松本教会 プロテスタント 日本キリスト教団松本東教会

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洗礼を受けると何が変わるのでしょうか?

 キリスト教会には秘跡と呼ばれるものがあります。別名、聖礼典です。その言葉の通り、聖なる礼典というわけですが、救いという目に見えないものを見える形にしたもののことです。カトリック教会では七つ(洗礼、聖餐、堅信、告解、塗油、叙階、結婚)の聖礼典が定められています。プロテスタントでは二つで、洗礼と聖餐になります。プロテスタント教会では目に見えない説教と並んで、目に見える二つの救いのしるしを大切にしているわけです。

 洗礼は教会に加入するための儀式と考えられることもあります。確かにそれは正しいことですが、洗礼は単なる儀式ではありません。洗礼は主イエスの十字架と復活と深いかかわりがあります。主イエスは私たちに罪のために十字架で死なれ、三日目にお甦りになられました。主イエスが死で終わらずに復活されたことにより、罪と死に打ち勝ってくださったのです。私たちは洗礼によって、主イエスと同じ道をたどることができるようになります(ローマ6:4など)。私たちは洗礼を受けることによってキリストと一つに結び合わされます。別の表現では、「洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。」(ガラテヤ3:27)という表現もあります。つまり洗礼は単なる教会加入の儀式に留まらず、人生が根本的に変わることを意味します。

 洗礼は第二の誕生日です。古い自分に死んで、新たな人に甦るからです。古い自分とは罪人の自分のことを意味します。ペトロの説教に打たれた人々は、ペトロにどうすればよいのかを尋ねました。そうするとペトロが「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。」(使徒言行録2:38)と答えました。洗礼によって、罪が赦された新しい人としての生き方が始まるのです。

 そうは言うものの、洗礼を受けても自分がちっとも変わらないという声も聞かれます。確かにそれはその通りかもしれません。罪の完全な赦しと完全な救いは終わりのときまで待たねばならないからです。しかし洗礼を受けた人が決定的に変わることがあります。それは自分の主人が変わることです。洗礼を受ける前までは罪に支配され、いわば罪の奴隷でした。そこから解放されて自由になり、主人が変わるのです。主人が変わっても、自分はすぐには変わらないかもしれません。しかし主人が変わったのですから、主人に倣い、少しずつ変わっていくはずです。キリスト者の人生は日々、新たにされていくのです。洗礼がキリスト者のゴールではなく、洗礼からキリスト者の旅路が始まると言った方がよいでしょう。

 その旅路も時に揺れ動くことがあると思います。しかしたとえ自分が揺れ動いたとしても、自分の主人は決して揺れ動きません。洗礼を受けたことは、生涯の歩みの礎となります。改革者のマルティン・ルターは数多くの苦難を経験しましたが、自分が洗礼を受けているという事実を思い起こし、苦難を乗り切ったと言われています。洗礼を受けた私たちも同じです。

・ヨハネによる福音書3:1-8(新p.167)
・使徒言行録2:37-42(新p.217)
・ローマの信徒への手紙6:1-11(新p.280)

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