松本教会 プロテスタント 日本キリスト教団松本東教会

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2015年9月13日(日)
説教題「私はキリスト者です」

説教者 本城仰太 牧師

新約聖書: ヨハネによる福音書 第9章18〜23節

それでも、ユダヤ人たちはこの人について、盲人であったのに目が見えるようになったということを信じなかった。ついに、目が見えるようになった人の両親を呼び出して、尋ねた。「この者はあなたたちの息子で、生まれつき目が見えなかったと言うのか。それが、どうして今は目が見えるのか。」両親は答えて言った。「これがわたしどもの息子で、生まれつき目が見えなかったことは知っています。しかし、どうして今、目が見えるようになったかは、分かりません。だれが目を開けてくれたのかも、わたしどもは分かりません。本人にお聞きください。もう大人ですから、自分のことは自分で話すでしょう。」両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れていたからである。ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである。両親が、「もう大人ですから、本人にお聞きください」と言ったのは、そのためである。

旧約聖書: ダニエル書3:8~18

本日、私たちに与えられた聖書箇所の中に、このような言葉があります。「両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れていたからである。ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである。」(二二節)。この言葉は、ヨハネによる福音書にとって、かなり重要な言葉になります。なぜかと言うと、ヨハネによる福音書がどういう意図をもって書かれたのか、そのことがよく表れているからです。

今日の聖書箇所の場面は、主イエスが人々の前に姿を現され、公の生涯を始められてから、せいぜい二、三年といったところでしょうか。もっと短かったかもしれません。聖書の中に、主イエスに対して信仰を言い表している者も、もちろん登場します。しかし主イエスがメシア、元の言葉ではキリストであり救い主の意味ですが、主イエスを十字架にお架かりになり復活されたキリストとして、公に信仰を言い表すようになったのは、もっと後のことです。

「会堂から追放すると決めていたのである」というのも、もっと後になってから決められたものです。主イエスが地上の生涯を歩まれていた間にユダヤ人たちの間で決議されたものではありません。主イエスが天に上げられた後、教会が建てられ、キリスト者が増えていく中で、決議されたものです。

つまり、この二二節の言葉は、主イエスの時代の話だけではなくて、その後のことも含めて書かれているということになります。お気づきになられた方もあるかもしれませんが、一八節から突然「ユダヤ人」という表現が出てきます。第九章では、今まで「人々」とか「ファリサイ派の人々」という表現が使われてきました。「ユダヤ人」という表現が、一八節と二二節、それから来週の箇所になりますが二四節で使われています。

この「ユダヤ人」というのは、主イエスの時代のユダヤ人だけでなく、ヨハネによる福音書が書かれた時代のユダヤ人たちも含まれています。ヨハネによる福音書は、四つの福音書の中で一番書かれたのが遅く、主イエスの十字架と復活が起こってから五十年以上が経過をしていたと言われています。五十年後のユダヤ人も含めて、ヨハネによる福音書の著者はそう書いているのです。

そのように考えていきますと、二二節の言葉は、自分たちの今の状況を踏まえて書かれたと言えます。ヨハネによる福音書の大きな特徴として、単なる主イエスの話を記しているだけではないということが挙げられます。もちろん、他の福音書もそういうところがあります。しかしヨハネによる福音書は特にそうなのです。主イエスの出来事に、自分たちの今の教会の状況を加えて語り直している。そういう特徴があるのです。

ヨハネの教会は、信仰者たちの群れです。いったい何人が教会員として属していたのかは分かりません。それほど多かったというわけではないでしょう。しかし皆が、イエスはキリストである、そのように信仰を告白する者たちでありました。ユダヤ人たちの反対に遭いながらも、キリスト者として歩んでいたのです。

今日の説教の説教題を、「私はキリスト者です」と付けました。唐突な説教題という感じがあるかもしれませんけれども、やはり今日の聖書箇所の内容に深くかかわっている題であると思います。

聖書の中に「キリスト者」という言葉が出てきます。特に忘れることができないのは、使徒言行録第一一章二六節です。「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。」(使徒言行録一一・二六)。この箇所にありますように、それまでキリスト者は「弟子」と呼ばれていました。主イエスの弟子という意味です。しかしこのときから「キリスト者と呼ばれるようになった」とあります。

アンティオキア教会というのは、エルサレム教会に次いで建てられた教会です。使徒パウロもこの教会から派遣されて、各地に伝道旅行に行きました。このアンティオキアという場所で初めて、キリスト者と「呼ばれるようになった」のです。自分たちから名乗ったのではありません。教会の外の人たちからそう呼ばれるようになったのです。

想像するに、教会の人たちは絶えず「キリスト」「キリスト」と口にしていたのだと思います。「イエスこそキリストだ」。「キリストが私たちの罪のために十字架にお架かりになったのだ」。「キリストがお甦りになられた」。「キリストは今も生きて働いておられる」。そういう言葉を絶えず口にしていたのだと思います。

