松本教会 プロテスタント 日本キリスト教団松本東教会


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2012年8月19日(日)
説教題「神の命がけの清め」

説教者 本城仰太 伝道師 

新約聖書: ルカによる福音書 第19章41節〜48節

 エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始めて、彼らに言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』/ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」毎日、イエスは境内で教えておられた。祭司長、律法学者、民の指導者たちは、イエスを殺そうと謀ったが、どうすることもできなかった。民衆が皆、夢中になってイエスの話に聞き入っていたからである。

旧約聖書: エレミヤ書 第7章1節〜11節

本日、私たちに与えられたルカによる福音書の箇所には「平和」という言葉が出てきます。主イエスが言われた言葉です。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら…。しかし今は、それがお前には見えない。」(四二節)。「お前」というのはエルサレムの町のことです。主イエスのこのお言葉によれば、平和が見えておられず、平和をわきまえていなかったがゆえに、次のようなことが起こると言われています。「やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。」(四三~四四節)。

恐ろしいことを言われていますが、主イエスのこのお言葉は、歴史的事実を前提にしていると言われています。紀元七〇年のことになりますが、エルサレムの神殿が崩壊するという出来事が起こりました。当時、イスラエルはローマ帝国に支配されていました。当然、人々の中には快く思わない人がいます。過激な行動に出る人たちもいます。

ローマ帝国に対する抵抗運動はしょっちゅう起こったようですが、このときは六六年から七三年にかけて、比較的長期間にわたりました。主イエスの弟子にシモンという人がいますが、この人はもともと熱心党であったと言われています。この熱心党などのグループが過激な行動に出て、これを抑えようとローマの軍隊が出動します。激しい攻防がなされましたが、紀元七〇年、ついにエルサレムの神殿が崩壊する。現在では神殿の一部が、嘆きの壁として残っています。多くのユダヤ人たちが、今でも壁のところで、二千年前の出来事を嘆き続けています。

イスラエルはこのとき神殿を失いましたが、失ったのは神殿だけではありません。神殿ばかりか、国まで失ってしまいました。ユダヤ人たちはこれ以降、世界各地に離散していきました。これをディアスポラと言います。世界各地にユダヤ人たちがいるのはこのような理由のためです。第二次世界大戦のときには、ナチス・ドイツに迫害され、大変な思いをしました。そうして第二次世界大戦後、今でも様々な問題に直面していますが、ようやく国として再建することができるようになったのです。

主イエスの時代は、紀元七〇年に神殿が崩壊するよりも前の時代です。主イエスの十字架が起こってから、神殿が崩壊するまでは四〇年もあります。しかし主イエスの今日のお言葉の中に、すでに神殿崩壊の出来事が予告されている。この福音書を書いたルカは、神殿崩壊以降にこの福音書を書きました。もう歴史的な出来事として知っていたわけです。ルカとしてはこの歴史的な出来事をどう評価するのかということが問題になります。ルカはそれを、主イエスの言葉から見出したのです。主イエスの言葉によると、それは裁きでした。平和の道をわきまえていなかったからであります。

八月は私たちにとって、平和を考える機会が多くなります。すでに八月六日、八月九日、そして八月一五日を過ぎました。特に一九四五年の出来事を振り返りつつ、戦争の出来事を思い起こすわけですが、ここには、戦争を体験した世代の者もあれば、戦争を体験しなかった世代の者もいます。特に戦争を体験していない者にとっては、歴史を学ぶことが重要であると思います。

歴史を学ぶと言っても、単に歴史の知識を頭に入れることが重要なのではありません。歴史を学ぶとは、以下のようなことを考えることが大切になります。なぜ、そのような出来事が起こったのか。当時の人々はどのように考えていたのか。今の時代、同じようなことが起こったら、私たちはどうすべきか。これらのことを考えるのが、大切であると思います。

