松本教会 プロテスタント 日本キリスト教団松本東教会

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2014年8月17日(日)
説教題「初めに言があった」

説教者 本城仰太 牧師

新約聖書: ヨハネによる福音書 第1章1〜5節

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。

旧約聖書: 創世記 第1章1~5節

先週の説教で、使徒言行録から御言葉を聴き終えました。今日からヨハネによる福音書に入ります。教会ではもちろん聖書全体を大切にしますが、特に福音書を大切にするところがあると思います。私たちの教会のように連続する聖書箇所から御言葉を聴き続ける場合、福音書に戻ってくることが多い。福音書から聴き、別のところから聴き、また福音書に戻ってくる。使徒言行録の前はルカによる福音書から御言葉を聴きました。そして使徒言行録を終え、ヨハネによる福音書から御言葉を聴いてまいります。

今日がその最初になりますが、ヨハネによる福音書全体の説教がいつ終わるのか、その計画を立てているわけではありません。検討がつかないというのが正直なところです。ルカによる福音書は三年一か月かかりました。使徒言行録は毎回だいぶ多くの分量の聖書箇所を読んでいきましたので、一年四か月で終わりました。ヨハネによる福音書は、おそらくルカによる福音書よりも長い年月がかかると思います。少なくとも三年以上、長ければ四、五年になるかもしれません。

ヨハネによる福音書の冒頭には、序文があります。第一章一節から一八節がそうです。一九節から本文が始まっていきます。この序文のところだけで、今のところ五回の説教を予定しています。今日は一節から五節。来週もまた一節から五節までを繰り返します。それだけ深みがある聖書箇所ということになりますが、今日は特に「言」に関して、来週は「光」「命」に関して、御言葉を聴きたいと願っております。

言うまでもないことかもしれませんが、ヨハネによる福音書はイエス・キリストのことを伝えています。ヨハネによる福音書の最後の辺りに、なぜこの福音書が書かれたのか、その目的がこのように記されています。「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。」(二〇・三一)。

他の福音書と同じく、この福音書でも、十字架にお架かりになり復活されたイエスというお方が救い主メシアであることを伝えているわけですが、この福音書ではそのイエスという人を、いろいろな言葉で言い表しています。ページを一つめくっていただきますと、第一章二九節から、いろいろな呼び方が出てきます。「神の子羊」(二九節)、「神の子」(三四節)、「ラビ(先生)」(三八節)、「メシア」(四一節)、「ナザレの人、ヨセフの子イエス」(四五節)、「イスラエルの王」(四九節)、「人の子」(五一節)。この短い箇所の中にも、これだけたくさんの呼び方があることに驚かされます。

今日の聖書箇所のところにも、一つの呼び方が出てきます。それは「言」です。これは聖書の元の言葉であるギリシア語では「ロゴス」と言います。イエスが「言」、ロゴスである。最初の序文のところに、何度も繰り返し「言」が出てきます。けれども、イエスが「言」であることが語られているのはこの序文のところだけです。序文以降ではもう出てきません。それだけに「言」という語に、強い意味が込められていることが分かります。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」(一節)。

そうではなくて「初めにイエスがあった。イエスは神と共にあった。イエスは神であった」、そう言っても意味としては同じですが、福音書の著者が伝えようとしているメッセージを伝えきれていないことになるかもしれません。多くの聖書学者たちも言っていることですが、やはりここはイエスというお方を表すのに、「言」、ロゴスがふさわしいのです。

私たちキリスト者は言葉を大事にします。なぜかと言うと、私たちの信仰は言葉によって成り立っているからです。礼拝もすべて言葉によって成り立っています。説教では神の言葉が語られ、それが聴かれます。聖書も言葉が朗読される。讃美歌も言葉にメロディーがつけられて歌われます。祈りも言葉です。言葉なくしては礼拝は成り立ちません。

昔の礼拝ももちろんそうでした。ヨハネによる福音書が書かれた頃の教会の礼拝もそうです。礼拝の中で、新約聖書に収められている手紙が読まれたり、福音書もまた朗読をされたようです。讃美歌も歌われました。ヨハネによる福音書の第一章一節から五節は、もともと讃美歌だったのではないかと推測もされています。イエス・キリストを伝えるために伝道がなされました。言葉だけが武器でした。他に何もありません。教会では言葉が非常に重んじられてきたのです。

私たちは言葉を大事にする。それに反し、特に現代社会では言葉が非常に軽くなっているところがあります。政治の世界でもそうです。最近、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定がなされました。それに伴い、日本に徴兵制が導入されるのではないかという意見があります。それに対して、首相は憲法上あり得ないと答弁しています。憲法第一八条、「誰も自分の意志に反する苦役に従事することを強要されない」という文言があるではないか、それによれば徴兵制はあり得ない、というわけです。しかしその言葉は軽い。第一八条どころか、第九条の文言は変えることなく解釈を変更したという実績がありますので、その言葉を心から信じる者は少ない。形式的な軽い言葉の答弁がなされるだけです。

