松本教会 プロテスタント 日本キリスト教団松本東教会

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2016年9月11日(日)
説教題「決して切れないキリストとの関係」

説教者 本城仰太 牧師

新約聖書: ヨハネによる福音書 第18章12〜27節

そこで一隊の兵士と千人隊長、およびユダヤ人の下役たちは、イエスを捕らえて縛り、まず、アンナスのところへ連れて行った。彼が、その年の大祭司カイアファのしゅうとだったからである。一人の人間が民の代わりに死ぬ方が好都合だと、ユダヤ人たちに助言したのは、このカイアファであった。シモン・ペトロともう一人の弟子は、イエスに従った。この弟子は大祭司の知り合いだったので、イエスと一緒に大祭司の屋敷の中庭に入ったが、ペトロは門の外に立っていた。大祭司の知り合いである、そのもう一人の弟子は、出て来て門番の女に話し、ペトロを中に入れた。門番の女中はペトロに言った。「あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか。」ペトロは、「違う」と言った。僕や下役たちは、寒かったので炭火をおこし、そこに立って火にあたっていた。ペトロも彼らと一緒に立って、火にあたっていた。大祭司はイエスに弟子のことや教えについて尋ねた。イエスは答えられた。「わたしは、世に向かって公然と話した。わたしはいつも、ユダヤ人が皆集まる会堂や神殿の境内で教えた。ひそかに話したことは何もない。なぜ、わたしを尋問するのか。わたしが何を話したかは、それを聞いた人々に尋ねるがよい。その人々がわたしの話したことを知っている。」イエスがこう言われると、そばにいた下役の一人が、「大祭司に向かって、そんな返事のしかたがあるか」と言って、イエスを平手で打った。イエスは答えられた。「何か悪いことをわたしが言ったのなら、その悪いところを証明しなさい。正しいことを言ったのなら、なぜわたしを打つのか。」アンナスは、イエスを縛ったまま、大祭司カイアファのもとに送った。シモン・ペトロは立って火にあたっていた。人々が、「お前もあの男の弟子の一人ではないのか」と言うと、ペトロは打ち消して、「違う」と言った。大祭司の僕の一人で、ペトロに片方の耳を切り落とされた人の身内の者が言った。「園であの男と一緒にいるのを、わたしに見られたではないか。」ペトロは、再び打ち消した。するとすぐ、鶏が鳴いた。

旧約聖書: 申命記9:1~7

先ほど、聖書朗読をいたしました。先週と同じ個所をお読みしました。先週の説教でも申し上げましたが、一二~二七節は新共同訳聖書では四つのブロックに分けられています。第一と第三のブロックが大祭司によって主イエスが裁かれる場面です。先週はこの箇所を中心に御言葉を聴きました。そして今日は、第二と第四のブロックから、ペトロが主イエスとの関係を否定してしまう、その箇所から御言葉を聴きます。

ペトロは今日の箇所で「違う」(一七節、二五節)と言っています。お前も主イエスの弟子だろうと言われて、「違う」と言ってしまったわけですが、なぜペトロは主イエスとの関係を否定してしまったのでしょうか。聖書はあまり詳しくその理由を教えてくれません。ただ事実を伝えていっているところがあります。

四つの福音書があります。主イエスの十字架と復活を中心として伝えているわけですが、書かれ方や伝え方が多少違います。マタイとマルコとルカ福音書の三つは、共観福音書というくらい、似ているところがありますが、特にヨハネ福音書は独特なところがあります。このペトロの否認の場面もそうかもしれません。他の福音書では、ペトロをはじめとする弟子たち皆が、主イエスを見捨てて逃げてしまったことが強調されます。ルカによる福音書では、それでも「ペトロは遠く離れて従った」(ルカ二二・五四)と記されています。

それに対して、ヨハネによる福音書はどうでしょうか。弟子たちが見捨てて逃げてしまったということは書かれていません。それどころか、むしろ主イエスが弟子たちを去らせてくださったことが言われています。「わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい。」(一八・八)。

主イエスが弟子の一人も失わないように、弟子たちを守るために弟子たちを去らせてくださった。そのようにされたにもかかわらず、ペトロはこう行動しました。「シモン・ペトロともう一人の弟子は、イエスに従った。」(一五節)。ルカによる福音書では「遠く離れて従った」でしたが、ここでは普通に「従った」です。積極的にペトロが従ったような姿勢が表れています。第一三章の終わりの最後の晩餐の席上で、「あなたのためなら命を捨てます」と断言しました。ペトロの思いとしては、このときまでは本当にそのつもりだったのでしょう。

