松本教会 プロテスタント 日本キリスト教団松本東教会

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2016年9月18日(日)
説教題「真理とは何か」

説教者 本城仰太 牧師

新約聖書: ヨハネによる福音書 第18章28〜38a節

人々は、イエスをカイアファのところから総督官邸に連れて行った。明け方であった。しかし、彼らは自分では官邸に入らなかった。汚れないで過越の食事をするためである。そこで、ピラトが彼らのところへ出て来て、「どういう罪でこの男を訴えるのか」と言った。彼らは答えて、「この男が悪いことをしていなかったら、あなたに引き渡しはしなかったでしょう」と言った。ピラトが、「あなたたちが引き取って、自分たちの律法に従って裁け」と言うと、ユダヤ人たちは、「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません」と言った。それは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、イエスの言われた言葉が実現するためであった。そこで、ピラトはもう一度官邸に入り、イエスを呼び出して、「お前がユダヤ人の王なのか」と言った。イエスはお答えになった。「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。」ピラトは言い返した。「わたしはユダヤ人なのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか。」イエスはお答えになった。「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」ピラトは言った。「真理とは何か。」

旧約聖書: マラキ書2:1~9

主イエスが逮捕され、その裁判が続いています。先週の聖書箇所までは、主イエスは大祭司によって裁かれていました。今日の聖書箇所からは、ローマ帝国の地方総督であったピラトの前で裁かれることになります。

先週の聖書箇所ですが、二七節に「鶏が鳴いた」と記されています。ペトロが三度目、主イエスとの関係を否定してしまった直後に、「鶏が鳴いた」わけですが、鶏が鳴くのは明け方前のことになります。そして今日の箇所の二八節に「明け方であった」とあります。夜に逮捕され、すぐに大祭司の裁判が始まり、明け方にはピラトのところで裁判が始まった。主イエスのことをなんとか陥れようとしている者たちの必死さがよく分かります。何とかこの機会に、このイエスという男を亡き者にしたいと思っていたのです。

二八節に「汚れないで過越の食事をするためである」とあります。過越祭という祭りの期間中でありました。かつてイスラエルの人たちがエジプトの奴隷生活を抜け出すことができた、そのことを覚え、祝いをするわけですが、外国人の家の中に入ったりすると、汚れてしまうと考えられていました。清めをしなければならず、過越の食事ができなくなってしまう。そういう考えから、ユダヤ人たちはピラトの裁判の席につかなかったようです。過越祭が終わるまで、裁判を少し延期すればよいではないかと思いたくなりますが、彼らは一刻も早く決着をつけたかったのです。

ピラトは裁判に消極的なところがありました。明け方という時間帯です。まだ寝ていたのに、たたき起こされてしまったのかもしれません。「どういう罪でこの男を訴えるのか」(二九節)と尋ねても、色よい返事は返って来ません。「あなたたちが引き取って、自分たちの律法に従って裁け」(三一節)と言っても、やはり同じでした。ユダヤ人たちからしつこく裁いてくださいと言われてしまう。

そんなピラトは、ユダヤ人たちが入って来ないものですから、自分から出て行ってユダヤ人に事情を聞いたり、中に入って主イエスに質問をしたり、今度はまた外に出てユダヤ人たちにどうするかを尋ねたり、あっちへ行ったりこっちへ行ったりする、そんな裁判官の姿として描かれています。

このようにしてピラトによる裁判が始まるわけですが、三一節後半のところで、ユダヤ人たちがピラトにこう言っています。「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません」(三一節)。この言葉は確かにその通りです。間違ったことを言っているわけではありませんし、死刑にしたかったので主イエスをピラトのところに連れて来たのです。

しかし、新約聖書のいろいろな箇所に、ユダヤ人同士の間で、死刑とまでは言わなくても、人を死に追いやった記事はたくさん書かれています。クリスマスの際には、ユダヤ人の王が生まれたという知らせを聞いた領主ヘロデが、その不安から、二歳以下の男の子を殺させています。特にローマの許可を得たようなことは記されていません。

このヘロデの息子にあたりますが、やはり同じ名のヘロデが、洗礼者ヨハネという人物の首をはねています。使徒言行録には、ステファノという人が石を投げられて殺され、教会の最初の殉教者になっています。主イエスも石を投げられて殺されそうになったことがあります。裁判をせずとも、非公式にかもしれませんが、そのようにして主イエスを亡き者にすることはできたのです。

しかし彼らはそうはしなかった。なぜでしょうか。それは、主イエスがユダヤ人の民衆の間で、ある程度の支持を得ていたからです。もし自分たちが殺してしまえば、後で何を言われるか分からない。後で何をされるか分からない。自分たちに火の粉が降りかかってしまう。だから、ピラトにその責任を押し付けてしまおう。何とか短期間で決着をつけてしまおう。彼らの思いはそうでした。