そうすると、それを聞いた周りの人たちは、あの人たちはいつでも「キリスト」「キリスト」と言っている。だから「キリスト者」と呼ぶことになったのだと思います。教会の人たちはそのように呼ばれて、どうしたでしょうか。教会の人たちは喜んでその名称を受け入れました。私はキリスト者だ、キリストのものだ、キリストに属する者である。今度は自らがそのように名乗るようになったのです。

本日は教会設立九一周年の記念礼拝を行っています。今から九一年前、一九二四年九月一三日、今日とちょうど同じ日付でありますが、正式な教会として発足をしました。それまでも聖書研究会としての歩みがありましたが、正式な教会となってから、今年が九一年目になります。この九一年の歩みも、「私はキリスト者です」、そのように告白する者たちの歩みでありました。

昔の教会員の話を少しいたしますと、昨年のゴールデン・ウィークに、ある方の納骨を行いました。その方は大阪で信仰生活をなさっていた方で、その地で亡くなり、大阪の教会で葬儀も済ませました。しかし実家が安曇野の三郷にあり、墓地もそこにありましたので、そこへの納骨をしたいと願った。実はその方の父が昔の教会員であり、松本東教会に納骨の依頼があったのです。

その方の父は、戦前、戦中、そして戦後の教会を支えた教会員です。教会の『七十年史』にしばしば名前が登場してくる人物です。三郷にあります郵便局の局長を長くしていた方です。戦争中、礼拝出席者が激減する中、私たちの教会と近隣の教会の三教会で合同せざるを得ないようなときにも、毎週、欠かさずに礼拝を守られた方です。

三郷の地域に住んでいる人たちから、「郵便局長さんは、いつも日曜日はいない」と言われながらも、礼拝を重んじていたそうです。もちろん三郷の人たちは、郵便局長がキリスト者であり、教会に行っていることは知っていたのです。キリスト教が敵国の宗教であると思われるような時代の中、そのように言われながら礼拝に行っていた。自分の子どもたちは当然、連れて行くことができず、自分一人だけで行っていたそうです。

戦後は会堂建築に尽力をしたそうです。今、私たちが礼拝を行っているこの会堂を建てるために、中心的な働きをしました。臨終の床においても、会堂建築のことを気にされながら召されていった、そんな人であります。戦後、子どもたちもそれぞれに信仰を持つことになりました。その子どもたちのうちの一人が、昨年、納骨をされた方です。大阪において、信仰を持つに至りました。父の姿があったからだと私は思います。「私はキリスト者である」、その姿を子どもたちは見ていたのであります。

二千年前のユダヤ人たちの間で生きたユダヤ人キリスト者たちも、日本の戦争中の教会を生き抜いた私たちの信仰の先輩たちも、そして今の私たちも、これからの私たちも、イエスをキリストであると公にすること、私はキリスト者ですと告白することは、恐れを伴うことかもしれません。なぜ私たちは恐れるのか。それは、自分のことを理解してもらえないのではないか、そう思ってしまうからです。いや、実際にそのことが起こるからです。教会はこの戦いを、いつでもどこでも続けてきたのです。

このときもユダヤ人たちから問い詰められて、目を癒していただいた人の両親はこう答えています。「これがわたしどもの息子で、生まれつき目が見えなかったことは知っています。しかし、どうして今、目が見えるようになったかは、分かりません。だれが目を開けてくれたのかも、わたしどもは分かりません。本人にお聞きください。もう大人ですから、自分のことは自分で話すでしょう。」(二〇~二一節)。どうして目が見えるようになったのか、誰が目を開けてくれたのか、そのことは分からないと答えています。

しかし私は十中八九、そのことを両親は知っていたと思います。なぜなら、第九章の八節のところで「近所の人々や、彼が物乞いであったのを前に見ていた人々」という人たちが出てきますが、この人たちはどのように、誰によって癒されたのか、知るようになったからです。当然、両親も知ることになったでしょう。ところが、ユダヤ人たちから問い詰められて、知っていることを知らないと言ってしまう。その上で、本人に聞いてください、もう大人ですから、と答えるのです。

大人とはいったい何でしょうか。何歳までが子どもで、何歳からが大人なのでしょうか。日本では成人が二十歳であり、それを今、一八歳に引き下げるかどうか、などということが話し合われています。両親たちはどういう意味で大人だと言っているのでしょうか。「自分のことは自分で話すでしょう」と続けて言っている通り、自分の口で自分のことを答えられる、そういう意味で大人と言っています。

この目を癒していただいた人が何歳であるのかは分かりません。聖書学者たちが教えてくれますが、法的に証言をすることができるのは、当時の社会では一三歳からだと決まっていたそうです。そうすると少なくとも一三歳以上ということになります。

