松本教会 プロテスタント 日本キリスト教団松本東教会

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試練をどう乗り越えればよいでしょうか?

 試練という言葉を辞書で引くと、「信仰・決心のかたさや実力などを厳しくためすこと。また、その時に受ける苦難」とあります。私たちの人生の中で、苦難や思い通りにならないことがあります。まず大切なことは、それらのことに直面したとき、試練と思えるかどうかです。単に悪いものがやってきたと考えるならば、それらを乗り越えたとしても、自分には何も変化が起こらないと思います。そうではなく、それらを試練だと受け止めて、試練を乗り越えたとき、成長した自分がそこにいることでしょう。試練に遭うことは、神から成長のプロセスが与えられることだと、積極的に考えることができるのです。

 ヤコブの手紙は、キリスト者として生きるにあたって生じる様々な問題が取り上げられていますが、最初に取り上げられているのが試練の問題です。「私の兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。信仰が試されることで忍耐が生じると、あなたがたは知っています。あくまでも忍耐しなさい。そうすれば、完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人になります。」(ヤコブ1:2-4)。試練 → 忍耐 → 完全無欠な人というプロセスを歩むと言うのです。さらに「命の冠をいただく」(ヤコブ1:12)とも言われています。ヤコブの手紙の読者は、おそらく実際に試練にさらされていたと思われます。それでも試練を積極的に受け止め、その先にあるものに目を向けるように奨めているのです。

 主イエスがお語りになられた種を蒔く人の譬えの中にも、試練のことが出てきます。種がどこに種が蒔かれたかによって、その後の歩みが左右されます。4つの場所が挙げられます。道端、石地、茨の中、良い土地です。2番目の石地に蒔かれた種がこう言われます。「石地のものとは、御言葉を聞くと喜んで受け入れるが、根がないので、しばらくは信じても、試練に遭うと身を引いてしまう人たちのこと」(ルカ8:13)。試練によって、根がなかったことがはっきりとしてしまいます。試練を乗り越えるために、この根があるかどうかが大事なことになってきます。

 信仰者は何よりも神に根差して生きる者です。なぜなら、私たちの神こそ、「真実な方」だからです。試練に関して、聖書の中でも特によく知られている有名な箇所があります。「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(Ⅰコリント10:13)。文脈としては、神ならぬ偶像の神に従った者たちは、試練に耐えられなかったけれども、真実な神に寄り頼む者には、必ず逃れの道が備えられる。神はそういう真実なお方だということが言われています。神こそが真実なお方であると信じて歩むとき、試練を積極的に受け止めて、自分の信仰が成長するプロセスを歩むことができるようになるのです。

・ルカによる福音書8:11-15(新p.118)
・コリントの信徒への手紙一10:1-14(新p.311)
・ヤコブの手紙1:2-15(新p.421)

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