松本教会 プロテスタント 日本キリスト教団松本東教会

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2017年2月12日(日)
説教題「復活の食事」

説教者 本城仰太 牧師

新約聖書: ヨハネによる福音書 第21章1〜14節

その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったのほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。

旧約聖書: ネヘミヤ記8:8~12

「原体験」という言葉があります。原点の「原」という字に、「体験」という字を書きます。辞書で意味を調べますと、こう書かれています。「その人の思想が固まる前の経験で、以後の思想形成に大きな影響を与えたもの」。つまり、このような体験があったから、その後の思想が形成され、その後の歩みが定まったということです。

主イエスの弟子たちは、三年ほど主イエスと共に歩んだ後、伝道へと遣わされていきました。弟子から使徒と呼ばれるようになります。使徒とは、遣わされた者という意味です。その遣わされた使徒たちにとって、主イエスと共に歩んだ三年間の中で、様々な出来事が原体験になったと思います。今の自分たちに大きな影響を与えているものが、主イエスとの直接の体験だったのです。

弟子たちは主イエスに派遣され、伝道をし、教会を建てていきます。そのような働きの中で、弟子たちはおそらく、主イエスの話を繰り返ししたと思います。自分たちが体験してきた原体験を、繰り返し語り続けたと思います。それらの原体験を多くの人たちが耳にし、それらのものがまとめられて、福音書が書かれました。福音書の中には、弟子たちの原体験が多くの素材として含まれているということになります。

私たちが今、手にして読んでいる聖書のことをよく考えてみたいと思います。特に福音書のことを考えてみたいと思います。新約聖書の中で、一番に書かれたのは、パウロが書いた手紙であると言われています。パウロがテサロニケ教会に宛てて、あるいはコリント教会に宛てて、多くの手紙を書いていきました。その後、福音書が作られました。パウロや使徒たちという第一世代が地上にはいなくなり、主イエスを直接知る者がいなくなりましたので、まとめて書き記す必要が生じたのです。

その後の教会の人たちは、私たちも含めてですが、そのようにして、主イエスの話を今でも読んで、味わうことができるようになりました。しかし最初は、弟子たちが直接経験したことが、自分たちの口によって繰り返し語られたのです。弟子たちは喜んで語ったと思います。伝道をするという目的がもちろんありましたけれども、今、伝道をしている自分たちの歩みを支えている体験を繰り返し語ったということになります。弟子たちにとって、主イエスとの多くの原体験があった。私たちはどうでしょうか。

本日、私たちに与えられた聖書箇所には、弟子たちにとって大きな体験をした話が記されています。今日の話の中には、過去に弟子たちが同じようなことを体験したことも起こっています。弟子たちにとって、原体験が積み重なっていったのです。

最初の一節のところには、こうあります。「その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。」(一節)。ティベリアス湖というのは、私たちにとってなじみのある言い方で言えば、ガリラヤ湖のことです。皇帝ティベリウスの名前から、そのような呼び方をすることもありました。

先週の聖書箇所では、話の舞台はエルサレム、もしくはその近郊でありました。エルサレムからずっと北にあがっていったところに、ガリラヤ湖はあります。なぜ弟子たちがガリラヤへ移動していたのか、その理由ははっきりとは記されていません。他の福音書の主イエスの復活の記事を読みますと、エルサレムでの話も記されていますし、ガリラヤで主イエスにお会いしている話もあります。ヨハネによる福音書では、両方の場面が記されていることになります。第二〇章はエルサレム、第二一章はガリラヤでの話ということになります。

弟子たちの中で、ここに登場してくるのは、全部で七人です。今日の小見出しのところにも、七という数字が記されています。二節、「シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた」という箇所から、全部を数え上げると七人となるわけです。

