松本教会 プロテスタント 日本キリスト教団松本東教会

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なぜ死ななければならないのですか?

 人間は誰もが必ず死にます。なぜ私たちは死ななければならないのでしょうか?死の問題は聖書の最も大きなテーマです。最初から最後まで、死の問題を扱っていると言っても過言ではありません。聖書の最初は創世記ですが、ここでもやはり死がテーマです。なぜ人間が死ななければならなくなったのかを語っています。しかし単に死だけを語っているだけでなく、死と生の問題の両方が語られていると言えます。

 まずは人間が造られたときの様子ですが、「主なる神は、土の塵で人を形作り、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」(創世記2:7)と記されています。土で人の形を形作っただけでは人は生きる者とはならず、神の息(息は霊とも訳せます)が吹き入られて初めて人は生きる者となったのです。

 それではどうしてこのように生きる者となった人間が死ななければならなくなったのでしょうか。聖書で初めて「死」という言葉が出てくるのは、主なる神の言葉においてです。「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」(創世記2:16-17)。善悪の知識の木から取って食べるな、というご命令に合わせて、もし食べれば死んでしまうということが言われています。人は実際に蛇にそそのかされて食べてしまいましたが、人間は直ちに死んでしまったわけではありません(アダムは930歳まで生きました!)。ここでの死とは何でしょうか?

 人間が木の実を取って食べてしまってからは、神と向き合うことができなくなってしまいました。アダムとエバは主なる神が近づいて来られたにもかかわらず、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れてしまいました(創世記3:8)。神との関係が完全に壊れてしまったのです。このような人間の状態を罪と言います。人間は罪人になってしまったのです。

 私たちはなぜ死ぬのかという問いを考えてきました。ここにその答えを見出すことができると思います。死は罪の結果です。罪のゆえの裁きとして死があるのです。罪のまま、永遠の命に生きることを神はお許しになりません。永遠の命に生きられないこと、それは結局のところ、いつか終わりが来るわけですから、死ななければならないのです。

 罪人としての死から逃れられる人間はいません。この人間がいかにして救われるのか、聖書全体はそのことを最大のテーマとして語ります。聖書は神の独り子である主イエスが人となって、死んで下さったことを語ります。その死は十字架での死でした。十字架で人類全体の罪の裁きがなされました。その結果、私たちの罪が赦されました。主イエスは死者の中から復活され、私たちに復活の希望を与えてくださいました。主イエスを救い主として信じる者に与えられる希望です。新約聖書は特にそのことを語っています。罪人のまま永遠に生きるのではなく、罪赦された者として、永遠の命にあずかるのです。

・創世記2:6-3:24(旧p.2)
・コリントの信徒への手紙一15:12-22(新p.320)
・テサロニケの信徒への手紙一4:13-14(新p.377)

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