松本教会 プロテスタント 日本キリスト教団松本東教会

facebook.png


HOME > 礼拝説教集 > 20100725

2010年7月25日(日)献堂記念礼拝
説教題「建物全体の成長」

説教者 本城仰太 伝道師

新約聖書: エフェソの信徒への手紙 第2章19節〜22節

従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。

旧約聖書: 詩編 第118編22〜29節



かなめ石

かなめ石

 本日は献堂記念礼拝です。教会のこの建物が与えられたことを覚える礼拝であります。今、私たちが礼拝をしているこの建物で、最初に礼拝を行ったのは、一九八〇年七月六日のことであります。同じ月の七月二七日に、献堂記念礼拝を行いました。午前中に礼拝が行われ、午後には「会堂落成祝謝会」が催されたようです。「祝謝会」とは、祝うという字に、感謝の謝という字を書きます。会堂が与えられたことを祝うとともに、神に感謝を献げることを明確にした会であると言えます。

 教会が設立されてから七十年が経ったときに発行されました「七十年史」を見ますと、そのときの様子がこのように書かれています。「会堂を与えられた喜びと感激は全地に満るものがあった」。面白い表現だと思います。七十年史にその記録を残すために、喜びと感激を言葉で表さないといけないわけですが、「全地に満るものがあった」と表現します。それ以外には言葉にできないほどの喜びと感激であったわけです。

 それもそのはず、この会堂が与えられる前までに、この教会は転々として礼拝を行っていたからです。七十年史を見ますと、会堂が与えられるまで、七回も場所を変えていたことが分かります。松本市立幼稚園に始まり、教会員の家庭や公民館で礼拝や集会を行っておりました。わずか一年で次のところへ移動しなければならないこともあったようです。教会員にとっても、どこか落ち着かないところがあったでしょう。落ち着いた場所で礼拝を守りたいという思いが膨らんできました。

 一九七八年の春頃から、会堂建設の気運はいっそう高まりました。教会として、具体的な行動に立ちあがることになったのです。建設準備委員会が開かれ、それがやがて建設委員会になりました。会堂を建てるための献金を募り、一九七九年の総会で会堂建設を正式に決定し、着工、一九八〇年の完成を迎えたわけです。

 会堂を与えられたときの喜びは、言葉にできないほどのものでありました。これはどんな喜びだったのでしょうか。ああ、会堂ができた、これでもう安心。そのような喜びではなかったでしょう。それは伝道できる喜びでありました。さあ、これからますます豊かに教会を建て上げようという思いであります。教会を建てる、この意味は、もちろん目に見える形で建てるというわけではありません。

 この教会に、会堂が与えられる前も、実は教会を建てていたのであります。そして一九八〇年に、目に見える形の会堂が与えられた。ますます伝道をするために、ますます豊かに教会を建て上げるために、会堂が与えられたのであります。

 本日、与えられました聖書箇所に、「キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し」(二一節)とあります。この建物は教会のことでありますが、教会が建物として成長すると言われているのです。この教会の会堂は一九八〇年に完成しましたから、築三〇年ということになります。三十年が経ちましたから、会堂としては当然古くなるわけです。それでも、この聖書箇所は教会の建物が成長をしていると言うのです。エフェソの信徒への手紙は、教会に宛てて書かれた手紙です。

 エフェソにしても、コリントにしても、フィリピにしても、当時は教会の会堂はまだありませんでした。松本東教会がかつてそうであったように、信徒の家で、礼拝や集会を行っていたのです。その教会に宛てて、あなたがたの建物は成長すると言う。もちろん、目に見える形での建物ではないことは明らかです。

 本日、与えられました箇所の一九~二二節に、このように記されています。「従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。」(一九~二二節)。

 ここで用いられている一つのイメージは、建物を建てるイメージです。その建物は石を積み上げていくことによって建てられていきます。使徒や預言者という土台がある、キリスト・イエスというかなめ石がある。そして、あなたがたがその石の一つ一つである。そのようにして石が組み合わさって建物が建てられていき、建物全体が成長していくと言うのです。

 戦国の武将である武田信玄の言葉として知られているものに、次のようの言葉があります。「人は城、人は石垣、人は堀」。人がお城であり、その石垣であり、その周りをめぐらす堀であると言うのです。事実、武田信玄は城を築くことがなく、小さな館で過ごしました。それでも、武田信玄は戦国最強の武将と言われ、自分の領内に、敵から攻め込まれることは一度もありませんでした。信玄の思いとしては、いくら立派な城があっても、人の心が離れてしまっては国をうまく治められないということだったのでしょう。この言葉は、よくそのことが表れていると思います。立派な建物に心を奪われることなく、もっと大切なものがある。そのことを見抜いていたのです。

