松本教会 プロテスタント 日本キリスト教団松本東教会

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イエス・キリストの復活をどのように理解すればよいでしょうか?

 新約聖書に書かれている最大のメッセージは、イエス・キリストの復活です。たとえ周りの人たちから受け入れられないことがあったとしても、復活を引っ込めるようなことをしませんでした。なぜそんなに復活にこだわるのでしょうか? それは私たちの信仰の根幹にかかわるからです。パウロがコリント教会に宛てた手紙の中で、もし復活を信じないならば、「宣教は無駄」(Ⅰコリント15:14)であり、「信仰も無駄」(15:14)と言っています。「この世の生活でキリストに望みをかけているだけ」(15:19)ということになり、「すべての人の中で最も惨めな者」(15:19)とさえ言っているのです。

 このように復活があるのとないのでは大きく違うわけですが、もし復活がなかったと想定して考えてみましょう。イエス・キリストは十字架に架けられました。復活がないのですから、死んでそれっきり。今でもお墓に閉じ込められていることになります。そうなると、まず死を克服することができるのか、曖昧になります。永遠の命の確証も得られません。イエス・キリストが人間の罪を背負って十字架に架かったわけですが、死んでそれっきりだとすれば、私たちの罪が赦されたのかも、あやふやになってしまいます。もし復活がなかったとすれば、信仰のすべてが崩れ去ってしまうのです。

 しかしそうではない、と使徒パウロはコリント教会の人たちに言います。「しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。」(Ⅰコリント15:20)。イエス・キリストは復活の初穂です。最初の実りです。現時点では初穂のみです。しかし初穂ですから、その後の実が続々と続こうとしています。イエス・キリストの復活が、自分の復活とかかわりが出てくるのです。

 同じパウロが書いたローマの信徒への手紙でも、同じようなことが言われています。洗礼を受けた者の恵みです。洗礼は古い自分に死に、イエス・キリストに結ばれて新しい人に生まれ変わることです。「わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。」(ローマ6:4)。イエス・キリストの復活は、私たちにとって大きなしるしになります。私たちの罪の赦し、死の克服、永遠の命が保証されていることがそのしるしによって分かるのです。

 主イエスの弟子であったトマスも、最初は信じることができませんでした。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」(ヨハネ20:25)と言い張ります。しかし復活された主イエスがトマスの前に現れ、トマスは信じました。そこで主イエスは言われます。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」(20:29)。聖書は私たちをこの幸いへと招いているのです。

・ヨハネによる福音書20:24-31(新p.210)
・ローマの信徒への手紙6:1-11(新p.280)
・コリントの信徒への手紙一15:12-20(新p.320)

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