松本教会 プロテスタント 日本キリスト教団松本東教会

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キリスト者は社会でどのように生きればよいのでしょうか?

 キリスト者は主イエスが復活された日である日曜日に礼拝に集います。日曜日が週の初めの日です。礼拝の最後のところに祝祷があります。松本東教会や多くの教会では、コリントの信徒への手紙二の最後にある言葉を用いています。「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。」(Ⅱコリント13:13)。新約聖書の多くの手紙は、かつての礼拝の中で朗読されたと言われています。つまり朗読の最後が、祝福の言葉だったのです。キリスト者は日曜日に教会に集い、礼拝をし、礼拝の最後に祝福され、一週間の生活へと派遣されていきます。日常生活の場へと出て行くのです。

 教会の歴史を振り返ってみると、最初から教会の建物があったわけではありません。伝道がなされたのは、教会の中ではなく、市場や台所、町中などであったようです。特殊な場所でキリスト者の営みがなされたのではありません。最初は専属の聖職者などは、おそらくまだいなかったでしょう。使徒パウロでさえ、テント職人であったと言われています。最終的にローマに到着し、「自費で借りた家に丸二年間住んで」(使徒言行録28:30)いたと書かれています。もっとも主イエスも大工でした。30歳頃まで大工として働き、それから伝道を始められ、3年後くらいに十字架にお架かりになったと思われます。聖書では収入を得ることをもちろん否定していません。世捨て人のように生活することを求めているのではなく、むしろ日常の生活の中で、信仰を持って歩むように奨めているのです。

 日常生活の中で、様々なことが待ち受けているかもしれません。そのような中で、私たちはどのようなことをわきまえて、生きていけばよいのでしょうか。主イエスがお語りになった譬え話で、タラントンの譬えがあります。それぞれに違うお金(タラントン)が与えられ、日常生活をしていきます。神からいただいたタラントンを精いっぱい用いて、タラントンを増やすことが求められています。しかしそのときに、神からいただいたタラントンであることを忘れるわけにはいきません。パウロも「いったいあなたの持っているもので、いただかなかったものがあるでしょうか。」(Ⅰコリント4:7)と言っている通りです。

 キリスト者としての新しい生き方が、エフェソの信徒への手紙の中で説かれています。社会の中で得たものをどのように用いるのでしょうか。「労苦して自分の手で正当な収入を得、困っている人々に分け与えるようにしなさい。」(エフェソ4:28)とあります。得た収入は自分のためのみならず、困っている人々と分かち合うことが求められています。さらに語る言葉も、「聞く人に恵みがあたえられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい」(エフェソ4:29)とも言われています。キリスト者は社会の中で、キリスト者としてのあり方を失ってしまうのではなく、社会の中で生きながらも、キリスト者らしく生活するのです。

・マタイによる福音書25:14-30(新p.49)
・コリントの信徒への手紙二13:5-13(新p.341)
・エフェソの信徒への手紙4:25-5:5(新p.357)

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