松本教会 プロテスタント 日本キリスト教団松本東教会

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2015年1月18日(日)
説教題「人を通して神を知る」

説教者 本城仰太 牧師

新約聖書: ヨハネによる福音書 第4章27〜42節

ちょうどそのとき、弟子たちが帰って来て、イエスが女の人と話をしておられるのに驚いた。しかし、「何か御用ですか」とか、「何をこの人と話しておられるのですか」と言う者はいなかった。女は、水がめをそこに置いたまま町に行き、人々に言った。「さあ、見に来てください。わたしが行ったことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかもしれません。」人々は町を出て、イエスのもとへやって来た。その間に、弟子たちが「ラビ、食事をどうぞ」と勧めると、イエスは、「わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある」と言われた。弟子たちは、「だれかが食べ物を持って来たのだろうか」と互いに言った。イエスは言われた。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである。あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月もある』と言っているではないか。わたしは言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。既に、刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶのである。そこで、『一人が種を蒔き、別の人が刈り入れる』ということわざのとおりになる。あなたがたが自分では労苦しなかったものを刈り入れるために、わたしはあなたがたを遣わした。他の人々が労苦し、あなたがたはその労苦の実りにあずかっている。」
さて、その町の多くのサマリア人は、「この方が、わたしの行ったことをすべて言い当てました」と証言した女の言葉によって、イエスを信じた。そこで、このサマリア人たちはイエスのもとにやって来て、自分たちのところにとどまるようにと頼んだ。イエスは、二日間そこに滞在された。そして、更に多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。彼らは女に言った。「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです。」

旧約聖書: 出エジプト記 第33章18~23節

クリスマスの記憶をまだ新しく覚えておられる方も多いと思います。私たちの教会でもクリスマスの様々な祝いがなされました。クリスマスは日本において、一番伝道がしやすい時期であると思います。嬉しいことに、初めての方や久しぶりの方も来てくださいました。また、中には家族や友人に連れて来られた方もいらっしゃいました。このようなことを見ただけでも、クリスマスには多くの人の心が教会に向きやすいのだと思います。

私たちはクリスマスに限らず、いつでも伝道がしたいと思っています。家族や友人と一緒に教会に来ることができたらどんなによいか、そう思っておられる方も多い。普段そのようなことをこれっぽっちも思っていなかったとしても、たとえ連れて来ることができなかったとしても、それが本当の私たちの願いです。私の家族のあの人は絶対無理だ、そう思っていたとしても、時が来れば信仰者になっている。そんな事例はいくらでもあります。

教会の礼拝で語られる説教の言葉は、伝道の言葉です。主イエス・キリストを信じて歩む、その道を伝える言葉です。そして家族や友人の伝道のための言葉でもあります。私が学んでいる説教塾で、指導の責任を負ってくださる加藤常昭先生が、説教セミナーなどでしばしば言われている言葉があります。それは、「その説教で伝道ができますか?」という言葉です。塾生である牧師たちの説教を聴かれて、その言葉を言われる。大変厳しい言葉でありますが、私たちの説教がどうあるべきか、その姿勢を問われる言葉です。

説教は、今ここに来ている求道者に伝道をするための言葉でなければなりません。そしてそれだけでなく、ここに来ていない人たちの伝道のための言葉でもなければなりません。聴いている皆様が、ああ、自分の家族や友人をぜひここに連れてきたい、そう思えるような説教、それが伝道できる説教です。説教者はいつもその説教を語ることが求められています。

しかし求められているのは、説教者だけではありません。教会に集う者として、果たして自分の教会は伝道できる教会になっているだろうか、そのことを問われます。自分の家族や友人を、ぜひ自分の教会に連れて来たいと思えるような教会になっているだろうか。また各個人も、伝道をするキリスト者になっているだろうか。そのことも問われる。伝道ということに関して、いろいろなことが問われているのです。

先週に引き続き、今週もやはり伝道がテーマになる聖書箇所であります。サマリアの女が主イエスと出会い、対話をしました。その対話の結果、サマリアの女は小さな伝道者になりました。町に伝道に出かけたのです。「女は、水がめをそこに置いたまま町に行き、人々に言った。「さあ、見に来てください。わたしが行ったことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかもしれません。」人々は町を出て、イエスのもとへやって来た。」(二八~三〇節)。

