題「あり得ないことをなさる神」

説教者 本城仰太 伝道師 

新約聖書: ルカによる福音書 第20章9節〜19節

 イエスは民衆にこのたとえを話し始められた。「ある人がぶどう園を作り、これを農夫たちに貸して長い旅に出た。収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を納めさせるために、僕を農夫たちのところへ送った。ところが、農夫たちはこの僕を袋だたきにして、何も持たせないで追い返した。そ こでまた、ほかの僕を送ったが、農夫たちはこの僕をも袋だたきにし、侮辱して何も持たせないで追い返した。更に三人目の僕を送ったが、これに も傷を負わせてほうり出した。そこで、ぶどう園の主人は言った。『どうしようか。わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬って くれるだろう。』農夫たちは息子を見て、互いに論じ合った。『これは跡取りだ。殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』 そして、息子をぶどう園の外にほうり出して、殺してしまった。さて、ぶどう園の主人は農夫たちをどうするだろうか。戻って来て、この農夫たち を殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。」彼らはこれを聞いて、「そんなことがあってはなりません」と言った。イエスは彼らを見つめて言われた。「それでは、こう書いてあるのは、何の意味か。『家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった。』その石の上に落ち る者はだれでも打ち砕かれ、その石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。」そのとき、律法学者たちや祭司長たちは、イエス が自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスに手を下そうとしたが、民衆を恐れた。

旧約聖書: 詩編 第118編22〜23節

今から二週間ほど前になりますが、私は近くにあります聖書書店に出かけて行きました。一つの目的は注文をお願いするものがあったからです。しかし目的はそれだけではありませんでした。注文だけならば、電話かファックスで済ませてもよかったのかもしれません。もう一つの目的は、その書店の二階で行われている、聖書の翻訳に関する展示会を観るためでありました。

松本市の北に池田町というところがありますが、池田町に住んでおられる宣教師の先生がおられます。この方はもともとは言語学者であったようです。言語学者として、若い頃に聖書の翻訳に興味をもたれたのだそうです。そんなときに、ネパールの国の地方に「カリン語」と呼ばれる言語を話して生活をしている少数部族があることを知ります。この住民のところへ伝道に行くことを決心し、一九七〇年に初めてネパールへと旅立っていきます。

私がその展示会を観させていただいたときに、短いビデオも合わせて観させていただきました。ネパールの首都はカトマンズと呼ばれる都市です。そのカトマンズから数人しか乗れないのではないかと思われる小型飛行機に乗り、カリン語を話す村の近くの空港に行きます。空港と言っても山間の中にあり、滑走路はコンクリートではなく、土でできている滑走路です。そこに到着してから、さらに数日間徒歩で山の中を歩き、ようやくカリン語を話す村に到着する。それほど奥地の村なのです。

そのようにして一九七〇年にその村に入ったわけですが、当然のことながら言葉がまったく分かりません。村人たちとコミュニケーションもろくにできない。最初は村人からスパイではないかと疑われたのだそうです。しかし現地の人と同じものを食べ、同じように生活をしていく中で、次第に受け入れられるようになっていきます。一年後に、ようやく言葉が少しずつ分かるようになってきたのだそうです。

そこで、その先生が志したのは聖書の翻訳です。しかし翻訳をするためには下準備が必要です。カリン語には文字がなかったそうなので、まず文字を作る。その文字に基づいて文法書を作る。村人が文字を読めるように教育をする。その上で、ようやく聖書の翻訳をすることができるようになります。

当然のことながら、様々な迫害があったようです。しかしこの先生の働きが少しずつ実を結び、協力者も与えられ、一九八四年に三人の村人が洗礼を受けます。これをきっかけにして徐々に信徒の数が増えていき、教会が建てられ、村人の多くがキリスト者になっていきました。そして聖書の部分的な翻訳は進められていましたが、二〇一一年に全巻の翻訳がようやく完成します。そしてそのことを記念して、聖書書店でこのような展示会が行われているわけです。

この先生がネパールに最初に入られたのは一九七〇年でありますから、聖書の翻訳が完成をするまで、四〇年以上もかかったわけです。一つの場所にまったくのゼロから福音を伝えることは非常に労苦が多いわけですが、この先生は人生の大部分を献げたことになります。一体この先生の原動力は何であったのか。なぜ自分の利益も顧みずに、献身的な働きをすることができたのか。それは自分のために働いたのではないからです。神のために働くということをよく知っておられたからです。今日の譬え話の表現を借りて言うならば、神のぶどう園で働いていることを、知っておられたからでありましょう。

