松本教会 プロテスタント 日本キリスト教団松本東教会

facebook.png


HOME > 礼拝説教集 > 20100808

2010年8月8日(日)
説教題「道筋をまっすぐ通せ」

説教者 本城仰太 伝道師 

新約聖書: ルカによる福音書 第3章1節〜6節

 皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」

旧約聖書: イザヤ書 第40章1〜11節





レニングラード エルミタージュ美術館蔵(ロシア)
バプテスマのヨハネの説教(Sermon of John the Baptist)/レンブラント・ファン・レイン (Rembrandt Harmensz, van Rijn)

バプテスマのヨハネの説教(Sermon of John the Baptist)/レンブラント・ファン・レイン (Rembrandt Harmensz, van Rijn)
ベルリン国立美術館 蔵(Staatliche Museen zu Berlin)
(ベルリン/ドイツ)

上記をクリックすると作品のある「wikimedia commons.」のページにリンクします。

 本日、私たちに与えられました聖書の箇所で、「預言者イザヤの書」(四節)が引用されていました。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、/山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、/でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」(四~六節)。イザヤ書はルカによる福音書よりも、だいたい六百年前に書かれたと言われています。

 ルカが引用したのは、イザヤ書の第四〇章からであります。その三~五節にかけて、こうあります。「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え/わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現れるのを/肉なる者は共に見る。」(イザヤ四〇・三~五)。

 ルカがイザヤ書を引用したのは、もちろん理由があります。六百年前に記された聖書の言葉が、今ここで、本当の意味で実現したと考えるからです。荒野に道が通される。そのような主の栄光が現れるのを、ルカはもちろん、ルカの福音書から御言葉を聴いている私たちも、それを見るのであります。

 イザヤ書第四〇章が記された当時は、どのような状況だったのでしょうか。実は、当時、イスラエルは国を失っている状態でありました。バビロニアという強大な国に滅ぼされてしまっていたのです。紀元前の五八七年、エルサレムは陥落してしまいます。エルサレム神殿も城壁も破壊されてしまいます。それだけではない。エルサレムが陥落したときも含めて、三回の捕囚が行われます。イスラエルの主だった人々は、バビロンまで捕囚として連れて行かれる。故郷を離れての生活を余儀なくされたのです。帰りたくても帰れない。連れて行かれた人々は、故郷エルサレムを思って嘆いている。そんな中で、イザヤ書のこの箇所は書かれました。

 この捕囚は結局、数十年続くことになりました。捕囚されて連れて行かれた人々にとっては、故郷に帰る道筋がまったく見えなかったのでしょう。その者たちに、あなたたちは帰ることができるのだという約束の言葉が響く。それが本日与えられたイザヤ書の箇所です。三節のところに「広い道を通せ」(イザヤ四〇・三)とあります。バビロンの街の中には、このような広い道が実際にあって、王や兵士たちが戦争に勝利をしたときに、凱旋をしながら歩いたようです。イスラエルに勝利したときもそうだったのかもしれません。

 イスラエルの人々にとっては、この広い道は屈辱的な道であります。しかし今や、「荒れ地に広い道を通せ」(イザヤ四〇・三)と預言者イザヤは言います。普通ならば、荒れ野に道など通るはずがない、と考えます。イスラエルの人々も、故郷であるエルサレムに帰れそうもないと思っていましたが、それが実現する。その約束の言葉が響く。そして実際、イスラエルの人々は捕囚からの帰還を果たすわけです。

 このようにして、バビロンから戻ってくることができ、神殿を再建し、城壁を修復したイスラエルの民であります。しかしまたもや、イスラエルは荒れ野に道を阻まれるような状況に置かれていました。今度は、ローマ帝国という強大な国が立ちはだかったのであります。

 福音書を記しましたルカは、当時の権力者の名前を次々と挙げています。そのトップに来るのが、ローマ皇帝のティベリウスの名前であります。皆さまもおそらくそうするだろうと思いますが、複数の偉い人の名前を書いていくときに、偉い順にその名前を記すのではないかと思います。ルカもここではそれに従っているようです。

 まずはローマ帝国のトップである皇帝ティベリウス。彼はアウグストゥスの次の皇帝で、二代目の皇帝でありました。ローマ帝国の歴史を書いたある人が、アウグストゥスとティベリウスを評価してこう言っています。「アウグストゥスが構築し、ティベリウスが盤石にした」。このように評価されるくらいですから、ローマの支配はかなり確固たるものだったのでしょう。