先週は敗戦の日であります八月十五日を過ごしました。政治家で靖国神社を参拝する者たちがいる。テレビのニュースを観ていたら、繰り返し聴かれる言葉がありました。「国の為に尊い犠牲となった英霊に哀悼の意を表する」。誰が参拝しても、ほぼ同じ言葉しか出て来ない。国のために命を捧げるという言葉は、為政者にとって都合のよい言葉でしかない。国民にまたそのことを求めているのではないかと、為政者の心の内を疑いたくなってしまうような言葉だと思います。そんな言葉ではなく、私ならば「無謀な戦争を引き起こし、本来ならば失われるべきではなかった命を失ってしまった。大変申し訳ない。もう二度と同じ過ちを繰り返さない」という言葉を聴きたい。ありきたりの言葉ではなく、もっと重みのある言葉を語るべきです。

しかしこのような政治家だけを批判するだけでは済まないところがあります。自分がした批判は、必ず自分に返ってくる。それが主イエスの言われていること、聖書の言っていることの一つです。それではあなたはどうなのか。重みのある言葉を語っているのかと言われてしまう。私は牧師として聖書の言葉を説き明かす。ではあなたは本当にその言葉通りに生きているのかと問われてしまう。牧師だけでなくキリスト者全員がそうです。あなたはキリスト者としてどうなのか。重みのある言葉を語っているか。言葉だけでなく行動も伴っているのか。言行一致なのか。不一致なところはないのか。すべての者に当てはまる問題です。

そのようなことを考えつつ、ヨハネによる福音書が語り始める言葉を私たちは聴きます。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」(一節)。この福音書の著者は序のところで言葉を問題にした。先ほども申し上げた通り、元のギリシア語ではロゴスです。それに定冠詞が付けられている。英語で言えばthe Wordです。この言葉を日本語に訳すときにどうするか。ロゴスという言葉は、いろいろな意味が込められている言葉ではありますが、普通に訳せば「言葉」です。しかし新共同訳聖書を始めとする多くの聖書では「言」となっています。葉っぱの字を取っているのです。

日本語への聖書の翻訳は、明治以前にもなされなかったわけではありませんが、明治初期以降に盛んになりました。ヘボンという人が訳した聖書では、ここでのロゴスを言霊(ことだま)と訳しました。「はじめに言霊あり、言霊は神とともにあり、言霊は神なり」。明治十二年(一八七九年)、ブラウンという人の訳では「ことば」となりました。文語訳聖書が大正六年(一九一七年)に出ました。この聖書を開くと、葉っぱが取れて「言」となっています。「太初(はじめ)に言あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき」。以降、「言」と多くの聖書で訳されてきました。

なぜ言葉の葉っぱが取れて、「言」となったのか。そのはっきりとした理由を知りたいと思いましたが、はっきりとしたことは分かりませんでした。しかしこのことに関して、いろいろと言われています。この「言」は葉っぱのように揺れ動くことがないから「言」になっているとか、この「言」は葉っぱのように薄っぺらいものではないからとか、いろいろなことが言われています。どれも正しいと思います。

この「言」はイエス・キリストのことを表しています。「言」であるイエス・キリストは普通の言葉とは違う。私たちが語るような揺れ動くようなものでも、薄っぺらいものでも、軽いものでもない。まことの「言」そのものである。なぜか。イエス・キリストは私たちと違い、言葉だけでなく行いにおいても言行一致のお方だからです。例えばイエス・キリストは言われます。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(一五・一三)。ヨハネによる福音書の後半で主イエスは愛を教えてくださいました。

この言葉だけを言うなら、誰でもできるかもしれません。しかしイエス・キリストは言葉だけでなく、本当にそうしてくださった。教えだけではなかった。私たちのために命を捨てて、大きな愛を示してくださった。その「言」がここにある。ヨハネによる福音書はそう語るのです。

イエス・キリストが「言」であった。三節のところで、その「言」が万物を造ったことが記されています。「万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。」(三節)。

三節で短く言われていることは、旧約聖書の創世記の初めに記されています。本日、私たちの合わせて与えられた旧約聖書の箇所はその一部です。創造の業の第一日目の箇所です。この天地創造の箇所を読んでいてすぐに気が付くことは、神による創造は言葉によってなされたということです。神が「光あれ」と言われる、そうすると光があった。その後も神の言葉によって創造がなされていきます。「そのようになった」(創世記一・七、九、一一、一五)と、言葉通りになったことが記されています。

ヨハネによる福音書の著者もまた、創世記冒頭を意識しつつ、ヨハネによる福音書を書き始めたところがあるかもしれません。創世記の最初の言葉も、ヨハネによる福音書の最初の言葉も「はじめ」という言葉です。ヨハネによる福音書の著者が、創世記の真似をしたと言えるかもしれない。しかし真似をしなかったことがあります。これはとても大事なことです。創世記は天地を「創造した」となっています。しかしヨハネによる福音書は「言」が「あった」となっています。「創造した」と「あった」。これはまったく違います。