本日、私たちに与えられたルカによる福音書の箇所には、一つの譬え話が語られています。主イエスはしばしば譬え話をお語りになってくださいました。真理を伝えるために、その真理を譬えでもって表された。松本東教会ではルカによる福音書の最初から御言葉を聴き続けていますが、これまでにたくさんの譬え話に耳を傾けてまいりました。

しかしこの譬え話は最後の譬え話です。ルカによる福音書は全部で二四章です。あと四章ほど続くわけですが、これを最後にして、もう譬え話は語られません。ここで語られている譬え話の内容は、譬え話とはいえ、これから起こることがそっくりそのまま書かれていると言っても過言ではありません。例えば一三節にこうあります。「そこで、ぶどう園の主人は言った。『どうしようか。わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう。』」(一三節)。

この主人は自分の愛する息子をぶどう園に送るのですが、その結果が一五節に書かれています。「そして、息子をぶどう園の外にほうり出して、殺してしまった。」(一五節)。この主人は愛する息子を失ってしまうわけですが、主イエスの十字架がここに示されているわけです。主イエスは現在、エルサレムの町の中にいますが、まもなく逮捕されて、十字架にお架かりになる。神の独り子がここで死を迎えることになるのです。

譬え話では、愛する息子が送られる前に、三人の僕たちが送られています。最初の九節のところに、この主人が「長い旅」(九節)に出ていることが分かります。自分の所有するぶどう園から遠く離れたところにこの主人はいるのです。自分が気軽に赴くわけにはいきません。そこで僕たちを遣わすわけです。

まずは一人目の僕が送られます。遠いところから遣わすわけですから、すぐに結果が返ってくるわけではありません。主人は忍耐強く待ちます。一人目の僕の結果は、「農夫たちはこの僕を袋だたきにして、何も持たせないで追い返した。」(一〇節)でありました。主人は忍耐をし、諦めずにまた僕を送ります。二人目の僕の結果は、「農夫たちはこの僕をも袋だたきにし、侮辱して何も持たせないで追い返した。」(一一節)でありました。それでも主人は諦めずに、三人目の僕を送ります。その結果は、「これにも傷を負わせてほうり出した。」(一二節)でありました。僕に対する仕打ちがどんどんとひどくなっていっていることが分かります。

そこで、主人は最後の手段に出ます。僕では駄目だった。そこで自分の愛する息子を送る。「この子ならたぶん敬ってくれるだろう」(一三節)という不確かな思いをもって送り出します。その結果は、ぶどう園の外に放り出されて、殺されてしまいました。ぶどう園の農夫たちとしては、この息子は後継者ですから、この後継者がいなくなってしまえば、ぶどう園が自分たちのものになるという思いがあったと思います。実際に後継者なしに主人が死ぬと、そこで働いていた農夫たちのものになったのだそうです。ですから、農夫たちはそのような行動に出た。この譬え話を聴いていた人が、「そんなことがあってはなりません」(一六節)と言うくらい、この譬え話はひどいことが起こったのです。

譬え話としてはこのような譬え話なのですが、私たちはこの譬え話を一体どう理解したらよいのでしょうか。しばしばなされる解釈としては、こういう解釈がなされます。ぶどう園の主人はもちろん神です。農夫たちはユダヤ人であると考える。神がぶどう園にいろいろな僕を送ったが、この僕の言うことはきかず、ぞんざいに扱ってしまった。そしてついに神の愛する独り子である息子、主イエス・キリストを送ったけれども、ユダヤ人たちはぞんざいに扱うどころか、十字架につけて殺してしまった。そのように説明がなされることがあります。

なるほど、筋の通った解釈であるかもしれません。ユダヤ人たちはせっかく神から送られてきた救い主を殺してしまった。それゆえに、ユダヤ人たちは長い間、嫌われ者を演じなければならなくなりました。今では教会の人とユダヤ人とは少しは仲良くなっているかもしれません。しかし教会の二千年の歴史からすると、教会の人はユダヤ人のぞんざいに扱いました。あの連中は私たちの救い主を十字架につけて殺した連中だと、迫害さえしてきたのです。今からわずか数十年前の出来事ですが、ナチス・ドイツがユダヤ人六〇〇万人を殺害した。それもこの譬え話をそのように解釈した結果と言えるでしょう。

悪いのはユダヤ人たちだ。神の僕たちをぞんざいに扱い、神の独り子までも殺してしまった。自分たちは悪くない。この譬え話で語られている農夫ほどひどいことはしない。まして自分たちは神の独り子を殺しはしない。そのようにこの譬え話を片付けてしまうのなら、私たちは考え直す必要があると思います。