 そのローマ帝国から派遣されてきたのが、総督ポンティオ・ピラトです。先ほど、私たちが唱えました使徒信条の中にも、ポンティオ・ピラトの名前がありました。主イエスを十字架にかけるという決定を下した責任者であります。そのポンティオ・ピラトに続き、ヘロデ、フィリポ、リサニアという各地域での支配者が続きます。そして最後が自分たちの宗教指導者です。大祭司のアンナスとカイアファの名前が最後に記されるのです。

 当時のイスラエルの人々にとって、この名前の順序は屈辱的なものだったかもしれません。宗教指導者のトップである大祭司が、最後に記述される。大祭司といえども、ローマの権力によって、交代させられることも可能であったようです。イスラエルは支配されていた。力がなかった。世界のこのような状況は、イスラエルの人々にとって、どうしようもないことでありました。

 六百年まえにバビロンから帰ってきたものの、また同じような状況に追い込まれてしまった。イザヤの預言の通りに、六百年前は帰還することができたかもしれないけれども、それでもまた同じことが起こってしまう。人々は救い主を求める。そしてルカは、この救い主のことを記すために筆を執った。預言者イザヤの書をここで引用しているのは、イザヤ書の預言が本当に実現したのはこのときであると考えているからです。真実の意味で、荒野に道が通ったのはこのときであった。その出来事こそが、救い主の道備えをした洗礼者ヨハネであり、ヨハネに続いて来られた救い主、主イエス・キリストなのです。

 ヨハネが生まれたのは、主イエスに先立つこと半年でありました。ヨハネが生まれてから、その後どのように育ったのかは、第一章の最後を見ると分かります。「幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。」(一・八〇)。ヨハネは荒れ野に一旦行き、そしてそこからヨルダン川のところへ戻ってきたのであります。荒れ野にいたヨハネは、荒れ野で何をしていたのでしょうか。これは聖書には記されていません。しかし聖書学者たちは、このように推測をします。ヨハネが生活していただろう荒れ野の位置を考えたときに、あるグループとの接触があったのではないか。このグループは、エッセネ派と呼ばれるグループであります。

 このエッセネ派というのは、死海という大きな湖がありますが、その西岸に独自の共同体を作って生活をしていたグループです。そこで生活していたのは、数百人とも数千人とも言われます。私は死海のほとりにあります、エッセネ派の人たちが住んでいたところの写真を見ましたが、とても住みたいと思うような場所ではありません。山あり、谷あり、岩がごつごつとしているような場所であります。イスラエルの荒れ野の典型的な場所と言ってよいでしょう。

 エッセネ派の人々はどうしてこのような場所で、共同生活を送っていたのでしょうか。それは、彼らが世間から脱出して生活をしていたからです。エッセネ派の人々は、エルサレム神殿で行われる祭儀を批判していました。イスラエルの多くの人々にとっては、エルサレム神殿が生活の中心となっておりましたが、エッセネ派の人々はこれを否定した。ああであってはいけない、もっと律法に忠実に生きることを目指そう。そう考えて、実際、禁欲的な生活を送った。エッセネ派という名前も、敬虔な者という意味があるのだそうです。世の中から出て、荒れ野で敬虔な生活をして、そこに自分たちの理想とする共同体を作り上げようとしたのであります。

 そのエッセネ派が住んでいた場所の近くから、「死海写本」と呼ばれる写本が発見されました。第二次世界大戦以後の最大の考古学的発見の一つと言われています。この写本が発見されてから、だいぶ解読も進み、どんなことが書かれているのか分かるようになりました。そしてエッセネ派の人々が書いたと思われる写本も見つかったのです。彼らの書いた文章の中に、イザヤ書第四〇章三節の言葉もあった。「主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。」(イザヤ四〇・三)。

 エッセネ派の人々は、荒れ野に道を通そうとしていた。その理想に生きたのであります。この世界は山あり、谷あり、道も曲がりくねって、でこぼこしている。そして実際に、彼らは荒れ野に出かけていったわけですけれども、せめて自分たちだけでも、禁欲的な共同体を作り上げたいと思った。自分たちの場所だけでも、せめてまっすぐに道を通そうと考えたのであります。このように、エッセネ派の人々は脱世間的であり、世の中を否定する傾向にあったようです。

