松本教会 プロテスタント 日本キリスト教団松本東教会

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2014年11月2日(日)
説教題「神はたった三日間で、すべてを新たにされる」

説教者 本城仰太 牧師

新約聖書: ヨハネによる福音書 第2章13〜22節

ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。ユダヤ人たちはイエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。

旧約聖書: ヨナ書 第2章1~11節

本日、私たちに与えられた聖書箇所には、いわゆる「宮清め」の話が記されています。主イエスがエルサレム神殿を清めた、そんな話です。ヨハネによる福音書だけにではなく、他の福音書すべてに記されている話です。しかし他の福音書では、福音書の後半に記されています。主イエスが十字架にお架かりになる直前に、宮清めがなされたのです。ところがヨハネによる福音書だけは、第二章のところにある。少し位置づけが違うのです。

一三節のところに「過越祭」という言葉があります。ヨハネによる福音書に出てくる最初の過越祭です。ある聖書学者が、他の文献などとも照らし合わせて考えたのだと思いますが、これは西暦で言うと三〇年の過越祭ではないかという説を唱えています。そしてヨハネによる福音書の中に、過越祭あるいは他の祭りの記述が出てきますから、それらを年代順に追っていくと、主イエスが十字架にお架かりになったときの過越祭は三三年ではないか、その聖書学者はそのような説を唱えます。

この説に信憑性があるのかどうかはよく分かりません。しかしヨハネによる福音書には、過越祭などの祭りの記述が順々に書かれているのは事実です。主イエスが人々の前に姿を現し、伝道をなさって、最後に十字架にお架かりになった。その期間が三年くらいであるとお聞きになったことがあるかもしれません。その根拠は、ヨハネによる福音書です。過越祭などの祭りをたどっていくと、三年くらいの期間を数えることができるのです。

その三年間の歩みの中で、最初の過越祭で主イエスが宮清めを行った。他の福音書では最後の過越祭で宮清めがなされました。これを一体どう考えればよいのでしょうか。ある人は、主イエスは宮清めを二回、ないし複数回行ったのだと考えます。もしかしたらそうなのかもしれません。しかし本当のところはよく分からない。仮に宮清めの史実が分かり、主イエスが西暦何年に宮清めを行い、西暦何年に十字架にお架かりになったということが分かったところで、私たちの信仰が生まれるというわけではない。深入りしたとしても、何の益もないと言えるでしょう。

それよりもむしろヨハネによる福音書の著者が強調していることに、目を留めたいと思います。他の福音書と同じように、宮清めの出来事を記しています。しかしそれだけではなくて、ヨハネによる福音書の著者は、この出来事によって弟子たちがずっと後になって思い出したことがある、その結果、信じたのだということを伝えています。

まずは一七節にこうあります。「弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。」(一七節)。最後の二一~二二節にかけて、こうあります。「イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。」(二一~二二節)。

こちらの記述から明らかですけれども、弟子たちはどうやら実際に宮清めが起こったときには、何も分かっていなかった。しかしやがて後から振り返ってみると、こういう意味があったのだということが分かった。ヨハネによる福音書の著者は、そのことを強調して伝えているのです。

特に一七節に目を留めたいと思いますが、この言葉は詩編第六九編の言葉の引用です。「あなたの家を思う熱意」とあります。主イエスが「わたしの父の家」(一六節)と言われているように、「あなたの家」とは父なる神の家であり、神殿のことであると理解することができます。その家を思う主イエスの熱意があった。皆さまは主イエスのこの熱意を理解することができるでしょうか。

この熱意を理解するために、一人の人をご紹介したいと思います。FEBCニュースの一一月号に、加藤常昭先生が「信仰の闘士・矢内原忠雄」という文章を書いておられます。矢内原忠雄は明治二六年の生まれであり、キリスト者となり、東大総長を務めた方です。戦争の激動の時代を生き抜いた人です。矢内原忠雄の「私の人生観」という題が付けられた説教の要旨が載せられています。矢内原忠雄は二つの相反する自覚があったということを言っています。その部分をお読みいたします。

「一つは、私は罪人であってキリストの十字架のもとに立たねば生きていけない人間であるという事である。これは限りなく恥ずかしき自覚であるが事実だから致し方ない。この自覚はわたしをして世界の誰よりも謙遜に、誰よりも柔和たらしめずにはおかない。私が充分謙遜でなく柔和でないのはこの自覚が不徹底であって、そのこと自体が私の罪びとであることの証拠である。それにも関わらず私にはこれとまったく相反したようなもう一つの自覚がある。それは私は日本国の柱であって、私を倒す者は日本国を倒す者であるという自覚である。…私は聖書の真理の把握者として立つ時、この自覚を自ら払いのけようとしても、どうしてもまた湧き上がってくるのである」。

矢内原忠雄には二つの自覚があったと言います。自分がキリスト者であり、また日本人であるという自覚です。どちらも真実です。そしてどちらも曲げずに真実に生きようと思ったがゆえに、その当時の日本に対して、はっきりと言わなければならないことがあると考えた。そしてそれをはっきりと言ったのです。