伝道の様子はほとんど記されていません。一体この女性は誰のところにいったのでしょうか。本当はあまり人とは顔を合わせたくないと思っていた人です。他の女と一緒に水を汲みに行くことができずに、誰も井戸に水を汲みに来ないような、そんな時間にわざわざ一人で水汲みに行った女です。しかし一緒に生活をしている男がいましたし、家族や知人もいたのだと思います。そういう人たちにも伝道をしたでしょうし、見ず知らずの人にも伝道をしたと思います。

サマリアの女はどのように伝道をしたのか、一つのヒントがあります。三九節にこうあります。「さて、その町の多くのサマリア人は、「この方が、わたしの行ったことをすべて言い当てました」と証言した女の言葉によって、イエスを信じた。」(三九節)。「言葉によって」とあります。その言葉とはどういう言葉かというと、「自分の生活を知らないはずなのに、すべて言い当てた人がいる」、そんな言葉です。その言葉によって人々は信じました。

しかし言葉というのは、決してその言葉を語った人の存在を切り離すことはできないものです。同じ言葉でも、語った人によってその効果はまったく違ってきます。女は確かにこのような言葉を町の人たちに語った。そのとき、この女はどんな顔をしていたでしょうか。どんな表情をしていたでしょうか。町の人に何とか伝えたい一心で興奮していたか、自分の生活を言い当てられたことに驚いていたか、もしかしたらメシアではないかと思われる人に出会って喜んでいたか、伝道できる喜びに輝いて生き生きしていたか、そんな女の姿を思い浮かべることができそうです。少なくとも、この女はいつものように、人目を避けるようなことはありませんでした。

「女の言葉によって」、それプラス「別人のように変わった女の存在によって」、人々は信じたのです。主イエスは町の人たちの求めに応じて二日間、この町に滞在なさいました。四一節にこうあります。「そして、更に多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。」(四一節)。主イエスを「見て」信じたわけではありません。今の私たちとまったく変わりのないように、「聞いて信じた」のです。

サマリアの町の人たちは、最初は女を通して信じました。しかしその後、主イエスから直接聞いて信じた。同じ信じるという言葉が使われていますが、こういう段階があるのです。人を通して神を知り、信じるようになっていくのです。

サマリアの町の人たちの最終的な信仰告白の言葉が四二節にあります。「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです。」(四二節)。信仰で大事なのは、イエスというお方は一体誰かということです。イエスというお方は、単なる歴史的な人物ではない。単なる道徳的な教師でもない。社会に革命を起こす単なる革命家でもない。そうではなく、イエスはキリスト、救い主、それも私の救い主である。信仰を持ってそのように告白をする。それが信仰告白の言葉です。サマリアの町の人たちはそのように信仰告白をしていると言ってもよいのです。

サマリアの町の人たちは何と言っているかというと、主イエスのことを「世の救い主」と言っています。ヨハネによる福音書は、一世紀の後半に書かれた書物です。その当時、「救い主」というギリシア語の言葉は、いろいろなところで使われることがあったそうです。例えば、ギリシアの神々のことを救い主と呼ぶ。人間を救ってくれそうな、そんな神々として救い主と呼ぶことがあったそうです。

そして何と言っても救い主という称号が付けられたのは、ローマの皇帝たちに対してでした。初代皇帝のアウグストゥスは「全人類の救い主」とも言われていたそうです。また、二世紀前半の皇帝であるハドリアヌスは「世の救い主」と言われていた。今日の聖書箇所に出てくる「世の救い主」(四二節)とまったく同じ言葉です。さらには、ヨセフスというユダヤ人歴史家が「ウェスパシアヌス帝はある町の救い主と恩人と呼ばれることを歓迎し、息子のティトゥス帝もそうだった」と書いています。多くのローマの皇帝たちが「救い主」と呼ばれた。そのことを歓迎し、誇らしく思い、それを当然だと思った。それが一世紀から二世紀にかけての時代でした。

