松本教会 プロテスタント 日本キリスト教団松本東教会

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2016年10月16日(日)
説教題「執り成しをしたのは、この人であった」

説教者 本城仰太 牧師

新約聖書: ヨハネによる福音書 第19章13〜16a節

ピラトは、これらの言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、すなわち「敷石」という場所で、裁判の席に着かせた。それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった。ピラトがユダヤ人たちに、「見よ、あなたたちの王だ」と言うと、彼らは叫んだ。「殺せ。殺せ。十字架につけろ。」ピラトが、「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか」と言うと、祭司長たちは、「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません」と答えた。そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。

旧約聖書: イザヤ書53:1~12

歴史という言葉があります。英語で言うとhistoryです。この言葉を一番初めに使ったのは、ギリシア人のヘロドトスという人です。もちろんギリシア語での言葉です。彼はいわゆる歴史の本を書きました。その本のタイトルが『歴史』です。日本語の訳本も存在します。このヘロドトスが使った本のタイトルになった「歴史」という言葉、複数形の言葉で「もろもろの歴史」というタイトルとして使われましたが、やがてこの語がローマ帝国で用いられていたラテン語のhistoriaという言葉になり、またやがて英語のhistoryという言葉になりました。

ヘロドトスはギリシア人です。当時、ギリシアはペルシアという国と戦争をしていました。ギリシアやペルシア、そしてそれだけでなく、遠くエジプトまでも含めた歴史や地理をこの本の中に書いていきました。なぜヘロドトスはこのような本を書いたのか。『歴史』の最初のところで、両者がいかなる原因から戦いを交えるに至ったかということを書きたいと記しています。つまりなぜ戦争が起こったのかを記したかったのです。彼はペルシアの視点も取り入れて書きましたが、しかしやはりギリシア人として、ギリシア視点からこの『歴史』を書いたということになります。

歴史というものは、必ず書く人の視点がそこに含まれるものです。歴史に限らず、どのような書物であれ、その書を書いた人の視点が必ず入れられることになります。聖書もそうだと言えるでしょう。新約聖書は、イエス・キリストが地上から天に上げられて、ただちに書かれたというわけではありません。新約聖書で一番初めに書かれたのは、使徒パウロの書簡と言われています。教会に宛てた手紙です。明確な意図を持って書かれました。こういう手紙に始まり、福音書などは、いわゆる第二世代、第三世代と呼ばれる人たちの時代に書かれました。主イエスに直接お会いしたことのない人たちです。

しかしその時代、もうすでにそこには、教会の共同体が存在していました。信仰に生きている人たちが存在していました。そういう中で、福音書などが書かれていったのです。こういう信仰に生きている者が、その同じ信仰を伝えるために書かれた。それが福音書であり、聖書であります。その意味で、聖書は「信仰の書」です。そして「教会の書」です。

しかしそれだけではなく、聖書は「歴史の書」であると言われることがあります。イエス・キリストの出来事は、今から二千年前に起こりました。決して歴史と無関係ではなく、人間の歴史の中で確かに起こった出来事です。ですから聖書は歴史を無視するわけではない。福音書も、歴史的な正確さを重んじながら書いているところもあるくらいです。

とは言っても、歴史的な事実だけを伝えるのが聖書の目的ではありません。事細かく、これが起こり、あれが起こったということを羅列するのではない。そうではなく、何のために聖書が書かれ、誰のために聖書が書かれたのか、はっきりしているのです。教会という共同体が存在し、その信仰を伝えるために書かれました。ヨハネによる福音書の終わりの方に、この福音書が書かれた目的がはっきり記されています。「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。」(二〇・三一)。

ヨハネによる福音書の中核にあるのが、主イエス・キリストの十字架です。本日、私たちに与えられた聖書箇所、そしてその前後の箇所が中心点であると言ってもよいでしょう。ヨハネによる福音書の著者は、数十年前に起こった十字架の歴史を書いているのです。

今日の聖書箇所の終わりの一六節にこうあります。「そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。」(一六節)。さらっと書かれていますが、重たい言葉です。主語はピラトです。まるで物であるかのように主イエスを引き渡した。来週の聖書箇所になりますが、一六節後半のところです。「こうして、彼らはイエスを引き取った。」(一六節)。彼らが主語になっています。これも物であるかのように、主イエスを引き取ったということになります。そして一七節です。「イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。」(一七節)。ここでの主語は主イエスです。主イエス自らが十字架を背負ったことが記されています。

このように、一六~一七節にかけて、主語がどんどんと入れ替わっていきます。なぜ十字架が起こったのか。それはピラトが引き渡したから。ユダヤ人たちが引き取ったから。そして主イエスが自ら十字架を背負われたから。三つの主語が重なっていますが、どれも真実です。ヨハネによる福音書の著者は、そのように歴史を書いていきました。

一三節には、裁判の法廷での様子がかなり細かく書かれています。「ピラトは、これらの言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、すなわち「敷石」という場所で、裁判の席に着かせた。」(一三節)。「敷石」というのは、一つの敷石というよりは、敷石が敷き詰められた場所であるようです。ヨーロッパに旅行に行きますと、石が敷き詰められたところが町中の至るところにありますが、あの方式はローマ帝国が発祥だそうです。そういう「敷石」の場所で裁判がなされた。ローマ方式であることを強調しているのかもしれません。