矢内原忠雄は内村鑑三を慕う人でもありました。内村鑑三が亡くなってから三年目の記念会のときに、「悲哀の人」という題の話をした。内村鑑三は悲哀の人であった。日露戦争に反対をし、売国奴呼ばわりをされたことを取りあげた。旧約聖書の中にエレミヤという預言者が出てきます。神の言葉をはっきりと語ったがゆえに、迫害をされた預言者です。このエレミヤのことも取りあげ、悲哀の預言者だという話もした。

矢内原忠雄も、エレミヤ、内村鑑三に続く者となりました。東大の総長だった一九三七年に「国家の理想」という論文を書いた。「いかなる国が立派になり栄えるかという事は、理想に従って歩むかどうかということだ。特に戦争は国家の理想に反する」。時の風潮に逆らうようにして、そのようにはっきりと戦争反対と書いた。

同じ一九三七年、教会での講演会で悔い改めを語りました。「ただ一つの条件が要ります。それは、悔い改め、心の向け所を変えてキリストの福音を信ずるという事です。悔い改めないで心の向きを変えないでいては、…かえって悪魔の国を築く為に役に立つのです。真理は大切な真理であればあるほど、これを間違った方向へ利用したときにその弊害たるや恐ろしいものがある。…この浅薄な国家思想がいかに国家を害するか。日本の国に向かって言う言葉がある。汝らは速やかに戦いを止めよ。そう言いますけれども戦いを止めません。キリスト教徒は戦う者の双方の間に、キリストの十字架の旗を持って立つのであります。…今日は偽りの世において、我々のかくも愛したる日本の国の理想、あるいは理想を失ったる日本の葬りの席であります。私は怒ることも怒れません。泣くことも泣けません。どうぞ皆さん、もし私の申しましたことがお分かりになったならば、日本の理想を生かすために、ひとまずこの国を葬って下さい」。

一九三七年、もう戦争が勃発していたような頃でありますけれども、矢内原忠雄はこのような言葉をはっきりと語った。これらの言葉が問題視され、同じ一九三七年の一二月に東大を辞めさせられました。

私たちの教会も矢内原忠雄とかかわりを持ちました。『七〇年史』に書かれていますが、外来の説教者として、一九三七年から一九四四年にかけて、矢内原忠雄を四回も招いています。東大を辞任した直後に、手塚縫蔵長老が矢内原忠雄に手紙を送っている。その手紙の文面も『七〇年史』に書かれています。辞任を新聞で知ったこと、そのことは深き、遠き、高き神の御旨であると確信していること、私たちはただ祈るより他ないこと、そして及ばずながら闘いの末席に加わるということ、そのような手紙を書いています。その闘いに加わる意味もあったのでしょうか、東大を排斥された人物を教会に招く。教会がそのとき何を聴いたのか。記録は残念ながらありません。

しかし加藤常昭先生が、東大を排斥されたきっかけになった講演会で矢内原忠雄が何を語っていたのか、その解説をしてくれています。「ひとまずこの国を葬って下さい」という矢内原忠雄の言葉は、悔い改めを求める言葉だと言います。そして加藤先生はこう言います。「国に向かっても共に生きる人に向かっても、あなたは死ななければならないと言う事ができる人間は、自分自身が死んで甦った者であるはずです」。

一九四五年に戦争に破れ、戦争が終わります。矢内原忠雄は再び東大に復帰することができました。やがて東大総長にも選ばれた。そんな激動の歩みをたどった人です。矢内原忠雄もまた、内村鑑三やエレミヤのようになった。信仰を持ち、日本を愛する者として、本当の愛に生きた。自らが日本のために痛むほどの愛を持ち、そして自分が実際に傷んだのです。

矢内原忠雄の思いがどれほど大きかったか、その思いの大きさを私たちも少しは分かると思います。そしてその思い以上に大きな思いを抱いておられたのが主イエスである。今日、私たちに与えられた宮清めの話は、主イエスの熱情がどれほど大きかったのか、そのことが分からないと理解することができない話になってしまいます。

主イエスは宮清めをなさった、ずいぶん荒っぽいことをなさった、そう思われている方もあるかもしれません。確かにそうです。主イエスもずいぶん荒っぽいことをなさって…、などと思われるかもしれない。しかしそれだけの呑気な話しではありません。この神殿を、そしてここに集う人たちをどうしても変えなければならない、主イエスのその熱情が溢れている話なのです。

過越祭のときには、各地から大勢の人たちがエルサレムの神殿に礼拝にやって来ました。一年で一番、エルサレムが人でごった返すときです。礼拝をするためには、献げ物が必要でした。家畜とお金です。「牛や羊や鳩を売っている者たち」(一四節)がいました。傷の無い家畜が好まれましたので、近くに住んでいる人ならともかく、長旅の人にとっては家畜を自分の家から連れて来ることなどできないのです。ですから自分の家の家畜をまず売って、そのお金を携えて旅をして、エルサレムの神殿で再び家畜を買って、礼拝をする。