両親は、きちんと答えることから逃げてしまっています。恐れにかられたからです。しかしこの両親は、案外、大事なことを言っていると私は思います。この子はもうきちんと自分に何が起こったのか、誰によって救われたのか、そのことを答えることができる。そのくらいの年齢にすでに達している。自分の信仰をきちんと答えることができると言っているのです。

キリスト教会の歴史において、一三歳くらいの子どもたちに対して、もう子どもと見なすのを最後にして、信仰の大人への入り口として、信仰教育をすることがしばしばなされてきました。カテキズムという信仰問答書が多く作られます。私たちの教会でも、ハイデルベルク信仰問答を学んでいます。問いと答えを重ねていきながら、教会の私たちがいったい何を信じているのか、その信仰の筋道をたどっていくものです。ハイデルベルク信仰問答だけでなく、カルヴァンのジュネーブ教会信仰問答、ルターの教理問答など、多くのカテキズム、信仰問答が作られてきました。

このようなカテキズムが作られた目的は、一概に言えないところもあります。今から五百年ほど前のヨーロッパでは、教会の改革によって、次々と新しい教会が生まれていました。自分たちがいったい何を信じているのか、そのことを明確にする必要がある、それも一つの目的でした。

しかし一番大きな目的と言ってもよいと思いますが、十代の子どもたちへの信仰教育を目的に作られました。子どもたちは生まれてすぐに幼児洗礼を受けます。そして一三歳くらいになると、堅信礼というものを受けます。信仰を自分の口で言い表すのです。そのための準備として用いられたのが、カテキズムです。いったい何を信じて生きるのか、そのことを教えるためです。そのようにして信仰を言い表し、「私はキリスト者です」と告白する歩みを始めていくのです。

これが信仰の大人ということです。ここで今一度、二一節にあります「大人」という言葉を深く考えてみたいと思います。日本語の翻訳は「大人」あるいは「おとな」となっています。聖書の元の言葉のギリシア語では、大人というよりも「年齢」「背丈」などと訳せる言葉になっています。英語の多くの翻訳は“he is of age”となっています。「彼は年齢に達している」とでも訳せばよいでしょうか。この点ではかつての文語訳聖書が「年長けたれば」と適切にも訳しています。彼はそのくらいの年齢に達しているということです。

この言葉は「背丈」とも訳せる面白い言葉です。聖書でもその意味として使われているところがありまして、ルカによる福音書第一九章に出てくる徴税人ザアカイを「背が低かったので」(ルカ一九・三)と表現しています。また、主イエスが山上の説教の中でこう言われています。「あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。」(マタイ六・二七)。

「寿命」となっていますが、「年齢」と訳しても「背丈」と訳してもよいのです。「年齢」が伸びるように、つまり「寿命」が延びるように思い悩んでも、どうにもならないではないか。「背丈」が伸びるように思い悩んでも、どうにもならないではないか。思い悩んでもどうすることもできないことを悩むなと主イエスは言われるのです。こう考えますと、「大人」と訳されている言葉は、成長に応じたことを表す言葉だということが分かります。成長をすると「年齢」があがる、「背丈」が伸びるということです。

興味深いのは、エフェソの信徒への手紙第四章一三~一四節です。「ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。こうして、わたしたちは、もはや未熟な者ではなくなり…」(エフェソ四・一三~一四節)。

ここで使われている「成熟」という言葉が「大人」という言葉と同じなのです。「大人」と言うからには「成熟」している。両親も目が見えるようになった自分の子に対してそう言ったのです。もはや未熟ではない、自分のことをきちんと自分の口で言える、それくらい成熟していると言っているのです。

ここでの信仰において成熟している、大人であるというのはどういうことでしょうか。それは、きちんと自分の口で信仰を言い表すことができるということです。それが信仰の大人です。目が見えるようになったこの人は、第九章の三八節のところで、「主よ、信じます」(九・三八)と言っています。目が見えるようになって初めて主イエスのお姿を見たときに、主イエスとのやり取りの中で、「主よ、信じます」と自分の口で告白したのです。反対に両親はこのときそれができませんでした。ユダヤ人たちへの恐れの方が強かったからです。

私たちはどうでしょうか。成熟しているでしょうか。大人でしょうか。キリスト教会は十代で信仰告白ができると信じて歩んできました。実際にそのように教育をし、十代のキリスト者が生まれていきました。「主よ、信じます」、この目が開かれた人と同じように、主イエスにまみえ、主イエスのことを心で信じ、自らの口で言い表すことができる、そう信じて歩んできたのです。

「私はキリスト者です」、信じて言い表し、洗礼を受けた者は、誰でもこのように言うことができます。私はキリスト者、イエス・キリストによって罪赦され、救われた者。私はキリストのもの、キリストに属する者。これが九一年もの間、私たちの教会に与えられた力です。そして私たち一人一人をも生かす力なのであります。