松本教会 プロテスタント 日本キリスト教団松本東教会

facebook.png


HOME > オリーブの会テーマ一覧 > オリーブの会(死んだらどうなる)

死んだらどうなるのですか?

 死んだらどうなるのか。その体験をした人から話を聞くことはできません。どうなるのか分からなくなるから、不安になるかもしれません。私たちはそのことを知りたいと思い、聖書を開いてみますけれども、実のところ、聖書はあまり死んだ後にどうなるのかは書かれていません。むしろ書かれているのは、神が死を乗り越えさせてくださるということです。その先ははっきりとは分からなくても、神を信頼することの方が大切にされているのです。

 それでも分からないながらも、わずかながら記されていることもあります。旧約聖書の死生観としては、陰府(よみ)という場所がありました。死んだら行くところと考えられていた場所です。意外かもしれませんが、旧約聖書には天国のこととか、復活のことなどは、新約聖書ほどは出てきません。しかし死んだ人が行く陰府という場所は、旧約聖書のいろいろな箇所に記されています。例えば、「死の国へ行けば、だれもあなたの名を唱えず、陰府に入れば、だれもあなたに感謝をささげません。」(詩編6:6)と歌っている詩編があります。この詩人は陰府に希望を抱いていないようですが、別の詩編の言葉もあります。「天に登ろうとも、あなたはそこにいまし、陰府に身を横たえようとも、見よ、あなたはそこにいます。」(詩編139:8)。この人は逆に希望があると考えています。

 このように旧約聖書では一貫していませんが、陰府は死んだ人が行くところと考えられていました。その陰府に、十字架にお架かりになった主イエスが赴いてくださいました。陰府にも救いがもたらされて、もはや陰府は問題にならなくなりました。主イエスが天と地とを直接結んでくださったのです。

 それでは死んだらどうなるのか。すぐに天に行くことができるのか、しばらく待たなければならないのか。聖書に書かれている二つの箇所を読んでみましょう。まずはフィリピの信徒への手紙です。「一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており…」(1:23)。死んですぐにキリストにお会いしたいということが書かれています。続けてテサロニケの信徒への手紙一です。「神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも…」(4:14)。ここでは死んだらすぐにお会いするのではなく、一時眠りについていることが書かれています。死んだ人は復活する時まで眠りについているというわけです。

 この二つの箇所を矛盾なく、一貫して説明するのは難しいと思います。死んだらどうなるのか、聖書ははっきり語っていませんし、あまりそのことには関心を示していません。どうなるのかという道筋をはっきりと示すことより、主イエスが陰府にまで赴き、死の力を打ち破ってくださったことに力点が置かれています。このようにしてくださった神を信じるということの方が大切なのです。生きるときにも死ぬときにも、私たちは神のものであることを信じるのが信仰なのです。

・詩編6(旧p.838)
・フィリピの信徒への手紙1:20-26(新p.362)
・テサロニケの信徒への手紙一4:13-18(新p.377)

ページの先頭へ