 私たちも、エッセネ派の人たちの気持ちに同情するところもあると思います。この世の中が、山あり、谷あり、道も曲がりくねって、でこぼこしていることはよく分かります。そんなことは誰から言われなくても分かっているのです。戦争があり、テロがある。核兵器がある。核兵器を削減する、あるいはゼロにするという声が、世界中で挙がってきている。世の中を変えようとして、社会の中にとどまって声を挙げている人がいる。

 しかし他方、その陰では、エッセネ派のような人たちもいるかもしれない。そんな大きな理想は無理だとあきらめる。大きな理想をあきらめてどうするのか。完全にあきらめてしまい、何もしないという道もあります。それともエッセネ派のように、小さな理想に生きるという道もある。せめて自分たちの小さな場所だけでも、自分たちの理想を作り上げたい。大きな理想をあきらめて、小さな理想に生きるという心も、私たちはよく分かるのであります。

 ところが、ヨハネがヨルダン川に出てきたとき、ヨハネはもう小さな理想を捨てていました。ヨハネがエッセネ派とかかわりがあったのかどうか、多くのものはかかわりがあったと考えますけれども、これは確実ではありません。しかし少なくとも、ヨハネが荒れ野からヨルダン川に出てきたときに、エッセネ派の考えからは完全に脱却していたことは確実です。エッセネ派とヨハネが決定的に違うという証拠は、ここでは省略いたしますが、たくさん挙げることができます。ここがヨハネとエッセネ派の違うところだ、注解書や辞書を見ればそのようなことがたくさん書いてあります。

 何よりもここで言わなければならないのは、本当の救い主を知っていたどうかということが、決定的に違うのです。ヨハネはもうこのとき、すでに神の救いを知っていた。エッセネ派は知らなかった。ヨハネは世界全体が平らになることを知っていた。曲がった道がまっすぐになり、でこぼこの道は平らになり、神の救いを仰ぎ見ることを知っていたのであります。これが決定的な違いです。

 救いの到来を知っていたヨハネが、世の中に出て来てから、最初に行ったことは何か。そのことが三節に記されております。「罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた」(三節)。この福音書を記しましたルカは、とても丁寧にこの箇所を書き記していると思います。ヨハネは人々に洗礼を授けるわけですが、この洗礼の意味を、罪の赦しに至る洗礼であり、悔い改めの洗礼であると記します。さらにルカが丁寧に記していることは、いきなり洗礼を授けたのではないということ。その洗礼を宣べ伝えるということを、最初に行ったのだと記すのであります。

 ヨハネはどのような言葉で洗礼を宣べ伝えていたのでしょうか。ヨハネの言葉は、来週の箇所になりますが、七節以下のところに記されています。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。」(七~八節)。ヨハネの言葉はさらに続きますが、個々の人に対しても、具体的な悔い改めを求めます。「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」(一一節)。「規定以上のものは取り立てるな」(一三節)。「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」(一四節)。このようなヨハネとの対話の後で、人々は洗礼を授けてもらうわけです。ここでの悔い改めの奨めは、個人的なものであるかもしれません。しかし、誰からも気付かれないような個人的な、小さな悔い改めが、「主の道を整え、その道筋をまっすぐに」(四節)することにつながるのであります。

 もう一度、ルカが引用しているイザヤ書に着目いたしますと、最初の部分は命令の形になっています。「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。」(四節)。ところが、その続きは命令の形ではなく、文法的に言えば未来形になります。谷はすべて埋められるだろう、山と丘はみな低くされるだろう。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになるだろう、人は皆、神の救いを仰ぎ見るだろう。

 ヨハネが登場したときは、未だ来ていない未来であったとしても、もうすでにこれは過去のことになったのです。救い主はすでに来られた。山も谷もなくなり、曲がった道はまっすぐになり、でこぼこ道は平らになった。主イエスがお生まれになるとき、天使が告げたように、「地には平和」があるのであります。

 私たちが生きているこの世界にまっすぐに道を通すのであれば、悔い改めの洗礼以外に道はないのであります。エッセネ派のように、この世界を脱出して、自分たちだけの小さな理想に生きるのではない。まして、あきらめるのでもない。まっすぐな救いの道を歩くことであります。入口には悔い改めの洗礼があるでしょう。主イエスのお体と血に与る聖餐があるでしょう。そして何よりも、御言葉を聴くことが常にあるでしょう。そのような信仰のまっすぐな道を、歩くことであります。私たちは迷うことなく歩くことができる!喜んで悔い改めることができる!もはや、この道には、山もなければ、谷もない。曲がったところもなければ、でこぼこのところもないのであります。救い主が来られた道は、もうまっすぐになっているのであります!