本日の聖書箇所に、ペトロ以外に「もう一人の弟子」というのが登場しています。別の箇所では主イエスに愛された弟子というような表現になっています。匿名の弟子です。いくつかの聖書の箇所を追ってみましょう。最初にこの弟子がこのように出てきます。「イエスのすぐ隣には、弟子たちの一人で、イエスの愛しておられた者が食事の席に着いていた。」(一三・二三)。ラザロの復活の後の食事の席にいた。突然ここから登場してきます。

主イエスの十字架から三日目の復活の朝のことです。墓に主イエスのお体がないという知らせを受けたペトロと、もう「一人の弟子」が走っていきます。「そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。」(二〇・二~四)。

最後の第二一章二四節にはこうあります。「これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている。」(二一・二四)。「この弟子」というのは、「もう一人の弟子」のことです。ヨハネ福音書の著者であると言われています。

いったいこれは誰のことでしょうか。ヨハネ福音書の著者でありますから、十二弟子の一人のヨハネでしょうか。別の意見として、ラザロの復活後に出てきますからラザロだという意見もあります。また、読者が自分を重ねることができるように、わざわざ匿名にしたという意見もあります。様々な見解がありますが、決定打はありません。これ以上、この問題に深い入りしても意味はないでしょう。

しかし、本日、私たちに与えられた聖書箇所から、大事なことが分かります。一つはこの人が大祭司の知り合いだったということです。「ペトロは門の外に立っていた。大祭司の知り合いである、そのもう一人の弟子は、出て来て門番の女に話し、ペトロを中に入れた。」(一六節)。

さらにもっと大事なことがあります。それは、この「もう一人の弟子」が自分は主イエスの弟子であると公言していたことです。一七節にペトロに対する門番の女中の言葉があります。「あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか。」(一七節)。「あなたも」と言っています。「あなたは」ではありません。「あなたも」。つまり、少なくともこの女中は「もう一人の弟子」が主イエスと深いかかわりにあることを知っていた。そしてペトロに対して、「あなたも」弟子なのかと問うているのです。

しかもこの「もう一人の弟子」は大祭司の屋敷にいただけでなく、主イエスの十字架の下にもいたのです。「イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。」(一九・二六~二七)。このように「もう一人の弟子」は、主イエスの十字架と復活に深いかかわりを持ち、ヨハネ福音書を書いた。そんな姿が浮かび上がってきます。

ペトロはこの「もう一人の弟子」の執り成しによって、大祭司の屋敷の中に入ることができました。主イエスと共に命を捨てよう、そう意気込んでやって来たのかもしれません。そこまでの歩みは順調だったのかもしれませんが、ペトロの心がすぐに挫けてしまいます。

まずは門番の女中から言われてしまいます。「あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか。」(一八節)。しばらくして、今度は人々から問われてしまいます。「お前もあの男の弟子の一人ではないのか」(二五節)。そして最後に、ペトロに片方の耳を切り落とされた人の身内の者から問い詰められてしまいます。「園であの男と一緒にいるのを、わたしに見られたではないか。」(二六節)。ペトロは主イエスが逮捕される際に、剣で切りかかって、ある者の耳を切り落としてしまいました。そのことを見ていた身内の人から言われてしまうのです。決定的な証拠を掴まれてしまった。しかしペトロは「違う」と答えます。

ペトロは主イエスと共に命を捨てる覚悟を持って、意気込んで大祭司の屋敷に乗り込みました。なぜ、心折れて、「違う」と言ってしまったのでしょうか。単にペトロが弱かったからだ、そう片づけてしまってよいのでしょうか。私たちの教会のルーツともなる人ですが、スイスのジュネーブの教会を改革したカルヴァンという人がいます。この人は優れた注解を書いています。ヨハネ福音書のこの箇所の注解も実に見事なものです。