「両替をしている者たち」(一四節)もいました。当時の流通している貨幣の中で最も信用のあったのはローマ帝国の貨幣です。皇帝などの肖像が彫られていました。そんな偶像礼拝のような貨幣を献げるわけにはいきません。きちんと神殿の献金として通用する貨幣へと交換をしてくる、そんな両替人たちもいたのです。便利があるところに金も回る、商売もなされる。そういうシステムが出来上がっていたのです。

一五節には「イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し」とあります。かなり荒っぽいことですけれども、なぜ主イエスがこんなことをすることができたのでしょうか。今の私たちがデパートにでも行って同じことをしたとすれば、警察官や警備員にたちまち止められてしまうと思います。主イエスのときには誰かから止められなかったのか。

ある人が想像していることですが、ここで商売をしている誰もが、あるいはそれを利用している誰もが、心の中では本当はやましいことをしているという思いがあったのではないかと指摘しています。人間、最初はやましいと思っていても、ついそれをしてしまうことがあります。しかもそのやましいことによって、便利さを享受していたり、生活が成り立っていたりすると、やましいことすら思わなくなります。誰ももはや変えようとはしない既成事実が成り立っていたのであります。主イエスはそれをはっきりとそれを指摘なさいます。

この時以降、主イエスに敵意が向けられたと言ってもよいと思います。ヨハネによる福音書の第二章にして、早々と主イエスを敵視する者たちが現れた。一七節に「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」という詩編の言葉が引用されています。「わたしを食い尽くす」というのは、主イエスが食い尽くされるということです。少しずつ敵意が生まれて、最終的には主イエスを十字架で食い尽くす大きな敵意へと変わっていったのです。その基にあったのが主イエスの熱意なのです。

主イエスは優しいというイメージをどこか抱いている私たちです。確かにそれはその通りです。例えば子どもを受け入れてくださり、友無き者の友となってくださいました。しかしそれが主イエスのすべてではありません。主イエスは情熱的な方でもあられました。宮清めのときもそうです。

その他にも、主イエスが憤られ、涙を流されたこともありました。ヨハネによる福音書を読み進めていきますと、主イエスの友ラザロが死んだときの出来事が記されています。死の知らせを聞き、主イエスはラザロのところへ出かけて行きます。家族を始め、皆が死を悼み、嘆き悲しんでいます。主イエスは死の現実に直面した人間のただ中に立ち、涙を流されました。

もう一箇所、ルカによる福音書に、主イエスが涙を流された箇所が記されています。「エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら…。しかし今は、それがお前には見えない。」(ルカ一九・四一~四二)。このときもやはり神殿のあるエルサレムの都のために涙を流されました。主イエスの熱意ゆえの涙です。本当に心から、自分の痛みとして涙を流されたのです。主イエスの涙を流されるほどのお気持ちを、私たちは理解することができるでしょうか。

先ほどお話をした矢内原忠雄のことは、FEBCニュースの一一月号の第一面に書かれていたことですけれども、ページをめくった第二面と第三面には、リスナーの声という欄があります。多くは求道者ですが、リスナーからの声が載せられている。信仰の素朴な疑問です。私も牧師として、毎回興味深く、そのコーナーを読んでいます。

一一月号の「なんでもQ&A」というコーナーで、素朴な疑問に答えているのが、カトリック・イエズス会の百瀬司祭という方です。FEBCの吉崎さんが代表して質問をし、それに答える形式です。こんなやり取りが記されている。

「では、不幸はなぜあるのでしょうか。それも神さまの思し召しということなのでしょうか」。「私も、この世の中にどうしてこんなに悲しい現実があるのか、本当に分からないのです。けれども、十字架に付けられて、手や脇腹に大きな傷跡があったイエスが、復活の後にトマスに言いますね。「わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。」(ヨハネ二〇・二七)。それは、まさに無残に引き裂かれた肉体です。しかし、…私はそこに希望を見出すのです。この世の中の悲惨さ、また多くの方が負っておられる重荷、それは決して無意味ではないと。どんなものにも勝る希望を」。

トマスのことは、ヨハネによる福音書の最後のところに書かれています。主イエスの復活を最初は信じることができなかったトマスです。しかしトマスのところに、主イエスの手が差し出されました。百瀬司祭はこの聖書箇所を引用して、この世の不幸がなぜ起こるのかという疑問に答えるのです。なぜ不幸があるのか、私にも分からない。けれども私たちの前には主イエスの手が差し出されているではないか。この傷をご覧なさい。この手に触れてご覧なさい。あなたは確かに傷ついている。けれども私もあなたのために傷ついたのだ。涙を流したのだ。あなたの痛みを負ったのだ。私のあなたに対する熱情が分かるか。主イエスはそう言われるのです。

宮清めによって、本当に清められたのはエルサレムの神殿ではありません。エルサレムの神殿は、やがて間もなくローマ軍によって破壊されてしまうことになりました。今日でも、その壁の一部が、嘆きの壁として残っているだけです。主イエスが清め、造り変えてくださったのはエルサレムの神殿ではない。私たちです。私たちの罪を拭い、病を取り去り、重荷を負ってくださった。主イエスが十字架にお架かりになった金曜日から復活された日曜日の三日間で、すべてを新たにしてくださったのです。