この譬え話は、今の私たちの状況でもあると思います。よくよく考えてみると、あり得ないことかもしれませんが、このぶどう園の主人は、ぶどう園の管理をすべて農夫たちに任せているのです。もしも私がぶどう園の主人であるならば、そんなことはしないでしょう。そもそも遠くにいるようなことはしない。近くで監視をする。ぶどう園の実りが最大になるように、農夫を管理し、きちんと働かせます。管理のすべてを委ねるというようなことなど、絶対にしないでありましょう。しかしこの主人は、自分のぶどう園の管理をすべて任せてしまっているのです。

任せられた方は、最初はぶどう園で働かせていただいている、その感謝があったかもしれません。ぶどう園で働ける喜びもあったかもしれません。しかし、任されすぎているがゆえに、思い違いを次第にするようになってしまった。主人はいない。すべてを任されている。次第にこのぶどう園は自分のもの。主人がまるでいないかのような振る舞いを次第にしてしまうのであります。

私たちも同じように思い違いをしてしまうことがあります。この世界がまるで自分たちのものであると錯覚してしまう。なるほど、確かにこの世界は神によって造られたかもしれない。しかし神が遠くに行かれてしまったかのように、神などいないと錯覚してしまう。この世界は私たちのもの、神の言うことなどきかずに、自分勝手にやってしまう。それが本当の自由だと思い込んでしまう。そうなってしまうと、私たちはぶどう園の農夫と変わるところがありません。

私たち個人としてもそうです。神が私たちに命を与え、体を与え、人生を与えてくださった。すべてのものが与えられているにもかかわらず、神が遠くに行かれてしまった。神がおられないかのように錯覚してしまう。頭の片隅で神がおられるとどこかで思いながらも、そのことを忘れてしまう。自分の人生は私のもの。自分が人生の主役。そう思ってしまうと、私たちはぶどう園の農夫と変わるところがありません。

私たちがそのように錯覚してしまうほど、神は私たちにこの世界の管理を任せておられます。私たちの人生の管理も任せられています。あり得ないほどの自由が私たちに与えられている。しかし私たちがその自由をはき違えてしまうときに、私たちもぶどう園の農夫と同じになってしまう。この譬え話の農夫がユダヤ人である、そのようにこの譬え話を片付けられなくなってしまうのです。

しかし譬え話はこれで終わりではありません。続きがあります。それが私たちの救いになります。一七節にこうあります。「イエスは彼らを見つめて言われた。「それでは、こう書いてあるのは、何の意味か。『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。』」(一七節)。

主イエスがここで言われているのは、なんとも不思議なことが起こるということです。ある石を捨てる。こんな石は要らないと思って捨てる。その石が「隅の親石」となった。つまり、建物の土台になったというのです。ぶどう園の主人の愛する息子がこの石になります。こんな石は要らないと農夫たちは捨ててしまいます。そのようにして主イエスが十字架にお架かりになり、命を取られる。その捨てられたはずの主イエスが、私たちの土台となるのであります。

神はこの世界にご自分の独り子である主イエス・キリストを送られました。普通ならば、これはあり得ないことです。すでに三人の僕が危険な目に遭っているのです。殺されはしなかったものの、ひどい仕打ちを受けました。そんなところに、自分の愛する息子を送る。「たぶん」敬ってくれるという不確かな思いだったにもかかわらず、この主人は送ってくれた。普通ならば絶対に送らないところです。十字架がその結果でありました。私たち人間が神の独り子を捨てた。けれども、このことが私たちの救いとなった。主イエスが十字架にお架かりになってくださったことにより、私たちの罪が赦された。これが「隅の親石」の秘密です。

この隅の親石を土台として生きているのがキリスト者であります。本日のこの礼拝は週報にも書かれている通り、逝去者記念礼拝であります。逝去者を記念する礼拝でありますが、一昨年、教会員の五名の方が召され、葬儀が続きました。今日も午後に墓前礼拝を行いますが、昨年の墓前礼拝では多くの方の納骨も行われました。今年の逝去者記念礼拝、墓前礼拝を迎えるにあたり、多くの方は召された方々のことを思い起こしておられると思います。

召された方々は、いずれも信仰者でありました。信仰を持って生きて来られた方々です。しかし最初から信じていたわけではありません。イエス・キリストという名を知りながらも、自分には関係がないと思って生活をしてきたのです。神のぶどう園にいながらも、そんなことは考えることのない生活を送ってきた。しかしあるときに主イエスと出会った。その後は、この隅の親石なくてしては生きることができなくなった。逝去者の方々はそうでありました。

そしてこれはここにいる私たちも同じであります。自分は神のぶどう園で働いている者。そのことに気付かされた。神を忘れるほどの自由を与えられている。そのことにも気付いた。これが私たちが生きる原動力です。逝去者の方々もそうでありました。ネパールで献身的に働いた先生もそうであります。神のぶどう園に自分は生かされている。これが私たちを動かす力なのであります。