皇帝の名前が次々と出て来て恐縮ですが、トラヤヌス帝という皇帝がいました。この人の頃、ローマ帝国は最大の領土を誇っていた時代です。ヨハネによる福音書が書かれた直後くらいの皇帝です。このトラヤヌス帝が、地方の政治の責任を負っていた部下から、こんな質問を受けます。キリスト教徒が少しずつ迫害に遭っていた時代です。裁判に訴えられたキリスト者をどのように処遇したよいか、そういう質問です。トラヤヌス帝はこのように答えます。「積極的にキリスト者をわざわざ探し出す必要はない。けれどもキリスト者として裁判にかけられ、棄教しない場合は処罰もやむなし」。

なんとも曖昧な処遇の仕方ですが、実際にトラヤヌス帝のこのような考えによって、処刑されてしまうキリスト者たちもいた。ヨハネによる福音書が最初に読まれた時代は、そのような時代だったのであります。その福音書になんと書いてあるか。イエスというお方が「世の救い主」である。サマリア人たちが最初にそう信仰告白をしたわけですが、ヨハネによる福音書の読者もそれに続いた。ローマの皇帝ではなく、イエスというお方を「世の救い主」と呼ぶ、それは非常に挑戦的だったことがよく分かります。

新約聖書の最後に、ヨハネの黙示録があります。ヨハネによる福音書と文体も似ていて、著者もかかわりがあるのではないかと言われています。ヨハネの黙示録の最初を読みますと、ヨハネと呼ばれる人物は、パトモスという島にいることが分かります。なぜ島にいたのか。迫害ゆえに、島流しにされていたのか、それとも島に逃げ込んでいたのか、はっきりとは分かりませんが、大変な迫害に遭っていたのです。そんな中で、主イエスを「世の救い主」と呼ぶ。まさに命を懸けて言うような言葉だったのです。

なぜキリスト者たちは命がけでその言葉を大事にしていたのか。イエス・キリストが世の救い主である、一体どのような意味で世の救い主なのでしょうか。ローマ皇帝は地中海一帯を治めていました。ローマ帝国内はこのときは比較的平和であった。その意味で、ローマの皇帝は「世の救い主」と呼ばれているところもあったのでしょう。その後、ローマの皇帝以外にも自ら皇帝と名乗り、世を支配する者が絶えることはありませんでした。

だいぶ時代が進んでの話になりますが、フランスのナポレオンもそうです。最初は一軍人にすぎなかったナポレオンでありますが、頭角を現し、戦いで勝利を重ね、ついに皇帝の称号を手に入れた人です。ナポレオンが皇帝となる戴冠式の有名な絵があります。その絵の特徴は、ナポレオン自らが冠をかぶせているということです。通例としては、例えばローマ・カトリック教会の教皇から冠をかぶせてもらう。そのようにして、神から皇帝として統治を委託されたということを表わすわけです。しかしナポレオンは違った。自らの手で、冠をかぶせる。自分の上に立つ者は誰もいないということを示したかったのでしょう。

しかしその後、ナポレオンは戦いに破れ、失脚します。南太平洋に浮かぶセントヘレナ島に幽閉され、そこで生涯を閉じています。「世の辞書に不可能という文字はない」と言ってのけたナポレオンですが、そんなナポレオンが人生の最期にどんなことを考えていたのか。ナポレオンの有名な遺書が知られています。多くの説教の中でもしばしば引用されている言葉です。ある牧師が訳してくれた訳を、少し長いですがお読みしたいと思います。

「私は、大胆に、キリストを信じますと、大声で告白できなかった。そうだ、私は、自分がクリスチャンであると、告白すべきだった。今、セントヘレナにあって、もはや遠慮する必要はない。私の心の底に信じていた事実を告白する。私は、永遠の神が存在していることを信じる。その方に比べると、バートランド大将よ、貴方はただの元首に過ぎない。私の天才的なすべての能力をもってしても、このお方と比較する時、私は無である。完全に無の存在である。私は、永遠の神キリストを認める。私は、キリストを必要とする。私は、キリストを信ずる。