カルヴァンはまずこのように書いています。主イエスの十二弟子のヨハネはガリラヤの漁師でした。そんな人物が大祭司と知り合いであるはずがない。だからこの「もう一人の弟子」はヨハネではなく、匿名の弟子だとまず言います。そしてペトロはこの弟子について行き、大祭司の中庭に入ったわけですが、ペトロの熱心さからキリストについていく思いは疑ってはならないと言います。

そしてカルヴァンはこのように注解します。「ペテロは、ひとびとの目の前に姿をあらわすより、むしろ、どこかの片隅で嘆き悲しんでいた方がよかっただろう。それというのも、かれは、きわめて不確かな状態にあったからである。いま、かれは、…おせっかいにも情熱をもやしている。しかし、死を賭しても大胆に堅持しなければならない信仰を、告白せざるを得ない立場に追い込まれると、かれの勇気はくじけてしまうのである。だから、わたしたちはつねに、神がわたしたちになにを求めているか、十分に見定めて、弱い人たちは、必要でもないことにめったに手出ししないように、注意しなければならない」。

カルヴァンはとても面白いことを、しかし実に深いことを言っています。主イエスが逮捕される際に「わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい。」(一八・八)と言ってくださいました。せっかくそのように言ってくださり、弟子たちはお咎めなしということになったのに、ペトロは中途半端な熱心さからついて行ってしまった。

最初は意気込んでだったかもしれません。しかしすぐに、門番の女中に怖気づいてしまった。それを「おせっかいにも情熱をもやしている」とカルヴァンは言うのです。片隅で泣いていた方がましだった、不必要なことをペトロはしてしまったと言うのです。

ペトロの心境を理解することができるでしょうか。意気込んだ、おせっかいにもついて行った。しかし、別に裁判官でもない、たった一人の門番の女中に、「もう一人の弟子」は自分が主イエスの弟子だということを明かしているにもかかわらず、まず躓いてしまった。次いで人々に躓き、耳を切り取られた身内の者に躓いてしまった。

ペトロの心がめまぐるしく変わっていきます。ペトロの行動も支離滅裂なところがあります。しかし、それが人間です。そのようなペトロが、実は私たちの姿でもあるのです。なぜそんなことをしてしまったのか。自分でも説明がつかない。他の誰からも説明がつかない。そのような行動をとってしまう。それが人間です。

ペトロは「違う」と言いました。「違う」と訳されていますが、もしかしたら別の翻訳、直訳をした方がよかったかもしれません。ペトロのここでの言葉は、英語で言いますとI am notという言葉です。第一八章の最初で主イエスが逮捕される際に、「わたしである」と言われました。主イエスのこの言葉はI amという言葉です。主イエスの言葉とペトロの言葉が対応していると言われます。主イエスはI am「わたしである」と言われた。ペトロはI am not「わたしでない」と言った。その人の存在にかかわる言葉です。

私が何者であるか、キリストの教会が始まって以来、キリスト者はその戦いを戦ってきました。二~三世紀のことになります。ローマ帝国で、兵役に就いていたキリスト者の話が記録されています(テルトゥリアヌス『兵士の冠について』)。

ローマ皇帝からボーナスが支給されることになりました。そこで兵士たちは月桂樹の冠を被って、その式典に出席します。月桂樹の冠は、ローマの異教の神々と大いにかかわるものでした。一人だけ、冠を被らずにやって来た兵士がいたのです。副官が「なぜ冠を被って来ないか」と問います。「他の人に許されていても、私には許されていません。私は二人の主人には仕えることはできませんので」とその兵士は答えます。さらに問い詰められて、最終的にこの兵士はこう答えます。「わたしはキリスト教徒です」。

英語で言えばI am a Christianです。今日、洗礼を受けられた姉妹も、今日から「わたしはキリスト者です」と言えるようになりました。ペトロのようにI am notではなく、I amと答える。そのように答えるかどうか。その戦いがあるのです。

ペトロはI am notと答えてしまった。単にそれだけの言葉というわけにはいきません。この否定する言葉によって、自分の存在そのものを否定してしまいました。自らがそれまでになしてきたキリストとの関係がありましたが、たった一言「違う」I am notという言葉がそれを崩してしまった。自分自身の存在そのものを否定してしまった。主イエスとの関係を絶ってしまった。とんでもない罪をペトロは犯してしまったのです。