このようなことを踏まえ、私たちの教会が属している日本基督教団のことを考えてみたいと思います。日本基督教団が成立したのも、戦争と深いかかわりがあります。一九三九年、太平洋戦争勃発前ですが、この年に宗教団体法というものが成立してしまいます。宗教団体を規制するための法律です。明治時代から、政府はこの法案を何度も国会に提出し、信教の自由を理由に否決され続けてきました。

しかし一九三九年は戦争の非常時という空気がありました。ついに宗教団体法が成立してしまいます。文部大臣の管轄下に宗教団体が置かれることになりますが、宗教団体として認められるのは、教会数五〇以上、信徒数五千人以上という基準がありました。そうでないと認可されないのです。ほとんどのプロテスタント教会はこの基準を満たしませんでしたから、合同をする必要性に迫られました。こうして一九四一年に成立したのが、日本基督教団です。

私たちの松本東教会も、戦時中、一時期、日本基督教団の教会になりました。今の日本基督教団の松本教会と松本バプテスト教会の三つの教会で合同しました。それも、日本基督教団の成立があったからです。戦争が終わって、一九四九年に三教会の合同が解消され、私たちの教会はその後、単立教会となりました。そして今から十年と少し前に、日本基督教団に加入したのです。

ですから、私たちの教会も、戦時中の日本基督教団の教会として責任がないわけではありません。戦争中、日本基督教団の教会はどのように歩んでいったのか。教会の礼拝の中には、特高警察と呼ばれる人たちが入り込んでいました。牧師が語る説教に聞き耳を立てて、おかしなことを言おうものなら、すぐに逮捕されるような状況でした。そのような状況の中、教会は熱心に戦勝祈祷会を行いました。さらに、日本基督教団から、三機の戦闘機を献品しています。日本基督教団の統理も靖国神社の参拝を強いられた。

戦争に反対するどころか、国と歩調を合わせてしまったところがあります。しかし今の私たちが、当時の人たちを批判するだけは済みません。今の私たちにも問われていることです。もしも今、かつてと同じようなことが起こったら、私たちはどうするべきか。国に逆らってまで、教会のあるべき姿を守ることができるのか。平和の道をたどることができるのか、そのことが問われているのです。

日本基督教団と同じような状況が、ドイツでも起こっていました。ヒトラー率いるナチス・ドイツが権力の座に就いたとき、ヒトラーも日本政府と同じように考えたのです。つまり、国家権力によって宗教団体を一つにして、国に協力させようと考えたのです。ヒトラーのこのような考えにより、ドイツの教会が「ドイツ・キリスト者」という一つのグループにまとめられることになりました。

すぐにこれに反対する運動が起こります。当時のドイツにいた神学者たち、バルトやブルトマンという有名な神学者たちも含まれていますが、すぐに神学者たちが反対の署名を行います。そしてバルメンという町に集まり、「バルメン宣言」という宣言文を打ち出します。このようにして、「ドイツ・キリスト者」に対抗するグループである「告白教会」が出来上がりました。「告白教会」は「バルメン宣言」を土台にしたのです。

バルメン宣言と言われていますが、宣言文というよりも、明確にこれは信仰告白です。告白教会としてどのような信仰告白に立つのかが明確に表されています。今日でもバルメン宣言はとても重要で、ドイツで牧師になろうとしたら、この信仰に立つということを言い表す必要があるほどです。

バルメン宣言の内容としては、それほど長くはないのですが、第一条項としてこのように言っています。「聖書においてわれわれに証しされているイエス・キリストは、われわれが聞くべく、また生きているときにも死ぬときにも、信頼し、服従すべき、唯一の神の言葉である。教会が、この唯一の神の言葉以外に、またそれと並んで、別の出来事、さまざまな力、人物、諸原理をも神の啓示として承認し、宣教の源泉とすることができるし、そうしなければならないと教える過った教えを、われわれは却ける」。