ピラトもピラトで、無罪であることを確信しながら、ユダヤ人たちに押し切られてしまいました。私には責任はないのだ、後はお前たちの責任だ、そう言って、責任のボールを投げ返してしまった。お互いに自分たちの責任ではない、相手に責任を負わせるようにしてなされた、それがこの裁判でありました。そのような人間の間に、真理などというものが、あるはずがありません。

ここでのユダヤ人たちとピラトとの間でなされた出来事は、ここだけの特殊な話というわけではないでしょう。こんな大事ではないかもしれませんが、似たようなことは日常茶飯事であると言ってもよいと思います。自分に責任がのしかからないように、自分は火の粉がふりかからないように、相手に責任を負わせるようにして安全策を講じる。いつの時代のどこにも見られる人間の姿です。

このようにしてピラトと主イエスが二人きりになり、裁判が行われました。もちろん、周りに取り巻く人たちはいたでしょうけれども、主イエスとピラトの間で、問答がなされました。

ピラトの関心事は、主イエスがユダヤ人の王なのかということです。「お前がユダヤ人の王なのか」(三三節)、「それでは、やはり王なのか」(三七節)。ユダヤ人の王であるというのは、ユダヤ人の王として担ぎ出されて、ローマ帝国に刃向うような革命を起こすのではないか。そのような罪状があるのかどうか、ピラトの関心はそれだけでした。

そういう問答を続けていく中で、真理についての問答になっていきます。「そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。ピラトは言った。「真理とは何か。」」(三七~三八節)。

ピラトは「真理とは何か」と問うています。ピラトはこのとき、どのような思いで主イエスに問いかけたのでしょうか。本当に真理が知りたいと思って問いかけたのでしょうか。おそらくそうではないと思います。ある人が、ここでのピラトの言葉に注目して、このように考察をしています。

ここでの「真理」という言葉には、定冠詞が付けられていません。英語で言うとtheという言葉がないのです。例えば、主イエスは「わたしは道であり、真理であり、命である」(一四・六)と言われました。英語ではI am the way and the truth and the lifeというように、道、真理、命のすべてtheが付けられています。どこにでもある真理ではなく、主イエスにしかない真理、その特定の真理ということです。

けれどもピラトはその真理は求めていない。確かにピラトの言葉は、単純に訳せば「真理とは何か」で間違いはないのですが、ニュアンスとして、「真理なんてどこにあるのか(どこにもない)」という意味合いだと言うのです。

来週の聖書箇所になりますが、三八節後半に「ピラトは、こう言ってからもう一度、ユダヤ人たちの前に出て来て言った」とあります。この三八節は前半と後半でまるで二つに文が分かれているかのようですが、元の原文ではつながっています。ピラトは「真理とは何か」と言い、ユダヤ人のところへ出て来て…、というような具合です。

つまり、主イエスに質問をしておきながら、すぐに背中を向けて出て行ってしまう。主イエスから答えを聞く気はさらさらなかったのです。やはり、ピラトとしては、真理なんてものはこの世にはないのだ、というニュアンスで言ったことになるでしょう。

いったい何が真理なのか。答えようとすれば、けっこう難しい問いだと思います。この人が言っている真理と、あの人が言っている真理では違うような気がします。人類の歴史上、いろいろな真理が定義されてきました。しかしそれもまたコロコロと変わります。たとえ変わらなかったとしても、そのような真理は理想だけの話であって実現しないのではないか、誰もその真理に生きることなどできないのではないか、そういうことになってしまいかねません。いや、実際そうなっているでしょう。

そうなってくると、私たちも妥協してしまいます。どうせ、そんな真理などない。ピラトと同じ言葉を吐いてしまう。ある意味ではピラトも正しいことを言っているのかもしれません。しかし目の前に真理そのものであるお方がおられた。主イエスはピラトにこう言われました。「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」(三六節)。

何を言われているのか、よく分からないような主イエスのお言葉ですが、真理がどこにあるのかを考えれば、分かってくると思います。主イエスが世に属しておられないように、真理もこの世にはない。主イエスのおられるところにしか真理はない。ピラトはこの真理を目の前にして、背を向けて立ち去ってしまったのです。

ピラトとは正反対かもしれませんが、真理の探究者であったアウグスティヌスという人の話をしたいと思います。四世紀から五世紀にかけて生きた人です。このアウグスティヌスは七十五歳まで生きた人で、北アフリカのヒッポという町で教会の司教をしていた人です。教会の様々な問題を論じ、そのことを著書で著し、今の教会の礎を築いた、大変に大きな働きをした人です。

この人にはいろいろな著書がありますが、代表的なものとして『告白』あるいは『告白録』というタイトルが付けられた著書があります。この本には、アウグスティヌスの四十歳くらいまでの自分の歩みが綴られています。

若き日のアウグスティヌスは、頭は良かったのですが、決して真面目な少年・青年ではありませんでした。遊びや見せ物に夢中になり、学問をおろそかにすることもありました。熱心な信仰者であった母モニカを心配させることもしばしばでありました。十六歳の時、盗む必要もなかったのに、窃盗の罪を犯してしまったこともありました。その後、不純な恋愛関係を結んでしまったということもありました。そのようなことが赤裸々と語られているのが、この『告白』という書物です。