しかし、この福音書はここでは終わりません。このようなペトロに対して、十字架の死からお甦りになった主イエスは、ペトロに出会ってくださいました。ペトロは三度、主イエスを否認しました。そのペトロに、三度、わたしを愛しているか、そのように主イエスが問いかけてくださいました。そしてその上で、「わたしに従いなさい」(二一・一九)と言われるのです。この第一八章では、おせっかいにも主イエスに従おうとしたペトロでしたが、本当にこの時から主イエスに従わせていただくようになったのです。

ペトロは、主イエスの赦しの中で受け入れられました。自分の存在そのものを否定してしまったペトロです。ある意味では自分自身を殺してしまったペトロです。そんな自分を丸ごと受け入れてくださった。キリストの深い愛をペトロは知り、キリストに従うようになったのです。ペトロはそのようにして立ち直り、伝道者になりました。隠しておきたいくらいの失敗だったかもしれませんが、キリストの恵みがはるかそれに勝るものだったのです。

先週の月曜日から火曜日にかけて、教区の伝道協議会という集会が行われ、そこに出かけてきました。教区では今年度、「公の礼拝を守る教会」という主題を掲げています。教会が伝道をするために、教会がどうあるべきか、そのことを考えた際に、教会が公の礼拝を守られなければならない。「公の」とはどういう意味か。礼拝を「守る」というのはどういうことか。自分たちの礼拝が果たしてそうなっているか。講演を聴き、そのことを参加者たちで話し合いました。

分団に分かれて話し合っていたときのことです。私が出ていた分団の参加者の一人が、こんな話をしてくださいました。別の教会のご高齢の友人からお手紙をいただいた。その手紙にはこう書かれていました。自分はもう高齢になってしまった。礼拝に行くのも大変になってきた。しかしどんなにぶざまな姿になろうとも、どんなに教会の仲間にご迷惑をお掛けしようとも、礼拝の恵みにあずかりたい。そのようにして、礼拝に行かれ、召されていった。そのような話を聞かせてくださいました。分団に出ていた私も、心が熱くなるような思いで聞いていましたが、そのような礼拝を守ろうとする教会員のお姿が、そのままで伝道になるのだと思います。

この分団で聞いた話と、ペトロが失敗してしまった話は、少し異なるところがあるでしょう。しかし私たちは誰もが、できれば人には隠しておきたい、見られたくない、そんな姿を抱えているものです。ペトロはキリストとの関係を否定してしまった。大きな罪を犯してしまった。穴があったら入って隠れたい。そんな心境になったこともあったでしょう。

もしもその惨めさが自分の中で一番大きなものだとしたら、伝道どころの話ではなくなってしまいます。けれどもペトロはそうではなかった。確かに大きな失敗であり、罪であり、隠しておきたい見せたくない姿だったと思います。けれどもペトロはそれを上回る恵みを知っていたのです。

四つの福音書すべてに、ペトロの否認の話が記されています。おそらく、伝道者になったペトロ自身が、この話を自分で何度も語ったのだと思います。失敗談として語ったのではなく、キリストから恵みを受けた話として語りました。こんな自分だったけれども、キリストが再び私を受け入れてくださった。自分の惨めな姿よりも、キリストの愛の方がはるかに大きかった。そのようにして、何度も繰り返し、繰り返し、この話を語って行ったのだと思います。惨めな話がもはや惨めでない話になったのです。

キリスト者は、自らの惨めな姿を知っている者たちです。自らの罪をよく知っている者です。ぶざまな自分の姿も知っている者です。もちろん、そのような姿をあえてさらす必要はありません。自ら進んで話す必要もありません。神の御前でそのことをわきまえていればよいのです。

しかしそれ以上に、こんな惨めな私だったが、キリストに受け入れられた。わたしはキリスト者です、I am a Christian、いつでもどこでも、そのように言うことができるのです。

今日は教会設立記念礼拝、松本東教会の九二周年です。この教会も、わたしはキリスト者です、その言葉に生かされてきた者たちが集ってきました。九二周年の記念礼拝にあたり、お二人の転入会者が与えられました。そしてお一人の受洗者が与えられました。わたしはキリスト者です、今日からそのように言うことができるのです。キリストとの関係を自らが絶ち切ってしまうような私たちです。ペトロと変わらない私たちです。しかしキリストが私たちを決して放さないでいてくださる。いつまでも私たちとかかわりを持ってくださる。それがキリスト者なのです。