松本教会 プロテスタント 日本キリスト教団松本東教会

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信仰を持つと何も心配はなくなるのですか?

 私たちの人生には様々な心配事があります。日々の生活での小さな不安もあれば、将来に関する大きな不安もあるでしょう。信仰を持てば、強い人間になり、それらの不安から解放されるようになると思うかもしれません。しかしそう簡単にはいきません。聖書には、信仰者の苦悩の問題もたくさん出てくるのです。

 典型的なのはヨブ記に出てくるヨブという人物です。この人は神の前に無垢な信仰者でした。神から家族や財産など、たくさんの祝福をいただいていました。ところが、ある日を境にして、ヨブに不幸が襲い掛かります。ヨブは最初、「わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」(ヨブ2:10)と言いました。しかしヨブはだんだんと深い苦悩の中に入り込んでいきます。なぜ信仰者の自分がこんな目に遭わなければならないのかと嘆き、少しずつ神から離れていきます。しかし最終的にはヨブは悔い改め、再び祝福を得ることができました。このヨブ記から、いろいろなことを考えることができますが、固い信仰を持っていたと思われたヨブでさえも、弱い人間であったのです。

 主イエスの弟子たちも、何らかの強さがあったから、弟子にしてもらったわけではありません。あるとき、湖で嵐にあったときに、船が沈みそうになりました。弟子たちの中に漁師が何人かいましたが、どうしようもありませんでした。「主よ、助けてください。おぼれそうです」(マタイ8:25)と主イエスに言います。そのとき、「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」(8:26)と主イエスから言われてしまいます。私たち人間は、このときの弟子たちのように、たとえ信仰があったとしても、とても薄い信仰しか持ち合わせていないのです。

 このように聖書は人間をとても弱い存在と見ています。信仰が強められると、神が要らなくなってしまうくらい自分も強くなるというわけではありません。信仰を持って歩んだとしても、何らかの不安もありますし、自分が揺らぐこともしばしば起こります。

 しかし信仰者が決定的に違うところがあります。私が強いのではなく、神が強く、神が私の主でいてくださるということです。これが信仰の中核です。讃美歌461番に有名な「主われを愛す」という讃美歌があります。1番ではこのように歌います。「主われを愛す、主は強ければ、われ弱くとも恐れはあらじ」。これはとても短い言葉ですが、私たちの信仰をよく言い表している言葉であると思います。私たちの側に強さがあるのではなく、神の側に強さがあるのです。「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」(Ⅰペトロ5:7)とある通りです。ペトロの手紙も厳しい迫害が始まった時代に書かれたと言われています。この手紙を読んだ人たちには、心配事がたくさんあったのです。揺らぐこともあったでしょう。しかしたとえ私たちが揺らいでしまったとしても、神は揺らがないということこそ、私たちの救いになるのです。

・ヨブ記2:1-10(旧p.776)
・マタイによる福音書8:23-27(新p.14)
・ペトロの手紙一5:6-11(新p.434)

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