ただし、この書物は、単にアウグスティヌスの赤裸々な出来事だけが語られているわけではありません。「真理」という言葉がたびたび出てきます。いったい何が真理なのか。アウグスティヌスの若き頃の関心事がそこにあったと言っても過言ではないでしょう。堕落的な生活を送りながらも、アウグスティヌスは真理の探究者でありました。

若い頃に、彼はマニ教という教えに惹かれます。マニ教とはいったい何か。三世紀のマニという人物が創始者であると言われていますが、説明するのがなかなか難しいのです。地中海世界一帯に広がっていた宗教、宗教だけではなく哲学も含め、インドのゾロアスター教や仏教の影響まで受けていたと言われています。そのようなあらゆるものを取り込んだ教えであり、多くの人たちを魅了していたのです。

アウグスティヌスも若い頃、それに惹かれました。ところがマニ教によって、真理は得られませんでした。彼はこう書いています。

「彼ら〔マニ教徒たち〕は、「真理、真理」と叫んでそれについて多くのことを語ったが、虚偽を語っただけではなく、あなたのつくられた世界の元素についても虚偽を語った。…おお真理よ、真理よ、かれら(マニ教徒)がしばしば、いろいろな書物で、単なる音声であなたの御名をわたしにきかせていたときでさえ、わたしはどんなにはげしく心の奥底からあなたをあえぎ求めていたことであろう。」(『告白』三・六・一〇、服部英次郎訳)。

そんな中、マニ教に自分を誘った友人が熱病にかかってしまいます。死の間際に、彼は洗礼を受けました。熱病からいったん回復して、アウグスティヌスとも会話ができるようになります。しかしすぐにまた体調を崩し、この友人は死んでしまいます。このマニ教徒だったはずの友人が、洗礼を受けて劇的な変化を遂げたのを目の当たりにして、アウグスティヌスの心が揺さぶられます。友人の命を奪った死をも恐れるようになり、動揺します。

二九歳の時です。マニ教で最も偉大な教師と言われていた人に会う機会がありました。ところがアウグスティヌスはこの人との対話に失望します。真理がないことが分かったからです。そのような中、ミラノ教会の司教であったアンブロシウスという人と出会い、信仰へと導かれます。アウグスティヌスはこのように書いています。

「それでわたしは、あなたを楽しむことができるような力を身につける道を求めたのであるが、「神と人との仲保者、キリスト・イエスという人」をいだくまでは、その道を見出さなかった。かれは、…わたしによびかけて、「われは道なり、真理なり、生命なり」と語っておられる」(『告白』七・一八・二四)。

アウグスティヌスはこのようにして、三三歳の時に洗礼を受け、キリスト者としての歩みを始めました。その後、ヒッポの司教になり、教会の礎を築く著作活動をしていくのです。

アウグスティヌスは真理の探究者として、激動の時期を経て、ようやくイエス・キリストという真理に出会うことができました。アウグスティヌスも引用しているように、第一四章六節で主イエスがお語りになった言葉を、もう一度よく聴いてみたいと思います。「わたしは道であり、真理であり、命である。」(一四・六)。自分こそが真理そのものであると主イエスは言われます。

私たちは、真理とはこれこれこういうことである、言葉でなかなか定義をすることはできないかもしれません。しかし主イエスご自身が真理であられる。その真理を前にして、ピラトは背を向け、真理を置き去りにしてしまったのです。

この世の中には真理がない、それは確かにその通りかもしれません。まっすぐに生きることができない私たちです。まっすぐに生きようと思っても、どこか曲がってしまう私たちです。そんな私たちはピラトのように真理をあきらめるべきでしょうか。そのように生きている人も実際に多いと思います。理想とはどこかで妥協しなければ生きていけない、世の中の人は皆そう思っています。

しかしそのような世の中にあって、イエス・キリストが来てくださいました。真理に生きられない、曲がった私たちです。そんな私たちは赦されることによってしか、真理の道を歩むことができません。キリストが赦してくださる。それこそが真理です。ピラトに裁かれ、私たち人間の罪を背負い、十字架へと赴かれるキリストこそが、私たちの罪を赦すことができる救い主なのです。

私たちが御言葉を聴き続けているヨハネによる福音書も、最初からこのことを言ってきました。第一章の最初のところに、「恵みと真理」(一・一四、一七)という表現が二度出てきます。「恵み」と「真理」、切り離された別々のものが並べられているわけではありません。切っても切り離せないものです。読み方としても、「恵みすなわち真理」と読むこともできます。イエス・キリストによる赦しの「恵み」、それがすなわち「真理」であるということです。罪だらけ、間違いだらけ、妥協だらけのこの世の中において、これこそ絶対に間違いのない真理の道なのです。

アウグスティヌスが知った真理の道も、このイエス・キリストの道です。放縦な生活を送っていたかもしれません。しかしアウグスティヌスも赦しの恵みを知り、真理を知り、その道を歩んだ。私たちも同じ真理の道を歩んでいるのです。