三節のところで、ペトロが漁に行くと言っています。エルサレムで主イエスにお会いしたとしても、まだこのときは何をしてよいのか、分からない状況だったようです。生きていくために食べ物を得る必要もありましたし、生活の必要もあったと思います。漁に行く。他の弟子たちもついていきます。明らかに漁師でなかった人も、この中には含まれています。しかし漁に行く。漁は夜にします。しかし夜通しがんばりましたが、何も獲れなかったのです。

四節のところに、こうあります。「既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。」(四節)。さらに五節では、主イエスから声をかけられたにもかかわらず、分からなかったことが記されています。「イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。」(五節)。

そういう中、主イエスが再度、弟子たちに声をかけられます。「イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。」(六節)。

これとほぼ同じような話が、別の福音書に記されています。ルカによる福音書第五章のところです。

「話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。」(ルカ五・四~七)。

この後のところを読みますと、この話は、ペトロが主イエスの弟子になった時の話であることが分かります。ペトロは最初のところでも、魚がたくさん獲れた大漁の手ごたえを感じ、主イエスの弟子になりました。今日の聖書箇所でも、復活の主イエスとの出会いの中で、大漁の手ごたえを感じた。この二つの話を、おそらくペトロはその後も語り続けたと思います。そして、その話が福音書の中に記されるようになったのです。

ペトロだけではなく、弟子たちは、この大漁の体験によって、この人が主イエスだということが分かりました。七節前半のところにこうあります。「イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。」(七節)。

一番初めに気付いたのは、この匿名の弟子でした。それを聞いたペトロはこのように行動します。七節後半のところです。「シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。」(七節)。ペトロは裸では主イエスにお会いすることができないので、すぐに上着をまとった。しかし湖に飛び込むわけです。一刻も早く主イエスのところへ行きたい。しかし舟で行くよりも泳いで行った方が早い。ペトロはとっさにそのように行動したのです。

他の六人の弟子たちは、舟においてけぼりにされてしまいました。魚が網にかかったままです。おいおい、ペトロ、と他の弟子たちは思ったかもしれません。八節には「ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。」(八節)とあります。二百ペキスとは、百メートル弱です。ペトロが他の弟子たちと魚には目もくれず、真っ先に主イエスめがけて泳いで行った。一刻も早く主イエスにお会いしたかった。なかなか憎めないペトロの姿であると思います。

続く九節にはこうあります。「さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。」(九節)。炭火が起こしてありました。誰が起こしたのでしょうか。もちろん主イエスです。火を起こすのは大変なことです。今ですと着火剤に着火マンとなりますが、そんなわけにはいきません。時間のかかることです。弟子たちは夜通し漁に出ていました。四苦八苦している弟子たちを見ながら、主イエスも夜通し準備をしてくれていたのかもしれません。しかもすでに魚とパンまで用意してくださっていたのです。

一〇~一一節にはこうあります。「イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。」(一〇~一一節)。一五三という数字がいったい何を意味するのか、いろいろな見解があります。当時知られていた魚の数だとか、当時の民族の数だとか、旧約聖書の関連で象徴的な数字として考える人もいます。

あるいは、本当に魚を数えてみたら一五三であった。かつて、五つのパンと二匹の魚で五千人以上の人たちを養った奇跡の際も、弟子たちが残ったパン屑を数えました。十二の籠がいっぱいになったのです。それと同じように、この時もきちんと数えたかもしれません。その驚きが一五三匹という数字だった。ペトロもその後、自分の主イエスとの原体験として、一五三匹も獲れたと語り、福音書にこの数字が残されたのかもしれません。

そのようにして朝の食事が始まります。その時の食事の様子がこのように記されています。「イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。」(一二~一三節)。

主イエスであることを知っていたと記されています。静かな食事の席だったと思います。炭火の音、魚が焼ける音、湖の波の音、そのような音が静かに聞こえてきました。食事中に、弟子たちはいろいろな体験を思い起こしたと思います。誰も口を開かないで、自分たちの原体験を思い起こす。間違いなく、自分たちがかつて体験したのと同じ主だ、そう心の中で思っていたのだと思います。