このバルメン宣言の第一条項の、特に後半部分に表れているように、告白教会が明確にヒトラー政権を拒否していることが分かります。唯一の神の言葉以外のいかなるものも、却けると言っているからです。このバルメン宣言をもとにして、告白教会の闘いが始まったのです。

告白教会のナチス・ドイツに対する闘いの行方と結果はどうだったのか。様々な評価がなされます。ある人は、告白教会の闘いが次第に腰砕けのようになってしまったと非難します。例えば、バルメン宣言の想起にもかかわったカール・バルトは、ヒトラーへの忠誠の署名が全国の大学教授たちに求められたときに、バルトは拒否をして、自分が生まれたスイスへ帰ってしまいました。これを悪く言う人は、バルトは闘いから逃げてしまったと言います。

それに対して、ボンヘッファーという人がいました。この人はバルメン宣言のときはイギリスにいたのですが、告白教会が秘密裏に作った神学校の校長をオファーを受けると、イギリスの友人たちの反対を押し切って、ドイツに帰国しました。やがてボンヘッファーはナチス・ドイツに逮捕されます。そして最後は処刑されてしまいます。殉教者になったのです。ボンヘッファーが殺された数日後に、アメリカ軍がやってきて、ボンヘッファーが収容されていた収容所が解放されたという、いわば悲劇の人でもあります。

このように、いろいろな闘いが告白教会にはありました。評価も様々でしょう。しかし何よりも告白教会の闘いの旗印になったのは、バルメン宣言でありました。日本基督教団では、神学的な土台がなかったからでしょう。残念ながらこのような信仰告白が作られることはありませんでした。この点は、日本とドイツの大きな違いであったと思います。

バルメン宣言の第一条項を振り返りたいと思いますが、第一条項の後半部分は、ヒトラー政権に対して、明確にノーと言った内容です。前半部分をもう一度、振り返りますと、こうありました。「聖書においてわれわれに証しされているイエス・キリストは、われわれが聞くべく、また生きているときにも死ぬときにも、信頼し、服従すべき、唯一の神の言葉である」。

今のこの困難な時代に何が必要なのか。バルメン宣言ははっきりと言っています。この時代にこそ必要なのはイエス・キリストである。このお方からしっかりと言葉を聴かなければならない。しかも「生きているときのも死ぬときにも」と言います。本当に命を失う危険があった中での、緊張に満ちた言葉です。そのようなときに、唯一の神の言葉を聴こう。この言葉に信頼しよう、服従しようということを、明確に言い表したものなのです。

今日は平和について考えています。主イエスが、今日の聖書箇所で伝えようとしている平和の道も、まさにこれであります。主イエスはこのときエルサレムに入られました。今日の箇所の前半部分では、エルサレムの都が見えてきたときの主イエスのご様子が記されています。都が見えたということは、エルサレムの神殿が見えてきたということです。紀元七〇年に破壊されてしまう、あの神殿です。神殿が見えてきたときに、主イエスは涙を流されました。

主イエスが涙を流されたのは、福音書全体では二度しかありません。一つはヨハネによる福音書に書かれている出来事ですが、友人であったラザロが死んだときのことです。そしてもう一つが、今日のこの箇所です。主イエスがエルサレムに入られたときの様子は他の福音書でも記されていますが、涙を流された様子を記しているのはルカによる福音書だけです。

主イエスがこのときに流された涙は、エルサレムの町が平和の道をわきまえていなかったことに対する涙です。神の独り子が涙を流してくださるまで嘆いてくださる、それほど激しい涙でありました。

その激しさが、今日の箇所の後半部分にも見られます。この四五節から四八節にかけては、宮清めの出来事として知られています。宮とは日本語的な言い方かもしれませんが、エルサレムの神殿のことです。エルサレムの神殿を主イエスが清められたのです。どのように清められたのか。四五節に、「それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始めて」(四五節)とあります。ルカによる福音書では少し表現が和らげられていますが、他の福音書ではもっと激しい様子が記されています。例えばマルコによる福音書では、「イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。」(マルコ一一・一五)と記されています。