ヨハネによる福音書の一節から五節を注意深く読むと、天地創造のことは三節に書かれていることが分かります。では一節と二節は何が書かれているのかと言うと、創造以前の話になります。つまりヨハネによる福音書の著者は、天地創造よりも遡って書いた。天地創造よりも前に、この「言」はあった。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。」(一~二節)。そしてこの永遠にあった「言」が私たちに現れた。そのことが一四節に語られます。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」(一四節)。これは序の部分の一つのクライマックスです。

今日はヨハネによる福音書の説教を始めた最初です。それにあたりヨハネによる福音書全般的な話しもしなければならないのかもしれません。ヨハネによる福音書がいつ、どこで、誰によって、何のために書かれたのか。ヨハネによる福音書の注解書もたくさんありますが、どの注解書でも最初のところでそのことを書いています。今日はその全部を語ることはできません。おいおい話す機会もあるでしょう。

確かなことは言えませんが、ヨハネによる福音書はシリア辺り、あるいは今のトルコですが小アジアの辺りで書かれたのではないかと言われています。いずれにしても、ユダヤ人たちが周りにたくさんいた環境です。対照的にルカによる福音書は、ユダヤ人たちと言うよりもユダヤ人以外の異邦人を意識して書かれた福音書です。ヨハネによる福音書では、ユダヤ人たちに取り囲まれていた。そんな中に生きるキリスト者たちがいた。教会があった。ヨハネ教会があったのです。

そのヨハネ教会に生きる者たちが、第四の福音書であるヨハネによる福音書を書きました。マルコによる福音書が最初に書かれたと言われています。マタイとルカは、マルコを参考の一つにしながら書いたと言われています。ヨハネは四番目の福音書としてできました。ヨハネによる福音書の著者は、他の三つの福音書を知っていたと考えられます。

けれども、ヨハネによる福音書の著者は、すでに出来上がっていた福音書のコピーをしたのではありません。マルコによる福音書が書かれた時代からは時間も流れていた。状況も違った。自分たちの教会の状況に当てはめて、この福音書を書いたのです。イエス・キリストの話を忠実に再現するだけが目的ではなく、自分たちの教会の状況に当てはめて福音書を書いた、そう言われています。厳しい状況があったようです。

例えば、ほとんどすべての聖書学者が指摘することですが、第九章二二節にこうあります。「ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである。」(九・二二)。少し想像していただければ分かりますが、主イエスが地上を歩まれていた時に、このような決定がなされたはずはありません。その後の教会の者たちが、イエスをメシアであると公に言い表すようになったのです。第九章二二節と同じような言葉が、第一二章四二節にも、第一六章二節にも繰り返し見られます。ユダヤ人のキリスト者はユダヤ人のコミュニティーから追放される時代を迎えていた。今の自分たちの状況を踏まえて、自分たちの福音書を書いた。ヨハネによる福音書が他の福音書と比べて独特なのは、そのことが大きいと言われています。

ヨハネによる福音書が書かれたのは九〇年代頃ではないかと言われています。九〇年代に、ユダヤ人の指導者であるラビたちが集まって、一つの会議が開かれました。ヤムニア会議と呼ばれている会議です。七〇年にユダヤ人はローマ帝国に反乱を起こし、神殿が破壊されてしまいました。それまでは、聖書にも出てきますが、サドカイ派とか熱心党と呼ばれるグループがあった。しかしやがては消滅していきます。救い主メシアをユダヤ人たちは待っていました。ところがメシアと思われる人が現れない。神殿も破壊されてしまう。今までの神殿が中心だったことを改めなければなりませんでした。

そこで、聖書にもたくさん出てきますが、ファリサイ派と呼ばれるグループが力を持つようになる。神殿ではなく、律法に忠実に生活をしようというようになるのです。このユダヤ人たちが、ローマ帝国の公認を得て、九十年代にヤムニア会議というものを開く。この会議ではいろいろなことが決められましたが、その中の一つの決定が、第九章二二節に書かれていること、キリスト者の追放でした。

そのような厳しい状況の中でこの福音書が書かれた。ロゴスなどという書き出しがありますと、つい哲学的な、抽象的な、机の上だけで考えられた福音書のようであると錯覚してしまうかもしれませんが、そんなことはないのです。

どのような迫害があったのか、はっきりとは分かりません。ユダヤ人社会から非難の言葉を浴びせられ、追い出された者もいるでしょう。ローマ帝国でもこの頃、厳しい迫害が起こったと言われています。皇帝が自分を神として礼拝するように求めた。キリスト者はそれに否と言う。国にとってキリスト者が邪魔な存在になり始めていた。キリスト者は非難の言葉を浴びせられることになった。

重みのない言葉が飛び交う今の時代も、もしかしたらそうなりつつあるのかもしれません。ヨハネ教会の人たちと私たちに似ているところがある。しかしヨハネ教会の人たちは、いくら非難の言葉を浴びようとも、それらは薄い葉っぱのような言葉であることを知っていた。政治もまた薄い言葉によってなされていることを知っていた。そのような言葉ではなく、本物の言がここにあるではないか、ここに現れたではないか、それがイエス・キリストそのものではないか。ヨハネによる福音書の著者はそう書き始めた。私たちはその書から、御言葉を聴き続けていくのです。