 松本東教会の会堂が与えられようとしていたときに、当時の牧師でありました和田正先生が、おとずれの中でこのように記しています。「会堂のあることによって信仰の堕落を恐れることを考えると今なお消極的にならざるを得ない」(おとずれ七一号)。このおとずれが発行されたのは、一九七九年五月二七日でありますが、ちょうど同じ日に、会堂を建設するための総会がもたれました。そのような日に、「消極的にならざるを得ない」というのもおかしな話かもしれませんが、和田先生は大切なことを見抜いておられたと思います。

 和田先生は同じおとずれの中で、こうも言っています。「会堂が出来たからと言って教会の問題が解決するとは思っていません。会堂を生かすも殺すも、信仰次第だと思います。教会の内に真の信仰と望みと愛とが満ち溢れるに至る事が、根本的に重要な事であり、第一の事だと信じます」。会堂があるからと言って、安心してはいけない。和田先生は問題が解決するわけではない、と言いますし、「信仰の堕落」という言葉さえ使います。

 エフェソの信徒への手紙での表現を用いるとすれば、建物全体の成長がストップしてしまっては困るということです。目に見える会堂が与えられることによって、もし建物全体の成長が止まってしまうならば、「消極的にならざるを得ない」ということになるのです。和田先生は大切なことを見抜いておられたのです。

 教会の目に見える形での建物ではなくて、教会が成長していくとはどういうことでしょうか。そのことが、本日与えられました聖書箇所に記されています。先ほど、お読みいたしました後半のところになります(一九~二二節)。教会を建て上げていくために、石を一つ一つ積み上げていくわけですが、私たちがその石であります。

 ただし、どこに石を積み上げていくのかと言うと、すでにある土台の上に積み上げていかなければなりません。土台を無視して、さあ、今までとは全く違うところに、石を積み上げていくわけにはいきません。土台は何かと言うと、「使徒や預言者という土台」(二〇節)であります。使徒や預言者というのは、初期の教会の役職でありました。エフェソの信徒への手紙第四章一一節に、教会のいろいろな役職がリストアップされています。「ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。」(エフェソ四・一一)。神が教会の中にこのような奉仕者を立ててくださったことが言われているわけですが、ここではその役職一つ一つを解説する暇はありません。

 しかし理解しておいた方がよいことは、使徒と預言者は、第一世代の役職であったということです。使徒として、名前を挙げることができるのは、ペトロやパウロといった人たちです。この人たちは、復活された主イエスから言葉をかけられて、伝道せよと命じられたものたちです。教会にとっては第一世代の伝道者たちです。この人たちが使徒であります。そして預言者は、おそらく使徒たちと同じ世代に属し、イエス・キリストを証する伝道者であったと考えられます。つまり、使徒や預言者たちは、教会の第一世代の指導者であり、その人たちが土台であると言うのです。

 教会はその後、使徒や預言者たちの上に、石を積み上げてきたわけです。そこに私たちという石も加えられる。教会がそのようにして成長していくわけですけれども、大切なのは、主イエスがどこにおられるかということです。エフェソの信徒への手紙を記した著者も、それを記すことを忘れません。「そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり」(二〇節)と言うのです。

 かなめ石というのはどういう石でしょうか。イタリアなどのヨーロッパに旅行に行きますと、石造りの古い建築物が残されているのを目にします。古代ローマ帝国のときに造られたものです。それら建築物の特徴として、アーチ型になっています。アーチ型というのは、上のほうが膨らんだ円のような形になっているものです。たとえば、戦争に勝利したときに建てられる凱旋のための門や、水道のための巨大な橋などに、アーチ型の構造が見られます。このような建築物を作るためには、まず両端から石を積み上げていきます。それが上の方でだんだんと丸みを帯びてきて、アーチ型を造っていくわけです。

 しかしこれだけですと構造的にはまだ弱い。さらに強度を増すために、アーチのてっぺんに、キーストーンというものを、最後に埋め込みます。そうすると、その建築物は驚くほどの強度になるのです。二千年前に建てられた建造物が、今でもまだ残っているほどです。このキーストーンが、かなめ石になります。

 二〇節の「かなめ石」という言葉を、「かなめ石」という理解ではなくて、実は別の石として理解することもできます。「隅の親石」という理解です。アーチ型の建物でもそうですが、建築物を立てていくときに、必ず最初の石を置くことになります。そしてその石の上に、次の石を、また次の石を積み上げていくわけですが、隅の親石というのは、その最初の石のことです。建築物のすべてを支える土台ともなるのが、隅の親石です。

 本日、私たちに与えられました旧約聖書の箇所にも、この隅の親石という言葉が出てきました。詩編第一一八編二二節です。「家を建てる者の退けた石が/隅の親石となった。」(詩編一一八・二二)。ここで言われているのは、何らかの家を建てようとしたときのことです。こんな石は要らないよ、そう思って、ポイと投げ捨てた石が隅の親石となった。