さらには「ガバタ」というヘブライ語まで出て来ています。ヘブライ語よりも主イエスが使われていたアラム語と言った方がよいそうですが、「隆起、高み、高いところ」を意味する言葉のようです。そういうところで主イエスの裁判がなされていきました。他の福音書には見られない、かなり細かい描写です。

ヨハネによる福音書は一般的に言って、あまり史実を大事にしていないという評価を受けることがあります。史実に忠実であるよりも、むしろ読者へのメッセージ性を高めているとの評価が多いのです。ところが、この箇所などは、自分はよく主イエスの裁判を知っているのだということをアピールするかのような書き方です。

一三節の最後にも「裁判の席に着かせた」とあります。新共同訳聖書では「着かせた」となっていますが、他の翻訳の聖書のほとんどは「着いた」です。文法的に言うと、自動詞なのか他動詞なのかという違いですが、他の福音書では、ピラトが裁きの座に座って、主イエスが立ったまま裁判を受けています。ですから、ピラトが「着いた」ということが書かれているのでしょう。このような細かい事まで、主イエスの十字架の歴史として書いていくのです。

ところが、一四節に行きますと、ちょっと立ち止まざるを得なくなります。「それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった。」(一四節)。時間の描写まで細かく書いてくれていますが、この時間というのは、一体いつのことでしょうか。

実はヨハネによる福音書と、他の三つの福音書では、主イエスが十字架にお架かりになった時間に食い違いがあるのではないかと言われています。マタイ、マルコ、ルカの三つの福音書での時間経過を、まずは確認していきましょう。木曜日の夜に、最後の晩餐の食事がなされます。これが過越祭と呼ばれる祭りの食事です。そして夜に逮捕され、夜中から金曜日の朝にかけて裁判がなされます。朝の九時頃、十字架に架けられる。昼の十二時、太陽は光を失い、全地は真っ暗になります。午後の三時に息を引き取られる。ただちに埋葬され、翌日の土曜日は安息日です。そして日曜日、復活の朝を迎えます。

ところが、ヨハネによる福音書のこの一四節に「それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった」と書かれているのです。純粋に読めば、過越祭の準備をしているわけですから、過越祭はまだ起こっていないということになります。つまり一四節のこの時点では、まだ木曜日の昼であったということになります。そしてこのままの流れで行くと、主イエスが木曜日に十字架にお架かりになったことになる。他の福音書と丸一日ずれることになるのです。

もちろん、純粋に読まずに、なんとか他の福音書と辻褄を合わせて考える解釈もあります。そういうことが書かれている注解書なども読みましたが、少々苦しい説明です。決定的なのは、第一八章二八節にこういう記述があることです。「人々は、イエスをカイアファのところから総督官邸に連れて行った。明け方であった。しかし、彼らは自分では官邸に入らなかった。汚れないで過越の食事をするためである。」(一八・二八)。

主イエスがもうすでに逮捕されています。いろいろなところをたらい回しにされて裁きを受けている中で、「彼ら」はピラトのところへ連れて行く。ところがピラトの屋敷には入らない。「汚れないで過越の食事をするためである」とその理由が書かれています。つまり、この記述から分かることは、まだ過越祭が祝われていない、木曜日の明け方の時刻ということになります。そして木曜日中に裁判が行われ、木曜日中に十字架が起こったということになるのです。

過越祭がどのように祝われていたのか、その規定が旧約聖書のレビ記にあります。「以下は主の祝日であり、その日あなたたちはイスラエルの人々を聖なる集会に召集しなければならない。第一の月の十四日の夕暮れが主の過越である。同じ月の十五日は主の除酵祭である。あなたたちは七日の間、酵母を入れないパンを食べる。初日には聖なる集会を開く。いかなる仕事もしてはならない。」(レビ二三・四~七)。

ここには過越祭、そしてそれに引き続く除酵祭という祝いが規定されています。エジプトでの奴隷生活を抜け出す際に、エジプト王のファラオがなかなかイスラエルの民を去らせてくれません。そういう中、エジプト中にある災いが起こった。ところがイスラエルの民だけは、その災いが過ぎ越した。こんな災いが起こったのではたまらないから、出て行ってよいという許可を出す。イスラエルの民は、ファラオが心変わりしないうちに、早く出て行かなければなりませんでした。旅の食料となるパンを、ゆっくり焼いている時間もない。酵母を入れないパンを持ってすぐに出かけて行った。

そうこうしているうちに、ファラオはすぐに心変わりして、イスラエルの民を追いかけてきた。そして葦の海で、海の水が左右に分かれて、イスラエルの民は無事に渡ることができたけれども、エジプトの軍隊は海に飲み込まれてしまった。このようにして救われたことを祝う、それが過越祭であり、除酵祭であります。