特に注目をしたいのは、魚とパンという言葉です。九節にはこうありました。「さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。」(九節)。ここでは魚、パンの順番です。ところが一三節では、こうあります。「イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。」(一三節)。ここではパンが先で、魚が後です。順番が逆転しているのです。

弟子たちは食事をしながら、かつての出来事を思い起こしていました。五千人にパンを分けた時のあの出来事を、主イエスが十字架にお架かりになる前の晩にパンを裂いてくださった最後の晩餐の出来事を、パンを取って与えてくださったことによって、弟子たちは思い起こしていたのです。

このような原体験が、福音書の中に書かれていきました。第二〇章のところでは、弟子たちが家の中に鍵をかけて閉じこもっている姿が書かれていました。恐れていたからです。今日の聖書箇所では、まだ弟子たちは派遣されていない、ガリラヤ湖での出来事です。そしてこれからいよいよ派遣されています。弟子たちはこのような原体験を持っていました。その後の歩みを支える、主イエスとの大事な思い出であり、原体験です。弟子たちは今日の出来事を経て、使徒として派遣されていったのです。

私たちにも、弟子たちと同じように、原体験が与えられています。二週間前の一月二九日のことになりますが、おとずれ二六四号が発行されました。毎回そうですが、おとずれは私たちの教会の関係者へ、百部ほど送っています。それ以外にも、さらに多くのところで読まれています。

毎回おとずれを送りますと、お礼の手紙と言いますか、そのようなおたよりをたくさんいただきます。おとずれを読んで、自分の若い頃の教会生活を思い起こしたとか、洗礼を受けた時を思い出したとか、当時の教会の様子を知らせてくださる方もあります。これらはいわば原体験です。主イエスと出会って信仰に生きた、そのような原体験をたくさん読むことができます。

このおとずれですが、最初に発行されたのは、一九七二年のことです。私たちの教会の七十年の歴史を綴った『七十年史』に、発行の時の様子がこう書かれています。「一九七二年四月三〇日教会総会の議題の一つとして、聖日礼拝に常時出席不可能な会員をはじめ、広く宣教に資する方途として、教会報「おとずれ」の刊行が決定された。創刊号は一九七二年七月一五日、和田正牧師の左記、発行の辞を筆頭に月間を意図して刊行された。爾来、月間が隔月となるが、現在も継続して刊行されている」。

実際の第一号に記されている和田正先生の刊行の辞に、こうあります。「このたび「おとずれ」を毎月一度発行することにしました。願わくばこれが主の御心に叶い、祝福を受けて、長く続けられて行きますように、願わくば相互の信仰と主にある交わりのため、ことに心に願いながら種々の理由で集会に出にくい方々のため、何ほどかの慰めともならんことを切に祈ります。このためこれより共に祈りつつ、一人一人に与えられたものを惜しみなくここに捧げ合って行きたいと思います」。

その後、おとずれに書かれてきたことは、牧師の説教であり、教会内の行事であり、教会員の声です。今も昔も、それほど変わっていないとも言えます。しかしそれらは、自分たちの原体験です。主イエスが私たちとどのように関わりを持ってくださったのか、それらのことがおとずれに今も書き続けられているのです。

今日の聖書箇所の一四節に、こうあります。「イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。」(一四節)。第二〇章の出来事を含めて数えると、これが三度目だと記されています。一回お会いすれば十分、もう分かったというものでもありません。私たちも、信じていたけれども、突然、目が曇って見えなくなるような出来事があります。そうかと思えば、また目が開けて、見えるようになることもあります。そのような歩みをしている私たちにとって、私たちの原点ともなる主イエスとの原体験が大事です。主イエスが何度もお会いしてくださいます。

和田先生がおとずれの第一号に「一人一人に与えられたものを惜しみなく捧げ合って行きたいと思います」と書かれたように、私たちにも原体験があり、それがおとずれに書かれています。私たちを支える、私たちの教会の歩みを支える主イエスとの出来事が与えられているのです。