主イエスはなぜここまで激しい行動に出られたのか。エルサレムの神殿での商売人たちは、神殿に礼拝をする人たちを相手に商売をしていました。当時は手ぶらで礼拝に来るわけにはいきませんでした。裕福な人ならば、献げるための羊を持ってきます。しかしみんながそういうわけにはいきませんでしたから、鳩を用います。

ただし、傷のない鳩でなければなりません。旅をしてエルサレムに来るような人にとっては、旅の間で鳩に傷がついてしまうかもしれない。だから、このときはエルサレムの神殿の中にいた商売人から、鳩を購入したのです。エルサレムの神殿がそのような利益をあげる商売の場になってしまっていたのです。「祈りの家」からほど遠い状況になってしまっていた。そして何よりも、本当の礼拝の場所にはなっていなかったのです。

そのようにして主イエスは宮清めをしてくださり、その結果が四八節に記されています。「民衆が皆、夢中になってイエスの話に聞き入っていた」(四八節)とあります。主イエスが宮清めをしてくださって、本当の礼拝の場所を取り戻してくださいました。さらにその続きの箇所、第二〇章一節にもこうあります。「ある日、イエスが神殿の境内で民衆に教え、福音を告げ知らせておられると」(二〇・一)。ルカによる福音書の第二〇章と第二一章は、すべてエルサレム神殿での出来事です。主イエスがここでいろいろなことを語ってくださり、いろいろな対話をしてくださっています。これこそが本当の礼拝としてのあるべき姿です。

たとえいつ、いかなる時代であっても、このことには変わりがありません。ドイツの告白教会がバルメン宣言で掲げたように、主イエスの言葉を聴くことが、唯一、私たちにとって必要なことなのです。バルメン宣言を掲げた告白教会には、戦争がひどくなるにつれて、ますます大勢の人が集まって、熱心に主イエスの言葉に耳を傾けました。告白教会の献金額は、戦争末期には初期の頃から比べると八倍にもなったそうです。厳しい時代だからこそ、神の言葉を聴く。これが本当の礼拝の姿であり、本当の教会の姿であるのです。

主イエスが清めてくださったエルサレムの神殿は、紀元七〇年に崩壊してしまいました。しかし主イエスは教会を建ててくださいました。そして教会を清めてくださいました。宮清めをするように、教会清めをしてくださったのです。主イエスが教会を清めてくださり、主イエスの言葉をそこで聴けるようにしてくださった。教会に集う私たちも、主イエスの言葉によって清められるのです。

主イエスのエルサレムでの宮清めは、指導者たちの怒りをかってしまいました。四七節に「祭司長」が出てきます。ルカによる福音書で「祭司長」という言葉が出てきたのは、今日の箇所が二度目です。最初の箇所は、主イエスが受難の予告をされたときのことです。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。」(九・二二)。主イエスのこの予告通り、祭司長の怒りをかってしまった。

祭司長というのは、当時の議会の召集者です。この人を敵にまわしてしまったがゆえに、主イエスの十字架が起こってしまったと言っても過言ではないでしょう。事実、祭司長のもとで裁判がなされ、死刑の判決が下されてしまいます。主イエスが宮清めをしてくださったことが、十字架という結果を生み出したのです。

新約聖書のエフェソの信徒への手紙にこういう言葉があります。「キリストがそうなさったのは、言葉を伴う水の洗いによって、教会を清めて聖なるものとし、しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、汚れのない、栄光に輝く教会を御自分の前に立たせるためでした。」(エフェソ五・二六~二七)。主イエスの十字架によって清められるのは、教会であります。それと同時に、教会にいる私たちも清められます。教会では神の言葉を聴くことができます。これが私たちの清めです。そして私たちが、まことの平和の中に生きる道でもあります。平和の道をわきまえることは、主イエスが清めてくださった教会で、神の言葉を聴くことなのであります。