このレビ記に書かれているように、木曜日の「夕暮れが主の過越」になります。翌金曜日には除酵祭が始まっています。「いかなる仕事もしてはならない」と言われています。つまりヨハネによる福音書では、最後の晩餐の食事が水曜日の夜に行われ、逮捕され、裁判が始まり、今日の聖書箇所にあるピラトの最終裁判が木曜日の昼に行われ、十字架が起こった。金曜日は除酵祭、「いかなる仕事もしてはならない」わけですから、特別な安息日ということになる。そして土曜日は通常の安息日ということになります。そして週の初めの日、日曜日を迎えることになります。

このように考えますと、ヨハネによる福音書と、三つの福音書では、丸一日、主イエスの十字架がずれていることになる。史実としてはどちらかだったのか、今ではもう確かめようがありません。しかしいずれだとしても、聖書はとても不思議だと思います。こういう矛盾するようなことが書かれているのに、どちらもそのまま残されたのです。そしてそれを「信仰の書」、「教会の書」、「歴史の書」として受けとめてきた。どちらの記述もとても大事だからです。両者ともに、決して書くべからざるメッセージがあるからです。

マタイ、マルコ、ルカの三つの福音書では、木曜日の夜の最後の晩餐、イコール、過越の食事です。そしてこの最後の晩餐、イコール、私たちが教会で行っている聖餐式ということになります。聖餐で祝われていることが過越しです。私たちにとって、罪の災いが過越した、聖餐式を祝うたびにそのことを覚えている。それが、三つの福音書からのメッセージです。

それではヨハネによる福音書ではどうなのか。木曜日の正午に主イエスの裁判が行われ、十字架に架けられました。その日は過越祭のための準備の日です。具体的に何を準備するのでしょうか。食事の準備です。過越祭では小羊が振る舞われました。子の小羊を各家庭はどのようにして手に入れるか。肉屋に買いに行くというわけではありません。そうではなく、過越祭の準備の日は、祭司たちは大忙しでした。神殿で小羊を屠って、その小羊が各家庭に配られていくのです。

ところが、その忙しいはずの祭司たちが、この主イエスの裁判の場に居合わせるのです。どのくらいの祭司がいたのかは分かりませんが、少なくとも「祭司長」はいました。そして「殺せ。殺せ。十字架につけろ」(一五節)と叫んでいる人たちの中にも、少なからず祭司はいたでしょう。過越祭のために、本来なら小羊を屠らなければならないのに、この場で主イエスを屠っていた。それが、彼らのしていたことです。主イエスは木曜日の過越祭の食事に合わせて屠られた、そのような「神の小羊」である。ヨハネによる福音書はそのメッセージを伝えているのです。

本日、私たちに合わせて与えられたのが、旧約聖書のイザヤ書第五三章です。ここには、「主の僕」なる人が、苦難を受けて、命を取られることが記されています。しかしただそれだけではなく、この死が犠牲の死であり、この死によって多くの者が救われたと言うのです。主イエスの時代よりも少なくとも数百年前に書かれたものです。しかしまるでここに主イエスのことが表されているかのようです。

六節から八節にこうあります。「わたしたちは羊の群れ、道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて、主は彼に負わせられた。苦役を課せられて、かがみ込み、彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように、毛を刈る者の前に物を言わない羊のように、彼は口を開かなかった。捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか。わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり、命ある者の地から断たれたことを。」(イザヤ五三・六~八)。「神の小羊」としての主イエスのお姿がここに表されているかのようです。

一一節後半にもこうあります。「わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために、彼らの罪を自ら負った。」(五三・一一)。そして最後の一二節です。「それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし、彼は戦利品としておびただしい人を受ける。彼が自らをなげうち、死んで、罪人のひとりに数えられたからだ。多くの人の過ちを担い、背いた者のために執り成しをしたのは、この人であった。」(五三・一二)。

「この人であった」という終わり方をしています。「この人であった」。ヨハネによる福音書の第一章で、洗礼者ヨハネが「見よ、神の小羊だ」と言いました。二度にわたってそう言いました。ピラトも主イエスの裁判の席で「見よ、この男だ」と二度にわたって言っています。「この人であった」、それは木曜日の日に、罪の過越しのために、十字架にお架かりになった「神の小羊」であったのです。

この説教の冒頭でお話したように、十字架の歴史がここに書かれています。マタイ、マルコ、ルカの三つの福音書と、ヨハネによる福音書の十字架の歴史は、違う歴史でしょうか。そうではありません。同じことが書かれています。何が事実だったのか、何が正確な起こった出来事だったのか。今ではもう確かめようがありません。しかし誰のために、何のためにこの歴史が書かれたのか。そのことを受けとめたときに、私たちは正しくメッセージを受け取ることができます。これは教会のために、信仰を伝えるために書かれたもの。今の私たちの教会のためにも、そして私たちのためにも書かれたものなのです。

主イエスは私たちのために、「神の小羊」になってくださいました。木曜日に屠られた過越の小羊になってくださったのです。イザヤは大昔に「執り成しをしたのは、この人であった」と記しました。私たちの罪のために本当に執り成しをしてくださったのが、この屠られた小羊である主イエスなのです。