私は、今セントヘレナの島につながれている。一体誰が、今日私のために戦って死んでくれるだろうか。誰が、私のことを思ってくれているだろうか。私のために、死力を尽くしてくれる者が今あるだろうか。昨日の我が友はいずこへ。ローマの皇帝カイザルもアレクサンダー大王も忘れられてしまった。私とて同様である。これが、大ナポレオンとあがめられた私の最後である。

イエス・キリストの永遠の支配と、大ナポレオンと呼ばれた私の間には、大きい深い隔たりがある。キリストは愛され、キリストは礼拝され、キリストへの信仰と献身は、全世界を包んでいる。これを、死んでしまったキリストと呼ぶことが出来ようか。イエス・キリストは、永遠の生ける神であることの証明である。私ナポレオンは、力の上に帝国を築こうとして失敗した。イエス・キリストは、愛の上に彼の王国を打ち立てている」。

ナポレオンが起こした戦争によって、二〇〇万人もの人が命を落としたと言われています。中にはナポレオンの兵士として、ナポレオンのために戦って、血を流し、命を落とした人もいるわけです。かつてはそんな人がいた。しかしセントヘレナ島に幽閉されている今、誰が自分のために死んでくれるというのか。誰もいない。もはや私の築いた国もなくなって無である。わたし自身も無である。ナポレオンはそう言っています。

それに比べ、キリストはどうか。イエス・キリストが地上を歩まれた時代から一八〇〇年経った今も、キリストを慕い、キリストを愛し、キリストのための献身に生きている人たちがいる。これこそ、キリストが今生きておられる証拠である。ナポレオンは人生の最期に、自分とキリストを比較して、そう考えるに至りました。

ナポレオンの最期の遺言は、自分をキリスト者として、キリストを信じる信仰者として葬って欲しいというものでした。ナポレオンのために血を流してくれた多くの者がいましたが、しかし最後にナポレオンが立ち返って信じたのは、他ならぬ自分のために血を流して死んでくださったイエス・キリストだったのです。世を罪から救うために血を流すまでしてくださったイエス・キリストの愛を、ナポレオンは必要としたのです。

イエス・キリストはナポレオンのようにではなく、ローマの皇帝のようにではなく、世の権力者たちのようにではなく、愛によって、神の王国を打ち立ててくださいました。世のために、人のために、私たちのために、キリストは自ら十字架で血を流し、世を愛してくださった。その愛が、昔も今も全世界に注がれています。イエス・キリストを信じる者、イエス・キリストを礼拝する者、その者たちがいるところに、神の国があります。その国には国境はありません。イエス・キリストを信じる信仰のあるところに、神の国があるのです。

考えてみますと、本日、私たちに与えられた聖書箇所は、ユダヤ人とサマリア人との和解の話でもあります。「ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである」(九節)、わざわざそう書かれていたくらいです。しかしユダヤ人であった主イエスとその弟子たちが、サマリア人たちの求めに応じて二日間もサマリアの町に滞在をされた。二日間もということは、一緒に食事をし、寝泊りをするということです。一緒に生活をしたのです。主イエスの弟子たちも、サマリア人たちも、突然の和解にただただ驚くしかなかったと思います。

そのサマリア人たちが、主イエスのことを「世の救い主」と呼んだ。ユダヤ人だけの救い主でもない。サマリア人だけの救い主でもない。ローマ人だけの救い主でもない。人類の、世の救い主と呼んだのです。その意味は非常に大きい。

イエス・キリストを信じる信仰によって、私たちは世の人たちと兄弟姉妹になることができます。本当に世の中の人と和解をしたかったら、世に平和を造りたかったら、私たちはキリストを信じる他はない、伝道をする以外にはない。そうすることで、世の人たちと兄弟姉妹になれる。今日の聖書箇所以上にそのことをよく表している例はないと思います。

キリストを信じる者たちは、キリストの愛をまず注がれた者です。キリストがご自分を犠牲にしてまで、私たちの罪を赦すために十字架にお架かりになってくださった。この愛を知り、信じた者たちが、キリストの愛に生きるようになる。サマリアの女もその一人です。そこに神の国が生まれていった。今もなお神の国が生まれ続けています。キリストの愛の国は、場所に限られることなく、人種にも限られることなく、広がっていくのであります。