 その石の上に、家が建てられることになったのです。この石は、主イエス・キリストと重なり合います。こんな救い主は要らないよ、ポイと石を投げ捨てるようにして、十字架につけてしまった。ところが、この石が隅の親石となり、このお方の上に、教会が建てられていったのです。

 建造物のてっぺんにある「かなめ石」なのか、それとも一番下にある「隅の親石」なのか。「かなめ石」は最後の石でありますから、the last stoneなのか、それとも、「隅の親石」は最初の石ですから、the first stoneなのか。この解釈は、時代によって一方が優勢になったりもしましたが、これはいまだに決着を見ません。どちらにも真理があるからです。教会を建てるときに、まず主イエスが最初の石となり、そこに使徒と預言者という土台が築かれた。 

 そして、私たちも含めて、次々と石が積み上げられていく。私たちだけでは、教会という建物を完成させることができないのは、言うまでもありません。最後に、主イエスがかなめ石として、建物を完成させてくださる。どちらの理解も、事実、その通りなのであります。

 教会というところは、変化の乏しいところかもしれません。いつまでも古い体質に縛られていて、新しいことを行おうとしても、教会の腰は重い。木曜日のアルファ・コースで観ているビデオの中に、こんな話がありました。教会で何かを変えることは本当に難しい。ある教会で、牧師が礼拝堂のオルガンを左側から右側に移動させたいと思った。しかし一気に変えるわけにはいかない。そこで牧師は、一日に三センチずつ動かした。そしてついに一年後に、右側に移動が完了したというのです。もちろん、これはジョークを交えた話です。

 しかし教会がなかなか変わらないということをよく言い表した話であると思います。教会はなかなか変化しない、そのことで批判をされることもよくあるのです。時代にそぐわないことをしているから、なかなか教会は伸びないのだ、そう言われることもある。なるほど、その批判にも耳を傾けなければならないでしょう。

 しかし教会を建て上げていく私たちは、やはり慎重にならなくてはなりません。使徒パウロが、コリント教会に宛てた手紙の中でこう言っています。「わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました。そして、他の人がその上に家を建てています。ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。」(Ⅰコリント三・一〇~一一)。

 ここでは土台がイエス・キリストであると言われています。コリントの信徒への手紙は、エフェソの信徒の手紙よりも先に書かれた手紙です。このころはまだ、使徒や預言者が懸命に教会の土台を据えている最中だったのでしょう。やがて、エフェソの信徒への手紙が書かれる時代には、使徒や預言者が土台を据えたと言えるようになった。だから矛盾はありません。パウロがここで言いたいのは、どのように建てるかということです。土台を無視して、他の土台を据えることはできないと言うのです。教会は、この土台をそっくり取り換えるようにして、劇的な変化を起こすわけにはいかないのです。

 今から五〇〇年ほど前に、ヨーロッパで宗教改革が起こりました。宗教を改革したと言うよりは、教会を改革したと言った方がよいかもしれませんが、改革者たちは、決して土台を無視して改革を進めたわけではありません。改革と言いますと、今までとはまったく違う方向へ向かっていくかのように思われがちですが、決してそんなことはないのです。

 この頃、合言葉のように、改革者たちの間で叫ばれた言葉がありました。それは「源泉へ(返れ)」(ad fontes)という言葉です。源泉とは、源という字に、泉という字を書きます。水が湧き出て、その水が川として流れてきたかもしれないけれども、その源泉に戻れということであります。教会が始まったころの初心に返れ。今日の聖書の言葉を用いますと、教会の土台をもう一度、思い出そうではないかということなのです。

 松本東教会も正しい土台の上に、教会を建て上げてきました。イエス・キリストが隅の親石となって下さり、使徒と預言者が土台となった。その上に、松本東教会は次々と石を積み上げてきたのです。会堂が与えられる前から、そして会堂が与えられた後も、石を積み上げてきました。和田先生の心配は、幸いなことに当たらなかったと言ってよいでしょう。「信仰の堕落」が起きることもなかったし、伝道をやめてしまうことも起こらなかったし、建物全体の成長が止まることもありませんでした。そして今なお、この成長は続いています。

 この会堂が与えられてから三十年になりました。この会堂に愛着を覚えておられる方も多いでしょう。六月下旬に会堂の大掃除をしましたが、多くの方が本当に丁寧に掃除をしてくださり、この会堂を伝道する場として整えてくださいました。この会堂は、教会を建て上げるために用いられてきました。もちろん今も用いられていますし、これからも用いられます。あと何年になるのか、何十年になるのか、それは分かりません。神のみがご存じです。教会を建て上げるために、目に見える形の会堂も、今後、新たに与えられるときが来るかもしれません。

 そのような幻も見つつ、私たちは今日も石を積み上げていく。そのようにして、教会が成長させられていく。そして、いつの日か、主イエス・キリストというかなめ石がてっぺんに据えられ、教会は完成するのです。その日を目指して、私たちは歩むのであります。